四
結婚を祝って修造の兄から百円おくってきたのは、半月もたってからだった。手紙には、どうせ修造のことだから、人のいいなりにはなるまいが、それならそうといってくれたら、こちらで式ぐらいはあげられたのに、早まったことをした。茂緒の家へも申しわけないことだし、それほどわからぬ兄でもないはずだというようなことが書いてあった。茂緒の行動には何もふれていなかった。それがかえって皮肉に感じられ、茂緒は、
「あなたの家って、やっぱり、格式ばったこというのね。わたしの家へ申しわけないなんてことないわ。あいこですもの。むしろわたしの方が押しかけてきたみたいな形ですもの。」
「押しかけ女房か。」
「そこへゆくと、わたしのうちなんて、ものわかりがいいわね。よくぞ押しかけたと喜んでるみたい。」
まだ小学校五年の小菊が、「茂姉さんの結婚には大さんせいです。お父さんもお母さんもよろこんでいます。荷物はすぐおくります。修造さんによろしく。」
と、まるで自分が相談でも受けたようなませた書きぶりで手紙をよこし、そこには三十円の小為替が入っていた。小菊は母の口うつしらしい文句で、「ながいあいだ家をすけてもろうたのに、たんすも買うてやれず、かいしょのない親ですが、せめて鏡台なとお買いくだされ。」
茂緒はさっそく出かけていって二十円で鏡台を買い、三円の針箱と一円の小さなチャブ台を買った。残りで五円五十銭の水屋を買うというのを、修造は、
「ぼくのうちからも、そのうちきっと送ってくるからね。その五円、かしてくれないかね。」
自分の持っているのと合わせて、せめて下宿のふとんだけでもとってくるというのだ。結婚して一週間、貸ぶとんはまだ借りていたのだ。修造はさっそく近所で大八車をかり、IやNの助けをかりて、ふとんを運んできた。はだかのふとんと一しょに、大小の柳行李が八つついてきた。机も本箱もないのに行李が八つなのだ。しかも、ほとんどそれはからっぽだった。
「まあ、どうして?」
「親不孝の、証拠品さ。」
修造はNたちと顔見あわせて笑った。みちみち、彼らは行李の由来を聞いたらしい。そんなときでもNの笑いには無気味な冷たさが感じられた。Iの調子のよさは、まるでちがっていた。といってIにはまた、油断のならぬ目の色があった。こんな顔は、田舎では見られなかった。前科三犯の元さんという肥かつぎだって、もっと親しみのある顔だったし、役場の浜本さんがいくらへんくつで、無口でも、渋柿というあだ名の渡辺さんがいくら渋っているときでも、NやIよりは近づきやすかった。
荷物をはこびこむと、車をかえしがてら貸ぶとんを積みこんで、男たちはまた出かけていった。なにかそれは途中で約束でもしていたらしく、なんとなく修造の顔にそれが出ていた。案のじょう出かけてからすぐ修造は引っかえしてき、
「Nたちの晩めし、いらないよ。」
「そう。」
「なるべく、早く帰るからね。」
茂緒は西日のあたっている窓に、まず掻巻だけをほしながら、そのにおいをかいだ。まぎれもない修造のにおいだった。掻巻の内側にぬいつけた古い浴衣の被いが糸をはなれ、よれよれになっていた。脂っぽくよごれた襟をはずすと、においはむっと胸をつく。そのよごれた被いを胸にかかえるようにして、茂緒はしばらく立っていたが、丸めて部屋の隅におくと、また荷物を片づけにかかった。たっぷりと綿の入ったふとんは、途中の道で日光にあたったところだけ温くふくれていた。ごつごつの木綿で、それは彼の母の手織にちがいなかった。茂緒は自分の母のことをも思いだしながら、ごろっとその上にねころんだ。やっぱり修造のにおいがした。茂緒はうっとりとしていた。それは、不安と焦躁をしずめる作用があるようだった。
「こんちは。」
びっくりして茂緒はとびおきた。扶佐子だ。足音の近づいたことさえ気づかずにいたのを恥じながら、
「いらっしゃい。みんな、出ていったんですけど。」
扶佐子は笑いながら、
「知ってますよ。途中で会ったんですもの。でも、今日はあなたをさそいにきたの。」
扶佐子はどんどん上ってきて、
「ね、井村さんの奥さん、女たちだって遊びましょうよ。これから多枝さんをさそって、三人でいいとこへいきましょうね。私、原稿料が入ったのよ。大枚三円! おごるわ。」
そのうきうきとはずんだ調子はすっかり茂緒をとらえ、茂緒はいそいで帯をしめなおした。
「どうせね、みんなのゆくとこ、わかってんのよ。いきましょうよ。だってさ、今日井村さんとこで一ぱいやるからこいっていったからさ、せめて酒代でも作ろうと思って、急いで童話かいてA新聞へもってったのよ。学芸部長が出てきて、だめだっていったからさ、啖呵きってやったの、――なんですっ、大きな屋台骨して何さっ! て。そしたらとってくれたわよ。大枚三円!」
扶佐子は得意になり、大きな小鼻をふくらまして、げらげら笑い、
「だのに、すっぽかしてるじゃないの。いいわよ。むこうはピーにきまってるから、こっちは大ばんぶるまいで、みせびらかしてやるの。」
茂緒は干した掻巻をまたとりこんで、窓にも玄関にも鍵をかけた。かけながら、修造のことが気になり、
「帰ってきたら入れないわ。わたし、よしましょうかしら。」
「大丈夫よ。修造さんのいるところへ連れてってあげますよ。もしも会えなかったら、送ってきてあげるわ。」
まるで小娘にいいきかすような態度だった。そのくせ彼女は茂緒の肩までしかないのだ。どこをどう歩き、どこからどこまで電車にのったのか、その夜の道すじを、茂緒はぜんぜんおぼえていない。わかっているのは渋谷でお汁粉をたべ、多枝と落ちあって三人でカレーライスをたべ、名前だけは知っていた本郷の南天堂という本屋の二階へ上っていったことだった。そこは酒場らしかった。部屋の灯はうす暗く、むせかえるような煙草の煙で、人の顔もはっきり分からなかった。どのテーブルも歌声と議論で賑わっているらしく、騒音が渦巻いていた。
「おお、扶佐さん。」
あちこちから扶佐子を呼ぶ声がした。渋っている茂緒を押しだすようにして、たれかれの区別なく扶佐子は茂緒を紹介した。
「井村さんの奥さんよ。――井村さんの奥さんよ……」
紹介された人の中には、聞きおぼえていた名前が多かった。ドン・なんとか――だの、何々ミセラチ――だの、そんな名の人がみな日本人で、詩人で、そしてみな申しあわしたように髪をながくしているのだ。茂緒はのぼせてきて、くるしかったが、扶佐子や多枝は、けっこう楽しそうだった。
空いたテーブルにかけさせられても、茂緒はしゅうし木偶のようにだまっていた。だまっているあいだに、みんなの話から、修造たちがもうここを立ち去ったことも分かった。やがてまた扶佐子たちと一しょにそこを立つと、にぎやかな歌声が靴音にあわせておこった。
リアリアリーア
リアリアラー
それはもう、さっきからくりかえされ、節をおぼえた歌だった。外に出てやれやれと思うと、こんどはまた別のところへいった。つれがひとりふえていた。コール天のズボンにエンジ色のビロードのロシア服をきた女のような顔をした男だった。長髪もおかっぱにしていた。四人は喫茶店に入り、コーヒーを注文した。小さなテーブルの上に、茂緒をのけた三人は額を集め、小声で話していた。
――ほんとうをいいますとね、ぼくは扶佐子さんも多枝さんも愛してるんです……。
茂緒は聞こえないような様子をするのに苦痛を感じた。逃げだしもならず、ひとりコーヒーをのんでいた。そこを出ると、また別の店に入った。そこにも別の知りあいがいて、茂緒はまた紹介された。そんなことを重ねてから多枝と別れ、世田谷へ帰ると、もうだいぶ夜はふけていた。ひっそりと寝しずまった町に寒さも凍てついたようで、下駄の音が高くひびいた。扶佐子は茂緒によりそって、その手をにぎりながら、
「ね、多枝さん、今夜はIさんとこへ帰らないのよ。」
「へえ。どうして。」
「察しが悪いのね、あんた。」
そして、せまい横丁に、ぼうっと湯気を立てている支那そばやを見つけると、
「あ、そばそば、ちょうだいな。ああ小父さんなの。じゃ、たのむわ。すまないけど、ふたりで一人前の腹しかないのよ。五銭ずついれてね。」
五銭ずつでぬくまって帰りながら、そばやのところから見えなくなったころ、扶佐子はふりかえり、
「そばやの小父さん妙な顔してたでしょ。知らないんだもの。でも、こんな手もあるのよ。ふたりでそばが食いたいけど、十銭しかないとき、いいじゃないの。」
彼女は、げらげら笑った。
修造はまだ帰っていなかった。この勢いで家へ帰るという扶佐子に、
「わたしんとこへお泊りじゃないんですか。」
「そんな気の利かんこと、わたしはしないわよ。」
そして走って帰っていった。茂緒は、まず火でも作ろうかと思い、古新聞をひねっているところへ修造が帰ってきた。赤い顔をしていた。
「扶佐子さんに会わなかった?」
「いいや。」
「おもしろかったわ、今日。なんとかミラセチって人や、ドンさんにあったの。」
修造はふきげんな様子で、それを聞いていた。
「でも、ああいうとこ、もうこりこりよ。わたしきらい。いつもあんなの。修造くんによろしくっていった人もあったわ、みんなふよごろ(口ばかり達者でごろごろしている人間)みたいですもの。小豆島ならさしずめ、みんなふよごろだといわれるわ。」
「そうだろ。ぼくも、ふよごろだろうっていうんだろ。」
茂緒ははじめて気まずさを味わった。修造の友だちをよく知りもしないで生意気を言ったことに気づいてわびた。わびると、修造の方もすなおになるらしく、こんどはきげんのよい顔で、
「しかしなんだね。ほんといえば、そうなんだ。おふくろにも、兄きにも、ふよごろだって、よくいわれたからな。」
まだ片づけ残している、部屋の隅の柳行李をみていう。行李は新しいのも古いのもあった。「一番」の大行李はもう茶色になっていて、蓋の腹にはS・Iときちょうめんなローマ字がかいてあり、隅の青い布の糸目がほどけていた。あとは二番と三番ばかりだった。文学などを志したばかりに彼は、腰が坐らず、いつも暮しに追いつめられていたというのだ。その最初が、大学の経済から文科へと、家へ無断で転科したときだった。そのために学資がとまり、苦学がはじまったことは茂緒も知っている。そのあとのことは、茂緒にはよくのみこめないままに、ただ彼が時代に反逆しようとし、なにかを叩きこわそうとしている意志だけが、そのものとして感じられた。茂緒もまたそのことにひかれもし、そこへ希望もつないでいたといえばいえることだったのに、一しょに暮してみれば、ただ貧乏だけが目の前に立ちふさがってきて、まだ正体はつかめそうもなかった。しかし、働くことで目の前の貧乏をくぐりぬける自信だけはもっている。荷物がきて、着がえができれば、その日からでも仕事を見つけにゆこうと、手ぐすねひいてまっている茂緒だった。彼女の荷物はまだこず、一足さきにやってきた修造の空行李について、
「食いつめて、なんにもなくなると家へ帰るんだ。友だちの着物をかりてね。すると、おふくろが心配してね、親父や兄きにないしょで、姉とこそこそ相談しては、夏冬一通りのものをこしらえてくれるのさ。それをもって上京する。また、すってんてんになって帰る。そんなことしてたら、行李はいつのまにか八つになったんだな。もっとあったろう。置き逃げした下宿もあるからね――。」
「まあ、やっぱりいい家はちがうのね、わたしのうちだと、そんなことしてもらえないわ。」
「その方がいいんだよ。こんな恥っさらし、しなくていいもの。今になって驚いちゃったよ、ぼくも。何か入ってるのかと思って、大きいやつをあけたら、中に行李があるだろ。そいつをあけたら、また行李さ。」
大小の行李が入れ子になることで、下宿にいても彼は行李の数からの圧迫を忘れていたという。捨ててこようかとも思ったが、NやIもいたし、それよりも母のことを思いだすと、屑屋にも払いかねたと語った。
「そういうぼくなんだからな。あいそつかすなら、今だよ。」
「そうね。でもわたし、行李もってきたあなたって、やっぱりおもしろいと思うわ。あいそつかすの、待とう。」
その翌々日、茂緒の荷物もとどいた。これはまた新しい番外の柳行李とふとん包みだった。
「あら、たのまないのに、ふとんまできたわ。」
ひとりなのに、思わず歓声をあげながらも茂緒は、これをもらってあとが困りはしないかと、ひそかに案じた。いつも小菊と一しょに寝ていたからである。ところが、取りだしてみると、ふとんも新しいものだった。更紗の花模様の一組で、同じ布の座ぶとんと枕まで入っている。枕のかさばりとならべて、かたいふろしき包みが出てきた。あけると、そうめんと煮干だった。ふとんとふとんのあいだからは、水色の、やっぱり新しい木綿蚊帳も出てきた。
――むりして、ふとん頼母子をおとしたにちがいない。きっとそうだ。客ぶとんを作りたいといっていた母の、それが唯一の希望だったのに……。
茂緒は更紗の花に顔をうずめて泣いた。泣きながら、修造のところへは、まだ手紙の返事さえもこないことを思い、修造が帰ってきても、手ばなしでは喜べない辛さをも感じていた。二人二様の母の心が、からっぽの行李と花模様のふとんになって、一つの押入れの上と下とにおさまった。上の段はふとんで、下の段は行李だ。茂緒は自分の番外行李をも手早く紐をとき、ふだん着だけ取りだして下の段に仲間入りさせようと思った。仕事さがしに出かけている修造の帰らぬまに、片づけておきたかったのだ。しかし行李の中はふとんとはちがって、なつかしさを掻きたてるものばかりだった。人生の行路につまずいたり病んだり、苦労の多かった茂緒の二十五年の生活の集計がそこに示されているようで、その一つ一つを手にとって見ずにはいられなかった。銘仙以上のものはないとしても、いつとなくたまった着物はみな娘らしくはでなものが多かった。まだ新しい晒木綿のはんぱや、つぎのあたった古い足袋も入っていた。毛糸のショールの残り糸から、あみかけのレースの花瓶しきまで、こまごまと一つのふろしきにまとめて入っていたりする。新しい下駄も、もらいもののタオルも、古いししゅうのある半襟も出てくる。それぞれの思い出につながる一つ一つを取りだしては、すぎ去った日の自分の姿を熱心に見つめた。そしてひそかに激励するのだった。
――よくぞ茂ちゃん、生きてきたね。……
修造の兄から金をおくってきたのは、それから三日後だった。百円は大金である。やはり修造は待ちあぐねていたらしく、書留と聞くとパッと日がさしたような顔になった。手紙の文句もたいして気にかからぬらしく、一刻も早く百円に手をつけぬことには男がすたれでもするように、彼はいった。
「さあて、出かけようか。」
ふたりは蝶々のように飛びだした。そしてまっさきに家具屋へゆき、大きな坐机を買った。十七円のところを、隅の方にひび割れがあるからとて十三円にしてくれた。下宿代の滞納で押さえられ、机をもたないでいた修造は、これでやっと落ちついたらしかった。あとの買物は茂緒まかせだった。
待望の水屋を八円で買った。一ばん安いのの次のであった。
「時計を一つ、買いましょうね。」
空色の四角なガラスにはめこんだ置時計は一円だった。
「盥も買いましょう。せんたくしなくちゃ。」
空行李の一つ二つの中に、煮しめたような浴衣や夏冬の肌着類が入っていたのを、茂緒は思いだしていた。それらの幾枚ものよごれものは、あまりに極端な汚れかたで、出してみることも、話題にすることさえもはばかられていた。トタンの盥は一円七十銭だった。ついでに茂緒は、伸子張の道具を一そろい買った。
「わたし、これでせんたくや縫物大すきなんですよ。夜、おけいこにいったの。あんたのふとんや着物、ぜんぶ洗ってきれいにしますわ。」
それには十年の垢がたまっていると茂緒には見えた。そして彼女は、そっときいてみた。
「ね、はじめてのとき、紺がすり着てたでしょう。あの着物だって、洗うとパリッとするわ。」
すると彼は苦笑して、
「ありゃあ借りてたんだよ。Sの一帳羅を。」
「あれが一帳羅。」
今の修造は、いつか本郷であったおかっぱの男と同じように、コール天のズボンに黒いルパシカのきたきり雀だった。どうやらそれが、はやりらしかった。寒いときには、その上に肘のすりきれたよれよれのオーバーを着た。オーバーは、ときにはまた、いつも着物のIやNが着物の上に羽織って出かけることもあった。米がなければ食いにくるし、金がなければ借りにくる。いわば、おたがいの財布は見通しのようなそんな一団に修造もくわわっていた。そこに茂緒が仲間入りできるかどうか、茂緒自身はまだ考えるところまでいってはいなかったのだが、修造の方には、茂緒にたいして、汚れたシャツは捨てたい気もちと同じように、何か新しいふんぎりを、ここらでつけねばと思っていたらしい。それは故郷と母につながる思いでもあった。彼は懸命に仕事をさがし、そしてやっと見つけてきたのである。知人のKの勤めている通信社の仕事だった。それは、名士の講演を聞いてまわっては、その要点を筆記してかえり、書きあらためて地方の新聞へまわすという仕事だった。ときには指定された名士の宅を訪問して、談話を聞いてもこなければならないという。それを思って茂緒は、
「ね、あなたの着るもの買ったら。」
「それほどの余裕あるかね。質も出さんならんし、家賃も払わんならんし。それよりも、おれ、あまったら靴買いたいんだ。」
彼のよそゆきの靴は歩くたびにパクパク口をあけるので、雨の日はぜったいにはけなかった。底だけでなく上まで破けているので、もう修繕もできない。ただ靴をはいているというだけの役目をしかしていなかった。だから、今も修造は下駄ばきである。
「じゃあ、靴、買いましょうよ。」
都会は便利であった。机と思えば机があり、靴だと思えば靴屋がある。
「お金って、だからいやだわ。ないと、なんにも買えないんだもの。買うどころか、食べることもできない。だから、あるうちに買っちゃいましょうね。」
茂緒はふと、田舎を出るとき小菊に土産を約束したのを思いだし、文房具屋によった。色鉛筆の十二色を買って出てくると、靴の包みをさげた修造は十間ほどむこうをゆっくりと歩いていた。足早になって追いつこうとする茂緒の行く手に、
――ちょっと、ちょっと。早く!……
大きな、しかし、ひそめ声で家の中へ呼びかけているのは、文房具屋のとなりの、菓子屋の若いおかみさんだった。妹らしい女がはだしで飛びだしてくると、
――ほら、あの人の頭!
指し示す方向はいやでも茂緒にわかった。修造の後姿をさして、好奇の目をみはっているのだ。茂緒はつい足がにぶった。自分にはもう見なれてきた彼の長髪を、もう一度見なおさねばならなかった。修造の髪の毛ときたら、ちぢれているのに多いので、むくむくと羊の毛のようにかたまっていて、よけい目だった。茂緒はそれを少しかくしたい気がした。
「帽子も買わない?」
しかし、それは二分ののちにおじゃんになった。少し先の大道の木の下で、洋服屋が莚をひろげた店を開いていたからだ。修造は十五円という玉ラシャの半オーバーを、着たりぬいだりして半時間ほどねばり、五円五十銭にまけさせて買った。よほど気に入ったらしく、さっそく着て歩いた。ならんで歩きながら茂緒は、修造の兄の手紙を思いだしていた。
――こんどこそは、まじめに暮してくれるよう、わしも悪いところがあったとは思うが、母者人への心配もこれを最後にしてもらいたい……。
それは、弟のこれまでの生活が、ふまじめの連続であり、心配のかけ通しででもあったような文章であった。
「あんたって、ほんとに不孝者だと思われてたのね。」
「てたんじゃなくて、てるんだよ。」
「わたしもそうよ。心配のかけ通しだったわ。でも……」
ふっと涙ぐみそうになるのへ、修造は「なんだ?」という顔をした。茂緒は笑って、
「にようた(似合った)釜に、にようた蓋かもしれん。」
「われ鍋に、とじぶただろ。」