Chapter 1 of 3

健のお母さんは、今夜また赤ん坊の克子をつれて神戸の病院へ行くことになっている。健はどうにかしてお母さんについて神戸へ行きたいと思うのだったが、お母さんはどうしても、よい返事をしてくれない。部屋いっぱいに並べられた着類や、手まわりのものなどを大きな柳行李に入れたり、またそれを取り出してつめかえたりしているお母さんのそばにつっ立って、健はふくれかえっていた。いつだって、どこへ行くときだって、お母さんは克子をおんぶして、健の手を引いて出かけた。お祭りに行ったときも、学校の運動会のときも、いっしょにつれて行ってくれた。それなのに神戸へはどうしてもつれて行ってくれない。この前のときにも、そしてまた、こんども克子だけをつれて行って、健は隣り村のおばあさんの家で留守番をしておれというのだ。健は不平でならなかった。自分はまだ一ぺんも汽船に乗ったことがないのに、克ちゃんは赤ん坊のくせに、もうこれで二へんも乗るのだ。健はどうしても汽船に乗ってお母さんに手をひかれて神戸へ行きたかった。

「なあ健、お土産買うてきてやるせに、おもちゃや、バナナや、な。かしこいせに健、おばあさん家で待っちょれよ、え。」

お母さんは何べんめかの言葉をくりかえし、荷づくりの手をやめて健の顔を見つめた。

「ええい。健も神戸い行くんじゃい。」

健も何べんめかの口ごたえをした。こんりんざい、おばあさん家へは行くまいとするかのように、肩をゆすって一歩すさった。

「ふむ、ほんな、健はもう馬鹿になってもえいなあ。」

お母さんは向きなおって、健に膝をよせた。

「ん、馬鹿になってもえい。」

「そうか、ほんな健は馬鹿じゃ、今ま半べのような馬鹿になる。それでも、えいなあ。」

「ん、えい。」

健はつねづね馬鹿になるのが、ひじょうにいやだった。半べという馬鹿の大男がのっしのっしと終日、村中をほっつきまわっているのが世の中で一ばん恐ろしかった。半べのようにならないためにでも、健はお母さんのいうことをきき、お使いをしたり、いたずらをやめたりした。だが、今日はちがう。お母さんといっしょに神戸へ行けるなら、あとで半べになってもいいと思った。お母さんは、きまじめな顔をしている健を見、そして笑いだした。

「健、そんなに神戸い行きたいか。」

「ん、行きたい。健、行きたい行きたいんで。船にのってな。」

健はじぶくれた顔をゆるめ、お母さんを見て笑った。

「困ったなあ、健は馬鹿になってもえいというし。」

お母さんは、またもとへ向いて荷づくりをはじめた。健は目をぱちぱちしながら、いそがしく動くお母さんの手もとを見ていた。だが、やっぱり行李の中へは克ちゃんの洋服と着物と、それからお母さんの着物や羽織や、新しい毛糸の束などを、たくさんつめこんで蓋をしてしまった。そして、健の着がえの洋服やエプロンは別の風呂敷に包んだ。それを見ると、健はまたもとのすねた顔にもどり、くるりと背をむけて、うつむいてしまった。お母さんは白いエプロンの袖をまくりあげて、できた荷物を部屋の隅に押しよせ、サッ、サッと荒々しく箒をつかった。

「おっ、大けなゴミがあるな、ここに。あら、このゴミ足があるがい、おもしろい、おりゃ、洋服着とる……。なんじゃ、ゴミか思たら健か。」

お母さんは健の前にまわり、目を足からだんだん上の方へ移していった。健は、いつものように笑って逃げだそうとはせず、また、くるりと背をむけた。そこだけよけて掃いてしまうと、お母さんは隣りの部屋に寝かせている克子のそばへ行って着物を着せかえ、こんどは健のそばへ来てだまって洋服をぬがせ、でくのぼうのようにしている健をなれた手つきで手っとり早くパンツまでとりかえた。健の好きなラクダ色の毛糸の洋服であった。タオルに薬罐の湯をそそぎ、健の頭を手荒く、ひっ抱えて顔をふいた。そして、自分も縞メリンスのちょいちょい着に着かえて、よそいきの紫矢絣の負ぶい半纏で克子を背負い、どんどん戸締りをした。健は、けっきょく追い出されるように、仕方なく縁側に出た。靴がちゃんとそろえてある。東京にいるお父さんから送ってきたお正月の革靴である。それでも健の気持はほぐれない。

「さ、早よ靴はいて。」

お母さんはしゃがんで片っ方の靴を持ってまっている。健はやっぱし黙って縁の上につっ立って、だらりと両手をたれ、ぽかんとしたような、不貞くされたような、それでいて今にも泣きだしそうな、複雑な表情であった。お母さんは困った顔をして靴をまたそこへ置き、縁側に腰をおろした。そして、腰かけたままのところから、ひとりでに目にはいってくる観音山の方を見るともなく眺めた。観音の山からは、ごーん、うおんうおん――と、たえまなく鐘の音がひびいてきた。雑木林の山肌のところどころが彼岸桜にいろどられて、そこだけ一足さきに春が来たように鮮やかな薄紅色に浮きだしている。山の中腹から人家のある山裾まで段々畑がつづいて、その青い麦畑や、みかん畑をぬって曲りくねった遍路道に、山からおりてくる巡礼の白い姿が見えかくれ、御詠歌が手にとるように聞こえた。

やがてお母さんは健のそばによって来て、その顔をのぞきこんだ。

「健、お正月が来て何ぼになったんぞいな。」

やさしい声である。もうおばあさん家へ行くのをやめたような顔に見えた。健は思わず引き入れられた。

「五つ。」

「克ちゃんは何ぼになったんぞいな。」

「二つ。」

「健と克ちゃんと、どっちが大けい。」

「けん。」

「ほんな、健と克ちゃんとどっちがかしこい。」

「けん!」

健は得意になった。大きい鼻がひろがって、頬をゆるめて笑うと頬っぺたの垂れさがった、丸い顔が大きくなった。お母さんは、なおもにこにこして顔をさしよせ、健の肩を両手ではさんだ。

「健と克ちゃんと、どっちがお母さんのいうこと聞くぞいなあ。」

「けん!」

「よし! そんなら健はおばあさん家、行くなあ。」

お母さんは理づめでせめてきた。思わず不覚をとった健は、あわてて地だんだをふみ、

「ええい、ええい、健、神戸い行くんじゃい。おばあさん家やこい行かんわい、行かんわい、克ちゃん行けくされ、健、行かんわい。」

縁側をどんどん踏みならした。お母さんは急にこわい顔になり、健の肩から手をはなした。立ちあがって、くるりと向こうをむいた。

「ほんな、健ひとりでおり。なあ克ちゃん、おばあさん家行て、太郎さんや秀子ちゃんと遊ぼ、なあ克ちゃん。」

お母さんは背の克子に首をねじむけて話しかけながら歩きだしたが、ちょっと引っ返してきて健の着類のはいった風呂敷包みを抱えた。

「そんなら健ちゃんさよなら。――克ちゃんほん好き。健ちゃん馬鹿なあ。」

お母さんは丸い背中を見せて、こんどはふりかえりもせずに歩いていった。飛石を敷いたところを通りすぎ、隣りの家の鶏小屋の前を通りすぎた。右に曲って、とうとうそのうしろ姿が見えなくなった。

「お母さあん! お母さんが行てしもたあ!」

健は力いっぱいの大声で泣きだし、縁からころげ落ちそうにしてすべりおり、はだしでかけだした。ふと見ると鶏小屋のそばからお母さんの顔がのぞいている。笑いながらお出でお出でをしている。健は立ちどまり、泣くのをやめて、くるりとむこうを向いた。うつむいて親指をかんでいる、ああ、ああ、といいながら、お母さんの下駄の音が近づいてきた。こんどこそあきらめたような顔をしてお母さんは戻ってきた。克子を背からおろしておしっこをさせ、縁側に腰かけておっぱいを出した。克子は手さぐりで乳房を押さえ、そこへ顔をこすりつけていった。眉間の肉がもりあがるほど眉をしかめ、目を伏せたまま、ごっくりごっくりのどを鳴らして飲んでいる。

「克ちゃん、目々あけて見いの。え、目々あけてくれ。」

もののわかる子にいうようにいって、お母さんは近々と克子に顔を寄せていった。

もう誕生がこようというのに、克子はおもちゃを見せても素知らぬ顔だし、指をちらちらさせながら目のそばへ近づけていっても目ばたきもしない。そのくせ目玉はひっきりなしにくるくると動かしている。よく見ると瞳孔が魚の目のように、ぎらりと白く光る。それでいて明かるいところではいつでも眉をひそめ、目をつぶったままうなだれこんで顔も上げなかった。同じころに生まれあわせたよその赤ん坊たちがみな愛嬌よく育ち、だんだん知恵づいてくるのに、克子は、いつまでたっても笑わない、きまじめな顔をしていた。赤いガラガラを見せても手は出さず、握らせてふって見せると、その音を聞いて、はじめて笑う。視点の定まらぬ瞳をくるくる動かしながら、力まかせにガラガラをふりまくっては、にこにこした。だが、何かのはずみでそれをとり落しても、ふたたび握らされるまで手を出そうとはしない。とり落したガラガラがまた手に帰ることなどは念頭にないのだ。泣きもせず、しずかな表情でただ、眼球を動かしてだけいた。物を見て喜ぶことも、騒ぐことも、何か欲しくて泣いて訴えることも知らない。まるまるとふとって風邪ひとつ引かない体でありながら、克子の感情の世界はただ食欲にともなうものよりほか、その成長をはばまれているようであった。それさえもお乳のほかはすべて受け身であった。あてがわれて唇にふれてきてはじめて口を開いた。おとなしい子だと村の人たちにほめられるたびに、お母さんはひとり、つらい思いをした。克子は母親の顔を覚えず、声を聞いて喜んだり、泣いたりするようになった。ちょうど二、三か月前、正月休みにあちこちの目医者をまわって診てもらった。四、五年待ったうえで、とみないいあわしでもしたように匙を投げた見立てであったが、ただひとり神戸の医者が、見えないけれども光りと闇を知っているという診断をくだした。くるくる眼球を動かしているのは、どうにかしてものを見ようとする視神経のけんめいな努力の現われ方だと説明され、だから視神経のそのけんめいな活動が中止しないうちに、一日も早く手術をするようにといわれた。

「一生けんめいにものを見ようとしているのに、それをほっておくと、視神経は、もうあきらめてしまって、見ようとする努力をしなくなるのです。」

そう聞いて、お母さんは声をあげて泣いた。うれしかったのであった。しかし、その場で手術がうけられるほど裕福でないお母さんは、一たんは思いあきらめて帰らねばならなかった。ちょうど寒いさかりで、毛糸編物屋のお母さんには仕事がたくさんつかえているし、それをほっぽり出すわけにはいかない。健たちのお父さんがずっと長いあいだ思わしい仕事がなくて、そのためお母さんは母子三人の暮しを自分で働いて立てていかねばならなかった。四、五年前、器用からはじめた毛糸編物の内職が、時をえて今では本職になり、かたわら小さい毛糸屋をかねて、お母さんの商売はちょうど忙しいさかりであった。昼も夜も編棒を動かしていた。お父さんは、ときどき帰ったがすぐまたいなくなって、健たちはいつも三人暮しである。そんな暮しの中でどうして手術を受けたり、三週間も入院したりすることができよう。しかし、どうしてもしなければならない。お母さんは、視神経の努力という言葉が忘れられず、毎日手をむしるような思いで春を待ったのであった。病名が先天性白内障、いわゆるそこひと聞いてお父さんの家の人たちはみな、もう克子は一生めくらだと思いあきらめていたが、お母さんだけは望みをすてなかった。たとえ少しでも見えるようにしてやりたいとねがった。そして、とうとう今日はその神戸の病院へ行く日なのであった。

「克ちゃんよ、どうしてそない目々あけんのぞいの。」

お母さんは克子の顔ばかり見ている。

「克ちゃん、目々あけて見いの。え、目々あけて見せてくれ。」

健はそろりそろりとお母さんに近づいていった。お母さんの膝にそっと両手をふれてその顔を見あげた。いつものようにお乳をさすることができない。克子はお母さんの右腕にもたれるようにして、乳を吸うたびに白い顎を動かしている。健はゴクリと唾をのんだ。お母さんはやっぱり健には目もくれず、じっと克子の顔ばかり見ている。

目白が、チ、チ、と鳴きながら、蕾の赤らんだ杏の枝を渡り歩いている。とつぜん、お母さんは克子を乳房からはなし、抱きかえて日向の方へその顔をさしむけた。克子はおどろいて眉をしかめ、まぶしそうにうなだれこんで、上体をねじまげながらお母さんの胸にしがみついていった。

――ほんまに光りは感じとるがなあ――

つぶやきながら克子の頭を胸から離すようにして二、三歩あるきだした。そして敷石の上に立ち、かげのない午後の陽ざしにむけて、もう一度克子の顔をさらした。克子は一生けんめいの力でお母さんにしがみつき、その胸の中へ顔を押しつけていった。

「おうよし、よし、わかる、わかる。かわいそうになあ、こらえてくれよ克ちゃん、今ま見えるようにならんかいなあ。」

縁側にもどると、やっと安心したように克子はしがみついていた手の力をゆるめ、心もちお母さんの胸から顔を離した。目の悪いせいなのか肉のやせたまぶたをして、くまどったように黒く長いまつ毛を伏せ、全神経を額に集めたかのように、しかめた眉の上にくぼまりをつくり、あごを胸につけて、じっとうなだれている。

――めくらの相をしとるな――

お母さんは大きいため息をつき、また乳をふくませたが、克子はすぐにぷっつりと離した。うつむいて眉に皺をよせたまま両手で乳房を押さえた。満足したときの克子のしぐさの一つであった。お母さんは、はだかった胸をかき合わせ、負ぶい半纏にくるんで縁の片隅に寝かせた。身動きもせず、寝かされるまま寝ころんでいる克子を、上からおっかぶさるような恰好で見つめていたが、やっと腰をのばして健の方をむいた。そして、さっきからおとなしい健をうしろ向けに抱きあげて膝にのせながら縁に腰をおろした。健はほっとして、うしろのお母さんをふり向こうとしたが、お母さんの手は健の頭を押さえてむりやりに観音山の方へ向けたまま動かせなかった。

「健、じっとしとりよ、ほら、見えるか?」

「見えん。」

健は両方のまぶたをつままれていた。

「健ちゃん、それ、キャラメルあげよ、さあここにあるで。」

お母さんはよそいきのような声を出した。健は両手をさしのべて、えへらえへら笑った。

「それ、健ちゃん、キャラメルで。キャラメルいらんのか。」

「いる。――キャマレル、早よおくれいの。」

「さあ、キャラメル、早よ取りいの。」

健はもどかしがって、お母さんの手をかなぐり捨てた。キャラメルはどこにも見えない。お母さんの手にも、ふところにもない。健はお母さんの袖の中へ手を入れたり、うしろをのぞいたりした。どこにもない。

「キャマレルは、キャマレルはないが。」

どこかにかくしてでもいるのか、それとも嘘をついているのか、さぐるように目を見はった。お母さんは笑いながら手提袋を引きよせ、こんどはほんとうにキャラメルを取りだして見せた。

「これ、キャラメル、これ健に上げるんで、なあ。これ健のキャラメル、ほら、ここへ置くせに健ひとりで取るんで。」

キャラメルは縁の板の上にコトンと音を立てて置かれた。健がにこにこしながら手をのばそうとすると、お母さんはすばやくそれをさえぎって、また目かくしをした。今度は手のひらで押さえた。

「さあ、健ちゃん、キャラメル取り、ひとりで取り。ひとりで取ったらみな健ので。」

健は、お母さんがいつになくふざけているのだと思ってきゃっきゃっと笑った。膝をすべりおり、両手を前に出して、目かくしのまま動くと、お母さんも腰をかがめてついて動く。めくら鬼のように右によったり左によったり、健は笑いながら手の届くかぎりさぐりまわしたが、左の方には克ちゃんの着物が手にさわるだけで、キャラメルはどこへ行ったかどうしてもわからない。

「手々はなして、よう、お母さんの手々はなしていの。」

お母さんの手はへばりついてなかなか離れない。健はやっきになって、それをもぎ取ろうとした。歯を食いしばって、うんうん言いながら指を一本ずつ離そうと試みた。一本離れるとまた一本が蓋をする。健はいまにも泣き出しそうになった。もうちょっとで泣き声がもれそうになった。肩で息をした。ふと、お母さんの指がだんだんひろがってきた。息をつめると、見える、見える、指と指とのあいだからキャラメルが見える。縁の真中に赤い箱がポツンと見える。あんなところだ。急いで近づこうとすると、またもお母さんは指をとじ、前よりかたく蓋をしてしまった。手のひらでこめかみをきつく押さえられて痛い。こんどは指も離れない。泣き声を出して、やっとお母さんの手は離れた。あまり強く押しつけられて健はちょっとのあいだ、なにも見えなかった。目をパチパチやったり、こすったりしているとだんだん見えてきた。お母さんがのぞきこんで笑っている。お母さんはキャラメルを健の手に握らせ、こんどは、こっち向けで抱きあげた。そして、じっと健の目を見ている。健も笑いながらお母さんの目を見あげた。しばらく二人は笑っていた。やがてお母さんは健を強く抱きしめた。

「健、かしこいせにな、ほんまに健はかしこいせにな、お母さんのいうことよう聞けよ。な、健はいま目々が見えなんだなあ。お母さんが目かくししたせに。目かくしせいでも見えなんだら、健どうする。」

「ほんなん、好かん。」

健は目をはげしくまたたいて、しみじみとしたようにお母さんの顔を見あげていた。

「健、キャラメルあげる、いうても見えんの、ほら健よ、おもちゃあげる、いうても見えんの。どんなおもちゃかわからんの。健よ、ごはん食べんか、いうてもお茶碗見えんの。忠ちゃん実ちゃんが、健ちゃん遊ばんかあ、いうて遊びにきても顔が見えんの。あの山も見えんの。」

お母さんは観音の山をさした。健もそれにつれてふりかえった。山の頂き近く、白い雲がゆっくりと流れていた。

「――それから、ほら、棧橋い汽船が来ても見に行けんので。大けな大けな軍艦がいつかしらん来たなあ、ほら、沖で晩に電気いっぱいつけて、仰山仰山、ならんどったなあ、あんなんが来ても健は見えんの。――健が道歩きよって、恐ろしい恐ろしい、角の生えたこって牛が駆けつけてきても健は目々が見えんせに角で突かれる。血が出るぞ。恐ろしいなあ。健がめくらじゃったらどうする。健めくら良いか、悪いか?」

「悪い! 牛が突いたら痛いなあ!」

健は右の人さし指で自分のおでこを突き、まるで牛に突かれたように痛い顔をした。お母さんもいっしょに痛い顔をした。そして、

「痛いとも、牛に突かれたら痛いど!――ほんな健はめくら好きか、好かんか。」

「好かん!」

眉をよせ、顔をしかめて、きっぱりと答えた。

「好かんなあ、めくらかわいそうなあ。」

お母さんは健にうなずきながら、袂からハンカチを取りだして、かわるがわる目を押さえた。

「なあ健、健は目々が見えてよかったなあ。克ちゃんは目々が見えんので、お母さんの顔も、健のも見えんの。克ちゃん、かわいそうなあ。」

「ん、ほんな克ちゃん牛に突かれるん?」

「そう、ほじゃせに神戸い行くん、神戸のお医者さんが痛い痛い目薬さしたら目々が見えるようになるんで、健は目々が見えるせに目薬さしに行かいでもえいん。克ちゃんは早よ行て目薬さして来にゃかわいそう、なあ。」

お母さんはまた目を押さえ、そしてむせぶような咳をし、鼻をかんだ。その常ならぬ顔を、健はうたてそうに眺めた。

「お母さん、健、ほんなおばあさん家で待っちょろか。――おばあさん家の太郎さんと、秀子ちゃんと遊んで待っちょろか。――浜で遊んで待っちょろか、よう。」

「…………」

「お母さん、健泣かんと待っちょる。ようお母さん、またこんど、健がめくらになったら神戸い行くんのう。ほじゃせに健おばあさん家で待っちょろ。――克ちゃんにキャマレルやろうや。」

健は顔からハンケチをはなさないお母さんの膝をそっとすべりおり、寝かされて泣きもせず、いつのまにか眠っている克子に近々と顔をよせて行った。

「克ちゃんよ、兄やんがキャマレルやるぞ。二つやるぞ、ほら、ほら、紙とってやろうか、克ちゃんかしこいなあ。」

Chapter 1 of 3