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Chapter 7 of 16

7

その二階の窓の下にも狭い露地が通ってい、その奥の家には若い、琵琶の女師匠がその妹と住んでいた。夜になると、近所の若者達が習いに来て、賑やかな話声が止むと、琵琶の音が聞えて来る。時には、女師匠が練習しているのか、昼間も琵琶の低い音が鳴っていることもあった。

当時の京の町家の小便所は、朝顔がなく、壺がむき出しになっていて、僅かに板で仕切られているに過ぎないものが多かった。その上、京の女は後向きになって、立ったまま用を足すので、その音はひどく庶民的な音を立てる。

私の書斎の窓下からもその音は聞えて来る。隣家には一人娘のいる初老の夫婦が住んでいるので、露地の奥からも聞えて来る。京都に住んで、ひどく不粋な話である。が、いつの時代にも、権力者の華やかな文化の底で、京都の庶民はこのようにして生き堪えて来たのではないか。彼等は消極的に見えるが、その生活力はかなり執拗である。

しかし私の下宿からは神泉苑も近かった。神泉苑は当時既に池には水もなく、埃っぽい小庭園に過ぎなかったが、私の好む休みの場所となった。二条城も私の散歩の範囲にあったし、二条駅も私の好きな場所であった。散歩の途次、私は二条駅の木柵に凭り、単線のレールが鈍く光っているのを眺めながら、花園、嵯峨、保津峡、更に胡麻、和知、安栖里、山家などと、頻りに旅が思われたりした。またある日、春風の中に笛や、鉦の音が聞えているのに誘われ、その音を頼りに行ってみると、壬生狂言が行われていたりもした。

三高在校生の膳中会に出席する。初めて芸者のいる席に連ったわけである。美しいとは思うが、精神的には何の感銘も受けない。酒は飲まないつもりでいた。が、尊敬する先輩に盃を進められ、生れて初めて酒を口にする。最初、酒が私の舌端に触れた時は、少し異様なものを感じたが、喉を過ぎる頃には、私の舌に魅惑的な後味を残した。一人の盃を受けて、他の人のを受けないわけにはいかない。私は次ぎ次ぎに盃を受ける。軽い酔いを発する。ひどく快い。

ある日のことである。私は私の下宿へ二人の友人を伴って来た。その一人が座に着くなり、壁の横木の釘に白線の帽子を投げる。が、帽子は的を外れ、窓の下に落ちる。私達は顔を並べて窓の外に出す。が、次ぎの瞬間、あわてて顔を引込める。既に薄暗くなった露地の隅で、琵琶の師匠が行水を使っていたのである。

「お帽子、じきに久子に持たしてやりますえ」

窓の下から女師匠の声が聞えて来る。甘ったるい声である。

「醜態」

若い私達はいつもそんな風にして、互に運動神経を競い合っていたのである。決して他意はない。しかしどんな弁解も役立たない。私達は自尊心を傷つけられ、苦苦しい沈黙を続けているより他はなかった。

「久子はん、お湯わいたか」

それ以来、夏の日が西の空に傾く頃になると、決って女師匠の声が聞えて来る。続いて、盥を据える音、湯を注ぐ音。やがて手拭を使う湯の音まで聞える。

「久子はん、すまんけんど、さし湯持って来てんか」

例のひどく甘ったるい声である。

「ああ、ええ気持やわ」

独言としては少し大き過ぎる。それにひどく浮き浮きともしている。確かにその声は何者かの耳を意識しているとも取れなくない。すると更にその声は人の目を厭うというより、頻りに誘っているようにも思われて来る。が、私にはそんな女の気持はまだ全然理解できない。

しかし私の目前に開かれている窓の空間が、ひどく気になっているのは事実である。私は机の前に坐っている。が、私はどうしても心が落ちつかない。先刻から、盥の中に中腰になって、窓を見上げていた女の体を、私は繰り返し思い浮かべている。自尊心などというものが全く当てにならないことを、私は知った。

いつからともなく、私は私の日日に満ち足りないものを感じ初めていた。友人達と寮歌を歌い、乱舞していても、以前のような感激は湧かない。むしろそんな時、私は激しい「虚」を感じる。寂寥感といってもよい。最早、自分の感情を誇張することができなくなった自分に気づいた隙に乗じ、その感情は突如として突き上げて来る。例えば、こんな大勢の友人に取囲まれていながら、私には一人の友人もない、といった感じである。或は単に恋愛がない淋しさかも知れない。しかし私はそうは思っていない。むしろ人を愛するほどには、私自身が充実していない淋しさである。つまり「虚」は私の外にあるのではなく、私の中にあるようである。

一見、私は善良で、幸福そうに見える。しかし善良とは何か。真の幸福とは何か。少くとも私のそれは、いずれも私の外側にしかない。かなり美しく見えるかも知れないが、所詮、修飾品に過ぎない。しかも、それは修身的、習俗的で、更にそれが形式化し、惰性化した模造品で、私自身のものは一つもない。私の中身はからっぽである。私自身が自分の飾りものに騙されていたのである。まず私の贋の飾りものを打ち毀さなければならない。

ある夜、私は殊更に近所の、あまり上品そうでないカッフエに入る。第一に三高の生徒を避けるためである。更に学生風な雰囲気に巻き入れられてはならないからである。私は不断着を着流したままである。

「おいでやす」

女給が迎える。私は酒を注文する。女給は私と同年配である。丸ぽちゃの顔に濃く白粉を塗り、唇がまっ赤である。そう言えば、このカッフエ全体が、色彩の強い泥絵の感じである。

「君も、一つ」

「おおきに」

私は女給に台つきカップを差し、それに酒を注ぐ。しかしそれだけが、私にとっては精一杯である。後が続かない。女給の返したカップを、私は私の口に運ぶだけである。

先客が一人いる。ジャケツにズボン、板草履をはいている。三十くらいの女給が相手をしている。男はかなり険相な容貌をしている。しかし存外静かに酒を飲んでいる。

「お客はんどこどすの」

「近くだ」

この女給は決して利口そうではない。上品などというものとは、更に縁遠い。しかし幸にもそれほど饒舌ではないらしい。

中年の商人風の男が入って来る。私の隣の席に坐るなり、相手の女給を笑わしている。よほど猥褻なことを言っているらしい。「知らん、ほんまにいけずやわ」とか、「よう言わんわ。いやらしやの」とか言っては、相手の女給は声を上げて笑っている。

しかし私は殆ど気にならない。むしろこんなカッフエの片隅で、自分を失いながら、泥酔の底に沈んで行けるなら、どんなに気楽だろう、と思ったりする。が、意識は却って妙に冴え、少しも酔いを発しない。やはりこの場違いの雰囲気に、小心な私はより厳重に自分を自分の中に密閉してしまったからであろう。すると、今夜の行動も至って馬鹿らしく思われて来る。急に激しい「虚」を感じる。

不意に、ジャケツの男が声を発した。見ると、男はカップを口に銜え、歯をむいて、噛み砕いた。私は恐しくなり、急いで席を立った。

ある日、二人の生徒が「三高劇研究会」のビラを貼っている。その一人は色の浅黒い、いかつい顔をしていて、見るから不興気な表情である。こんな下らない仕事から一刻も早く離れたい、というような態度である。実に厭そうである。

私は劇研究会にも、ビラを貼っていた生徒にも妙に興味を覚え、当日、会の催される、円山公園の「あけぼの」へ行ってみる。その席に今一人、より魁偉な、極めて彫りの深い容貌の生徒がいる。脚本が朗読されている間、彼は厳然と腕を組み、その態度を崩さない。やはり興味を覚える。前者が中谷孝雄であり、後者が梶井基次郎である。

研究会では、著名の戯曲を選び、それぞれの役割を決め、台詞風に朗読するのである。中には台詞廻しの上手な生徒もいる。有名な役者の声色を巧みに使い分ける生徒もいて、私は驚かされる。しかし中谷も、梶井も台詞廻しはあまり得意ではなかったし、また重視してもいないようでもあった。中谷は梶井のように熱の入った態度は示さないが、並並ならぬ関心を抱いていることは判る。彼等にこれほどまでに興味を持たせるものは何か。私は次第に劇研究会のグループに近づいて行った。

「あけぼの」の例会には、私は毎回出席した。トルストイの「闇の力」、チエホフの「熊」、「桜の園」、シングの「鋳掛屋の婚礼」、シュニツラーの「臨終の仮面」、それに武者小路氏の作品等を朗読したことを覚えている。

倉田百三の「出家とその弟子」を朗読することになる。私は私の書斎で下読みをした。

私は感動した。読みながら、私は何回となく落涙した。涙は全く突然に溢れ出た。悲しかったからではない。悔しかったからでもない。私はただ感動しただけである。俗に「涙を催す」という言葉がある。いかにもそのような涙の溢れ方である。

この「出家とその弟子」に対しては、中谷も、梶井も文学的にはそれほど高い評価を与えていないようである。しかしそんなことは問題でない。私にとっては、最早、文学に限られたことではなかったからである。

私を泣かせたものは何か。私にこんな清らかなバイブレーションを起させたものは何か。私はこの極めて不思議なものについて考えないわけにはいかない。勿論、この年齢の私には、仏や、神の存在を信じることは無理であろう。しかし私に生に対する希望を抱かせたものは何か。そうしてこのような喜びにも似た感情を私に与えてくれたものは何か。「出家とその弟子」が私を「歎異鈔」に導いたのは、極めて当然のことであろう。ある夜、あのひどく庶民的な小便壺の音の聞えて来る書斎で、私は胸をときめかしつつ、「歎異鈔」を開いた。

果して、私には総べて驚異である。親鸞は「法然上人にすかされまひらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずさふらふ」と言っている。また親鸞は「父母の孝養のためとて、一遍にても念仏まふしたること、いまださふらはず」とも、「親鸞は弟子一人ももたずさふらふ」とも言っている。宗教家に対する私の既成概念とは、凡そ甚しい違いである。私は脳細胞を逆撫でされるような違和を感じながらも、大きい力に引き寄せられて行く自分を感じる。

しかし「悪人成仏」とか、「絶対他力」などという親鸞の思想は、私の常識的倫理感では、なかなか納得できない。

「出家とその弟子」の親鸞は、偽善を殺人よりも罪深いものと言っている。そうして赤裸裸な人間の姿そのままで赦されているとも言っている。親鸞の思想は強い否定の上に立った、より強い肯定であろう。そうして親鸞の徹底的な人間肯定に対して、私は涙を流して喜んだはずである。が、私の正義派的なもの、清教派的なものが、未練がましく抵抗を試みて止まないのである。卑近な例で言えば、自分が自涜を行いながら、童貞を誇っているようなものである。が、弱年の私には気がつかない。

三年生になった。文芸部の委員になる。私の軽薄な性質に因るが、中谷孝雄の好意的な策謀と、煽動に因るところもあった。が、梶井と中谷の作品を得て、三高の文芸部の雑誌「嶽水」誌に掲載することができた。

徴兵検査の予備検査を受けるため、私は和服に袴を着け、別に医者の当てもなく、下宿を出る。京都の町医院には、門構もなく、仕舞屋風なのが多い。街路に直接面している扉の梨地ガラスの上に書かれている医院名と、電灯の赤い笠とが僅かに医院であることを示している。私は行きずりに、姉小路のそんな医院の扉を押した。

「御診察どすか」

看護婦が出て来て言った。

「徴兵検査の予備検査を受けたいのです」

「ほんならお上りやす」

待合室に他の患者はなく、直ぐ診察室に通される。机に向かっていた中年の医者が、私の方へ振り返る。生白い顔である。が、いかにも生気の抜けたような表情である。見ると、診察台の上には、男枕の横に女の箱枕も置いてある。京都の、猥雑な場末町に住みついた町医者の感じでもある。

看護婦が乱れ籠を私の前に置く。私は袴を取り、帯を解き、その中に入れる。

「シャツも脱いで」

私はシャツを頭にかぶって脱ぐ。しかしズボン下だけの恰好はあまり見よいものではない。私は素肌に着物をかける。

「ここへかけやはって」

私は医者の斜め後の丸椅子に掛ける。

「あんたはんて、恥しがりやな。学生はんのくせに」

Chapter 7 of 16
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