Chapter 1 of 28

教権による重い刑罰によって脅かされたにもかかわらず、地球の自転がついに人類の真実として獲られたことは、思想的歴史の上に深い意味をもっている。このことがまたやがて客観と主観、したがって主体の問題に世界観的変革をもたらす契機ともなったといえるであろう。そのために七年間を獄舎に過し、ついに言をひるがえさずして火刑に処せられしジォルダーノ・ブルーノの natura naturans, natura naturata. の概念は、あたかもスコラ的思想を近代的思想に導く橋梁の重心的支点ともなったと思われる。

コーヘンが指摘するように、カントのコペルニクス的転回によって、スコラ哲学における主観客観の概念は根底的に逆に組織づけられたとも考えられよう(H.Cohen : Kants Begrndung d. Aesthetik S. 103―4)。スコラ的考えかたにおいては客体は主体によって造られるものであり、地的なものはすべて地上的なるもの(ens creatum)であり、一つの不完全なる影の世界である。しかるに地的なるものと地上的なるものが、世界観の変革と共に、空間的解体によって崩壊し、自然の基礎にはむしろ数学的秩序が主宰し、宗教的神秘的主体性が排除されるにいたったのである。このことは世界図式的に人類思想史の根底的動揺でなければならない。この自然的経験の数学的秩序による基礎づけの方向において最も類型的なものは、すなわちデカルト、スピノザ、ライプニッツ、カントをつなぐ線であろう。しかし、デカルトにおいても、ハイデッガーに指摘さるるように、ego cogito はいまだ ens creatum としての実体性を脱却しえず、また新カント派によって修正されたごとく、カントにおいても主観の心理性が残留していたのである。存在論が Existenz の考えかたをもってこの実体性をより深い分解にまでもたらし、新カント派が Funktion の考えかたをもって心理性を解体したのも、実にこのコペルニクス的転回の方向にそうところの遠き延長であるといえよう。

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