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Azuma Bridge
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Azuma Bridge
永井荷風
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Nguyên bản Public Domain
Chapter 3 of 3

三

或日の朝も十時過。毎夜泊りの客を連込む本所の河岸の宿屋を出て、電車通でその客とわかれ、道子は三ノ輪の裏通りにあるアパートへ帰つて来ると、窓の下は隣の寺の墓地になつてゐる木の間から、今朝は平素よりも激しく匂ひわたる線香の烟が風になびいて部屋の中まで流れ込んでくるやうにも思はれた。

昼寐の夜具を敷きながら墓地の方を見下すと、いつも落葉に埋れたまゝ打棄てゝある古びた墓も今日は奇麗に掃除されて、花や線香が供へられてゐる。本堂の方では経を読む声、鉦を打つ音もしてゐる。道子は今年もいつか盆の十三日になつたのだと初めて気がついた時である。聞き馴れぬ女の声を聞きつけ、又もや窓から首を出して見ると、日本髪に日本服を着た奥さまらしい若い女と、その母親かとも思はれる老婆の二人が、手桶をさげた寺男に案内されて、石もまだ新しい墓の前に立つて、線香の束を供へてゐる。

道子はふと松戸の寺に葬られた母親の事を思ひ起した。その当時は小岩の盛り場に働いてゐたゝめ、主人持の身の自由がきかず、暇を貰つてやつと葬式に行つたばかり。それから四五年たつた今日、母親の墓は在るのか無いのかわからないと思ふと、何やら急に見定めて置きたい気がして、道子は敷いた夜具もそのまゝにして、飯も食はず、明けた窓を閉めると共に、再び外へ出た。

道子は上野から省線電車に乗り松戸の駅で降りたが、寺の名だけは思出すことができたものゝ、その場処は全く忘れてゐるので、駅前にゐる輪タクを呼んでそれに乗つて行くと、次第に高くなつて行く道が国府台の方へと降りかけるあたり。松林の中に門の屋根を聳かした法華寺で、こゝも盆の墓参をするらしい人が引きつゞき出入をしてゐた。すぐに庫裏の玄関先へ歩み寄ると、折よく住職らしい年配の坊さんが今がた配達されたらしい郵便物を見ながら立つてゐたので、

「一寸伺ひますが、アノ、アノ、田村と云ふ女のお墓で御在ますが、アノ、それはこちらのお寺で御在ませうか。」と道子は滞り勝ちにきいて見た。

坊さんは一向心当りがないと云ふやうな面持をしながら、それでも笑顔をつくり、

「御命日はいつ頃です。お葬式は何年程前でした。」

道子は小岩の色町へ身売をした時の年季と、電話の周旋屋と一緒に暮した月日とを胸の中に数へ返しながら、

「お葬式をしたのは五年ばかり前で、お正月もまだ寒い時分でした。松戸の陣前にゐる田村といふ百姓家の人がお葬式をしてくれたんで御在ますが……。」

「あゝさうですか。今調べて見ませう。鳥渡待つて下さい。そこへ御掛けなさい。」

坊さんは日本紙を横綴にした帳面を繰り開きながら、出て来て、「わかりました。わかりましたが、お墓はそれなり何のおたよりがないので、そのまゝにしてあります。お墓はありません。あなたは御身寄の方ですか。」

道子は葬られた者の娘で、東京で生活をしてゐるのだと答へ、「お墓が無いのなら、ちやんとした石を立てたいんですが、さうするにはどこへ頼んだら、いゝのでせう。」

「それはこの寺で知つてゐる石屋がありますから、そこへ頼めばすぐこしらへてくれます。」

「それぢや、わたくしお頼みしたいんですけど、石は一体どれ程かゝるものでせうか。」

「さうですね、その辺に立つてゐるやうな小さな石でも、戦争後は物価がちがひますからな、五六千円はかゝるつもりでないと出来ません。」

道子は一晩稼げば最低千五六百円になる身体。墓石の代金くらい更に驚くところではない。冬の外套を買ふよりも訳はない話だと思つた。

「今持合してゐませんけど、それくらいで宜しいのならいつでもお払ひしますから、どうぞ石屋へ、御面倒でもお話して下さいませんか。お願ひ致します。」

坊さんは思ひ掛けない好いお客と見たらしく、俄に手を叩いて小坊主を呼び茶と菓子とを持つて来させた。

道子は母のみならず父の墓も――戦災で生死不明になつた為め、今だに立てずにある事を語り、母の戒名と共に並べて石に掘つて貰ふやうに頼み、百円札二三枚を紙に包んで出した。坊さんは道子の孝心を、今の世には稀なものとして絶賞し、その帰るのを門際まで送つてやつた。

道子はバスの通るのを見て、その停留場まで歩き、待つてゐる人に道をきいて、こんどは国府台から京成電車で上野へ廻つてアパートに帰つた。

夏の盛の永い日も暮れかけ、いつもならば洗湯へ行き、それから夕飯をすますと共に、そろ/\稼ぎに出掛ける時刻になるのであるが、道子は出がけに敷いたまゝの夜具の上に横たはると、その夕ばかりはつかれたまゝ外へは出ずに眠つてしまつた。

次の日の夕。道子はいつよりも少し早目に稼ぎ場の吾妻橋へ出て行くと、毎夜の顔馴染に、心やすくなつてゐる仲間の女達の一人が、

「道ちやん。昨夜どうしたの。来なくつてよかつたよ。」

「うるさかつたのかい。わたし母さんの、田舎のお寺へお墓参りに行つたんでね。昨夜は早く寐てしまつたんだよ。」

「宵の口には橋の上で与太の喧嘩があるし、それから私服がうるさく徘徊いてゝね、とう/\松屋の横で三人も挙げられたつて云ふはなしなんだよ。」

「ぢや、ほんとに来なくつてよかつたね。来たら、わたしもやられたかも知れない。やつぱりお寺の坊さんの言ふ通りだ。親孝行してゐると悪い災難にかゝらないで運が好くなるツて、全くだよ。」

道子はハンドバツグからピースの箱を取出しながら、見渡すかぎりあたりは盆の十四日の夜の人出がいよ/\激しくなつて行くのを眺めた。(昭和廿八年十二月作)〔一九五七(昭和三二)年一一月一〇日、中央公論社『あづま橋』〕

●図書カード

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