Chapter 1 of 1

Chapter 1

とど、俺としたことが、笑ひ出さずにやゐられない。

思へば小学校の頃からだ。

例へば夏休みも近づかうといふ暑い日に、

唱歌教室で先生が、オルガン弾いてアーエーイー

すると俺としたことが、笑ひ出さずにやゐられなかつた。

格別、先生の口唇が、鼻腔が可笑しいといふのぢやない、

起立して、先生の後から歌ふ生徒等が可笑しいといふのでもない、

それどころか、俺は大体、此の世に笑ふべきものがあらうとは思つちやゐなかつた。

それなのに、とど、笑ひ出さずにやゐられない。

すると先生は、俺を廊下に立たせるのだつた。

俺は風のよく通る廊下で、随分淋しい思ひをしたもんだ。

俺としてからが、どう反省のしやうもなかつたんだ。

別に邪魔になる程に、大声で笑つたわけでもなかつたし、

それにしてもだ、先生がカン/\になつてたことは事実だし、

先生自身何をそんなに怒るのか知つてゐぬらしいことも事実だし、

俺としたつて意地やふざけで笑つたわけではなかつたのだ。

俺は廊下に立たされて、何がなし、「運命だ」と思ふのだつた。

大人となつた今日でさへ、さうした悲運はやみはせぬ。

夏の暑い日に、俺は庭先の樹の葉を見、蝉を聞く。

やがて俺は人生が、すつかり自然と遊離してゐるやうに感じだす。

すると俺としたことが、とど、笑ひ出さずにやゐられない。

格別俺は人生がどうのかうのと云ふのではない、

理想派でも虚無派でもあるわけではない。

孤高を以て任ずるなどといふのぢや尚更ない。

しかし俺としたことが、とど、笑ひ出さずにやゐられない。

どうして笑はざゐられぬか、実以て俺自身にも分らない。

しかしそれが結果する悲運ときたらだ、いやといふほど味はつてゐる。

(一九三七・七・一二)

●図書カード

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