Chapter 1 of 4

一 半沙漠地帯の農業

アメリカの地図を頭に浮べてみよう。太平洋岸の太陽と水とに恵まれた細長い地域、即ちカリフォルニア州の一部は、大部分の土地が、一年二毛作、作物によっては三毛作も可能といわれる地上の楽園である。

しかし一旦ネバダ山脈を越し、太平洋の水域を離れると、急に荒涼たる沙漠地帯にはいる。ネバダ州、ユタ州から南方にかけての諸州は、大部分の土地が恐しい沙漠であって、わずかに緑の土地があっても、それも半沙漠地帯である。

一面に高台の盆地になっていて、ロッキー山脈がその東側の境をなしている。盆地といっても、その一部であるネバダ州が、現在の日本の全面積よりわずかばかり狭いくらいであるから、その広さが想像されるであろう。

ロッキーを越すと、大西洋の水域に入る。即ちロッキー山系の東側から流れ出る水は、もはや沙漠の中で消えることはない。それは日本などでは想像の出来ない長い流路をとって、けっきょく大西洋に入る。しかしその最初の地域、即ちモンタナ州からコロラド州にかけて、土地は高く、水利は少なく、けっきょく高地性の半沙漠地域をなしている。コロラドの首都デンバー市の標高は、一マイルあるので、「一マイル市」という呼び名がついている。

これらの州から、その東側の諸州にかけて、即ちミズリイ河の流域になっている広茫たる地域は、みなこの半沙漠的な気候の土地である。土地が高いために、冬の間は降雪があり、あるいは土地が凍るので、耕作は出来ない。しかし夏は日射が非常に強く、その上夏中降雨量が極めて少ない。毎日毎日やきつけるような太陽が、この乾燥し切った土地に照り映えている。土質はあまり良くないが、太陽には恵まれているので、水さえ十分にあれば、この地域はかなり豊饒な耕作地となり得る。

アメリカの農業は、いうまでもなく、ほとんど全部畑作である。そして灌漑による畑作が、これらの半沙漠的な地域を、極めて豊かな耕地にしているのである。前にカリフォルニア州は、水と太陽とに恵まれているといったが、実はカリフォルニア州の大部分も、この畑灌漑によって初めてその天恵を十分に利用しているのである。

灌漑による畑作は、主として蔬菜について行なわれている。小麦やとうもろこしのようないわゆる主食の場合は、作付面積が広いので、完全な灌漑はとても出来ない。これらの主食は、たいていは二千エーカー程度(一エーカーは約四反余)というとんでもない広い地域に作付されている。そして耕土、作付、除草、収穫と、全農業過程が、機械によって処理されている。

畑作灌漑というのは、畑の畝を少し高くして、畝と畝との間に水を流すのである。従って畑は完全に平らである。そういう水面のように平らな畑を、数千エーカーの土地について求めることはもちろん出来ない。それで主食は今日でも、まだ粗放な乾燥農業をしている。

半沙漠地帯における乾燥農業は、急激に地力を消耗させる。それでコロラド州などでは、全面積を二分して、半分だけに作付をして、残りの半分を一年間休ませているところが多い。よく行なわれている方法は、小麦に牧草を混播し、麦を苅ったあとこの牧草をのばす方法である。牧草は翌年はそのままにしておいて、飼糧をとり、二年目の春掘り起して緑肥にする。そしてまた麦と牧草とを混播する。麦から見れば二年一毛作である。日本ではちょっと考えられないことであるが、このようにして、ようやく地力を保持しているのである。

日本人のような勤勉な農家にとっては、灌漑による蔬菜栽培が、経営上有利である。それでコロラド州の日本人農家は、この灌漑畑作をしているのが、大多数だということである。

灌漑溝と水利権とは、畑についていて、それが畑の値段をきめる主な要素になっている。たいていは湖のような大きい貯水池をもっていて、普段は川から直接に水を取っているが、渇水期には、この貯水池から取る。当然なことではあるが、それがちゃんと出来ている点がいい。

ところで、畑の畝間にそれを引くとすると、前にもいったように、畑の勾配が、正確に一定になっている必要がある。そして上手の畑のふちに沿って、灌漑溝の分岐溝を作っておく。この分岐溝は、たいていは一インチ厚くらいの木の板で作り、平生は水を通しておかない。幅は一尺五寸くらい、深さも大体その程度である。二日か三日に一回、この分岐溝へ灌漑溝から水を引いて、畝間の溝の一本一本に水を入れる。畑の畝は分岐溝に直角になっていて、真直に二町か三町くらい続いている。一枚の畑は、幅が四十間から五十間くらい、長さが二町から三町あって、縦にずっと畝が通っているわけである。

畝間の距離、即ち畝幅が問題であるが、日本のように畝幅が一尺とか一尺二寸とかいうのでは、その間に水を引くことはむつかしい。ここではたいていの作物、トマトとかレタスとか胡瓜とかいうものは、畝幅が四フィート(ほぼ四尺)になっていて、株間も四フィートというのがきまりのようである。

畝幅四フィートのうち、三フィートくらいが畝で、畝間の溝が一フィートくらいある。その幅一フィートの溝に、上手からどんどん水を入れてやると、水は真直な線になって、畑の向う側まで流れる。長さ二町ないし三町の細い水の線が、一枚の畑一杯に七十本八十本と並んで、真直に流れている様子は、実に美事である。普通は三、四時間水を流すと、畝の下まですっかり水が浸みるので、水門をとじることにしている。

分岐溝からこの畝間の溝に一定量の水を入れるのは、非常にむつかしい。というのは、流入量を正確に一定にして、畑に浸みる水の量だけ、あるいはそれよりほんの少し多い量だけを、流し入れてやらなければならないからである。つい近年までは、畝間の溝一本一本毎に分岐溝から狭い水の取入口を作っていたが、ちょっとでも水が多く流れ込むと、畑の中であふれ、畝がこわされてしまう。それでその見張りが非常に辛い仕事であった。

ところが二、三年前から、分岐溝からサイフォンで水を入れるようになって、仕事が非常に簡単になった。合成樹脂で作った直径一インチくらいの曲った管を、サイフォンに使うのである。管には直径一インチ半、二インチ、二インチ半といろいろの太さのものがあって、畑によって、適当な太さのものを使う。サイフォンならば、流れ入る水の量は、放っておいても一定になるので、実に便利である。

誰が考えてもすぐ気のつくこのサイフォン法を、つい一昨年頃まで誰も使わず、長い間要らない苦労をしていたというのは、ちょっと面白い話である。アメリカくらい科学と工業との発達した国でも、こういう小さい改良というものは、今でもあるのである。

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