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穀神としての牛に関する民俗
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穀神としての牛に関する民俗
中山太郎
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Chapter 5 of 5

田遊びの牛の役と雨乞の牛の首

穀神として崇拝されただけに、牛と農耕との民俗は、各地に渉り夥しきまでに存している。古い形式を残した田遊びの神事には、必らず牛が出るが、稀には生きた本物が出るのがある。富山県射水郡下村の加茂神社の春季祭に牛乗式が行われるが、この牛は昔から飛騨より借りて来る。王鼻の仮面をつけた祠官が青竹の弓に白紙の羽の矢を番えて牛に乗り、天下泰平、五穀成就と三唱して放ち、拝殿へ向って乗り出すと、参詣の群集が牛を取囲みこれを押しつぶそうと犇きあい、牛がつぶれると豊年なりとて歓声をあげる。牛の損料は玄米一俵だが、押しつぶされた際は二俵だという。縁喜を祝うての祝儀である。播州明石市の稲爪神社の例祭には、牛乗権兵衛という神事がある。牛乗りを承る者は、顔へ白粉を塗り額へ大の字を墨書し、裃を着し赤青紙張りの笠を破り、手に長い竹弓と蕪矢を持つ。牛の口取りは持主で焙烙を被るが式は社頭と当宿で祝言を述べるだけである。大阪市住吉区平野郷町の杭全神社の御田植祭には、牛を遣って田を鋤く所作がある。この牛は人間が扮するのであるが、何故か牛に扮すると短命になるとて氏子は嫌う。それで無理に酒を飲ませて勤めさせるが、中々牛遣いの命令をきかぬそうだ。これは追儺祭の儺負人や、護法祭の護法実と同じ心理である。

農耕に深い交渉を有する雨乞祭に、牛の首が利用されることは今も昔も全く変る所がない。仁和四年に菅原道真が讃岐の国守として赴任した折に大旱にあい、雨乞せしに大雨あり、国民狂喜したが、その際に滝の宮八幡の社前にあった石彫りの牛までが躍り出し、その為めに石の牛が首を打ったとて、現在でも首折れ寝牛というがある。この不思議な話も牛の首を雨乞に用いた民俗を知るとき、限りなき興味が湧くのである。和歌山県西牟婁郡北富田村庄川に牛屋谷という滝がある。昔から旱魃の時には村民が集まって祈雨するが、総ての方法を尽くしてもなお降らぬ際は、牛の首を切って、滝壺の柵に置き藤蔓で堅く結え付け後を見ずに帰って来る秘法を行うことになっている。福島県南会津郡大戸村の雨乞は、猿丸太夫の古跡という上の沼へ、牛の頭を投げ込むのであるが、この事は大正十三年七月の大旱にも行われた。広島県双三郡八幡村を同じ大正十三年九月に旅行した人の報告によると、同村矢淵ノ滝口に生えている藤に、血の滴るような牛の生首が二つまで結え付けてあったが、これは祈雨の作法だとある。まだこの外に静岡県や兵庫県にも、この種の呪術が行われているが、同じ作法なので省略した。

注連縄を牛血に浸し、それを村の入口に張って悪疫の襲来を防ぐことや、生ける牛を建築の犠牲として埋めることなど、書けば牛のよだれのように限りもなくあるが、概略を尽くしたので擱筆する。

●図書カード

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