片言ながらも外国に後れなかった思想
明治の初年頃には随分思いきった政治論も社会改良論も行われた。さすがに知識を世界に求むるという御旨意の発表された際であっただけに、外国の思想を危険なりなどという者なく、上下共にこれを歓迎し、旧来の陋習を打破するに更に躊躇しなかった、その頃盛に行われた標語は自由民権であった。殊に自由なる言葉は当時の人々には耳新しく聞えた、従来日本の通用語ではあったが、政治的意味を加味したのは恐らく明治になってからであろう。少くとも明治になって輸入された英語の「リバーチー」あるいは「フリードム」なる言葉が自由と訳され、政治上新しい思想といえば必らずこの文字を用いねばならないように思われた。日頃僕は日本の政治的思想が英国に比して少くとも六十年後れているというているが、明治十年前に行われた自由論だけは片言ながら大して時世後れでなかったようである。丁度その頃英国ではミル氏の自由論が盛に批評されていたようである。勿論その前にもかの国では民権自由が盛に唱えられたのみならず実際の政治問題となり、またただに論題となれるのみならず事実上政治運動となったことは歴史を見ても明であるが、さてこの自由なるものに就て学術的に冷静にその根柢を論じたのは恐らくミル氏に優る者はあるまい。同氏の著述は一の小冊に過ぎぬけれども、その内容の深いことは五十年後の今日もなお尊敬に値する。僕は一昨年旅行の際、途中客舎の読物にするため同書を携帯して歩いたが、一頁読むごとに大正の政治家並に青年に一読を勧めたいとまで思った。これに次て同氏と議論を闘わした有名な裁判官スチーブン氏の「自由、平等、親睦」の一書の如きは今日絶版になっているものの、なおその論鋒の鋭利と思想の深奥なるとに就ては識者間に名著として認められ、独逸のリーベル博士の自由論よりは寧ろ標準的著述と推されているようである。知らず知らず学校教員の癖を出し古本の談に惑わせたことに付ては読者の許容を乞わねばならぬ。