一
「親分は、本當に眞面目に聞いて下さるでせうか、笑つちや嫌で御座いますよ」
「藪から棒に、そんな事を言つても判りやしません。もう少し順序を立てて話して見て下さい。不思議な話や、變つた話を聞くのが、言はゞ私の商賣みたいなものだから、笑ひも何うもしやしません」
錢形の平次は、凡そ古文眞實な顏をして、若い二人の女性に相對しました。捕物の名人と言はれてゐる癖に、滅多に人を縛らないから、一名縮尻平次ともいふ、讀者諸君にはお馴染の人物です。
二人の女といふのは本町三丁目の糸屋の娘お雛と、その女中のお染、お雛はまだ十七ですが本町小町といはれた美しさ。本當に透き通るやうな江戸前の娘で、お染は平次の女房お靜のお針友達で、この時は二十一二、少し縁遠い顏立ですが、その代り口の方は三人分も働きます。
根岸の寮に居るお雛主從が、何か思案に餘ることがあつて、錢形の平次の宅を訪ねたのは、若菜時のよく晴れた日で、久し振りのお靜に逢つても、ろくに話もせずに、いきなり平次に引合せて貰つて、こんな調子に切り出したのでした。
「ね、親分。親分はお化とか幽靈とかいふものが此世にあると思ひますか」
とお染。お盆のやうな顏を緊張さして、果し眼で詰め寄るのを見ると、義理にも幽靈がないなどとは言はれさうもありません。
「あるとも言ひ、ないとも言ふが、私は見たことがないから何とも言へませんよ」
藍微塵の袷を、膝が破れさうに坐つて、此時代では何よりの贅澤とされた銀の吸口のチヨツピリ付いた煙管で煙草盆を引寄せる平次は、若くて好い男ながら、何となく捕物の名人らしい貫祿が備はつて居ります。
「そのお化が出るんですよ、親分」
「何處へ?」
「お孃樣と坊ちやまがいらつしやる、根岸の寮に」
「へエ――少し詳しく話して見なさるがいゝ。岩見重太郎のやうに、乘込んで退治といふわけには行かないが、事と次第によつちや、お化けを縛るのも洒落て居るだらう」
「親分、冗談や、拵へ事ぢや御座いません。これは、現に、私もお孃樣も見た話で、その爲に坊ちやまは、熱を出したり、引付けたりする騷ぎですよ」
お染は自分の雄辯を試みる機會を狙つて居たやうに、勢ひ込んで話し始めました。
本町三丁目の糸物問屋、近江屋といふのはその頃の萬兩分限の一人ですが、二三年前に主人が亡くなり、續いて一年ばかり前に、母親が死んで、今は、主人の弟、友二郎が支配人として、店の方一切を取仕切り、娘のお雛と、その弟で四つになつたばかりの富太郎に、女中のお染と下男の六兵衞を附けて、根岸の寮に置き、專ら身體の弱い富太郎の養生をさせて居りました。
友二郎は四十年配、先代の實弟で、まことによく出來た人間ですが、何分店の方が忙しいので、滅多に寮を見舞つて居る暇もありません。それでも、三日に一度、七日に一度づつは、泊りがけにやつて來て、姪のお雛の美しく生ひ立つのと病弱な富太郎が、少しづつでも丈夫になるのを見て歸りました。
お雛には先代が取決めた重三といふ許婚があります。これは遠縁の者で、奉公人同樣店で働いて居りますが、お雛より八つ年上の二十五で、もう愚圖々々しては居られないのですが、何分お雛がまだ若いのと、母親が死んで一年も經たないので、祝言の盃をするわけにも行きません。併し、根岸の寮は無人なので、叔父の友二郎に差支へのある時はなるべく行つて泊まることにして居ります。
女のやうに物優しい働き者で、お雛の叔父の友二郎にも信用があり、ことにお雛の弟の富太郎は、重三でなければ夜も日も明けないやうな騷ぎをしますが、何分店の方が忙しいので。毎晩根岸まで行つてやるわけにも行きません。
お雛は娘らしい恥かしさのせゐか、重三とはろくに口もきゝませんが、いづれ母の忌が明けさへすれば、改めて祝言をさした上、別に小さい世帶でも持たせることになつて居りますから、嫌ひといふ程ではなく、從つて默つてその運命を待つて居る強でせう。
かうして日は無事に過ぎましたが、何時の頃からか、總領の富太郎は蟲の氣がひどくなつて、夜分にひどくうなされたり、物驚きをしたり、時々は引付けたり、次第に糸の如く痩せ細つて、頼りない有樣になつて行くのでした。
「坊ちやまにお訊きすると、夜中にお化が出る、とかう仰しやるんですよ。染や、何とかしておくれ、重三、重三――と、時々はむづかりなさいますが、どんなお化が出るのやら、一向見當が付きません」
お染はかう言ひながらも、幼い富太郎が、目に見えぬあやかしに惱まされて、夜と共に怯えて泣き騷ぐ怖ろしさを思ひ出したものか、肥つちよの肩を縮めて、ゾツと身を顫はせました。
「その坊ちやんは、誰と一緒に寢て居なさるのかい」
と平次。
「いえ、疳の強いお子さんで、そんなに物驚きをなさりながらも、どうしても誰とも一緒にお休みになりません。仕方が御座いませんので、お孃樣か私が、床を並べて、お佛壇の前に休んで居ります」
「お佛壇の前?」
「え、それにもわけが御座います。去年御新造樣がお亡くなりになる時、大事なものは私の魂と一緒に佛壇の中に入れてあるから、お孃樣かお坊ちやまは必ず此處で休むやうと仰しやつたので御座います」
「フーム、大分話が面白さうだな。ところで、その坊ちやんが怯えるのは毎晩の事かい」
「いえ、時々で御座います」
「番頭の友二郎さんの泊つて居る時とか、手代の重三さんの泊つて居る時とか、決つては居ないのか」
「それが不思議で御座いますよ、親分。重三さんの泊つた時は何ともなくて、番頭さんの泊つた時に限つて、お坊ちやまは怯えなさるんです」
「――」