Chapter 1 of 8

「銭形の親分さん、お助けを願います」

柳原土手、子分の八五郎と二人、無駄を言いながら家路を急ぐ平次の袖へ、いきなり飛付いた者があります。

「何だ何だ」

後ろから差し覗くガラッ八。

「どこか斬られなかったでしょうか、いきなり後ろからバサリとやられましたが――」

遠灯に透かせば、二十七八の、芸人とも、若い宗匠とも見える一風変った人物。後ろ向きになると、絽の羽織は貝殻骨のあたりから、帯の結びっ玉のあたりへかけて、真一文字に斬り下げられ、大きく開いた口の中から、これも少し裂かれた単衣が見えるのでした。

「大丈夫、紙一枚というところで助かったよ。ひどいことをする奴があるものだね。辻斬にしちゃ不手際だが――」

平次はさすがに、斬り口の曲った工合から、刃先の狂いを見て取りました。

「辻斬なら仔細はございませんが、――この間から、時々こんなことがありますので、油断がなりません」

男は真夏の夜のねっとり汗ばむ陽気にも拘わらず、ぞっとした様子で肩を顫わせました。町の灯の方へ向くと、青白い弱々しい顔立ちで、色恋の沙汰でもなければ、命を狙われそうな柄ではありません。

「そいつは物騒だ。命を狙われちゃ、いい心持のものじゃあるめえ。――送って行ってあげよう。お前さんの家はどこだえ」

「横山町まで参ります」

「横山町?」

「遠州屋の者で」

「遠州屋は大分限だが――店の者にしちゃ」

平次は頸を捻りました。絽の羽織、博多の帯、越後上布の単衣、――どう見ても丁稚や手代の風俗ではありませんが、仔細あって、横山町の遠州屋の主人はツイ先頃非業の死を遂げ、跡取りはまだほんの子供だという話を聞いていたのでした。

「甥の金之丞と申します」

「それじゃ、能役者をしていた好い男てえのはお前さんかい」

ガラッ八の八五郎は、ツケツケしたことを言って、金之丞と名乗る男の顔を差し覗きました。

「お恥ずかしいことでございます」

「恥ずかしがることはねえが、命なんか狙われるようじゃ、好い男に生れつくのも考えものだね」

と八五郎。

「安心しろよ。手前なんかは、生れ変ったって、財布や命の狙われっこはねえ」

平次はツイ口を容れました。金之丞の恐れ入った調子と、それに対照して、八五郎のトボケた調子が、たまらなく平次の好謔心を嗾ったのでしょう。

「お蔭様でね」

「怒るなよ、八。その方が無事でいいぜ」

平次は尚も追及しました。

「全くでございます、親分さん。命を狙われるのが、こんなにイヤなものとは、思ってもみませんでした。二階から突き転がされたり、知らない人から喧嘩を吹っかけられたり、食物へ石見銀山が入っていたり、――」

「そんな物騒な身体を、なんだって亥刻(十時)過ぎの柳原なんか持って歩くんだ」

平次の調子は少し腹立たしそうでした。辻斬と夜鷹の跳梁する柳原を、真面目な人間が通るにしては、全く遅すぎました。

「いやなことばかりございますので、明神様へ七日間の日参を心掛けました。――今日満願という日、意地の悪いことに、朝から客と用事が立て込んで、どうしても出られません。今考えてみると、それも私を狙う者の細工だったかも知れませんが、とにかく、身体が明いてホッとしたのは、戌刻半(九時)過ぎじゃございませんか」

「…………」

「お詣りを済まして、明神坂を下ると、変な男が、後ろからヒタヒタと跟いて来るじゃありませんか。こちらが急げば向うも急ぎ、立ち停れば立ち停り、怪しいとは思いましたが、往来の人をとがめるわけにも参りません。筋違を入ってここまで来ると、いきなり後ろから、一太刀浴びせられたような気がしましたが、振り向いて見る気もしません」

「…………」

「親分さんをお見かけした時は、本当に夢中で飛付いてしまいました」

「こんなに暗いのに、よく私ということが判ったね」

「それはもう、助かりたい一心で――」

そんな話をしているうちに、三人は横山町の遠州屋の前に来ておりました。

「お礼と申しちゃ何ですが、お茶でも入れて、ゆっくり申上げたいこともございます」

しきりに引止める金之丞の手を振り切って、平次とガラッ八は夜の街を家路に引返しました。

Chapter 1 of 8