Chapter 1 of 8

元日の昼下り、八丁堀町御組屋敷の年始廻りをした銭形平次と子分の八五郎は、海賊橋を渡って、青物町へ入ろうというところでヒョイと立止りました。

「八、目出度いな」

「ヘエ――」

ガラッ八は眼をパチパチさせます。正月の元日が今はじめて解ったはずもなく、天気は朝っからの日本晴れだし、今さら親分に目出度がられるわけはないような気がしたのです。

「旦那方の前じゃ、呑んだ酒も身につかねえ。ちょうど腹具合も北山だろう、一杯身につけようじゃないか」

平次はこんな事を言って、ヒョイと顎をしゃくりました。なるほど、その顎の向った方角、活鯛屋敷の前に、いつの間に出来たか、洒落た料理屋が一軒、大門松を押っ立てて、年始廻りの中食で賑わっていたのです。

「ヘエ――、本当ですか、親分」

ガラッ八の八五郎は、存分に鼻の下を長くしました。ツイぞこんな事を言ったことのない親分の平次が、与力笹野新三郎の役宅で、屠蘇を祝ったばかりの帰り途に、一杯呑み直そうという量見が解りません。

「本当ですかは御挨拶だね。後で割前を出せなんてケチな事を言う気遣いはねえ。サア、真っ直ぐに乗り込みな」

そう言う平次、料理屋の前へ来ると、フラリとよろけました。組屋敷で軒並嘗めた屠蘇が、今になって一時に発したのでしょう。

「親分、あぶないじゃありませんか」

「何を言やがる。危ねえのは手前の顎だ、片付けておかねえと、俺の髷節に引っ掛るじゃないか」

「冗談でしょう、親分」

二人は黒板塀を繞らした、相当の構えの門へ繋がって入って行きました。

真新しい看板に『さざなみ』と書き、浅黄の暖簾に鎌輪奴と染め出した入口、ヒョイと見ると、頭の上の大輪飾りが、どう間違えたか裏返しに掛けてあるではありませんか。

「こいつは洒落ているぜ、――正月が裏を返しゃ盆になるとよ。ハッハッ、ハッハッ、だが、世間付き合いが悪いようだから、ちょいと直してやろう」

平次は店の中から空樽を一挺持出して、それを踏台に、輪飾りを直してやりました。

「入らっしゃい、毎度有難う存じます」

「これは親分さん方、明けましてお目出度うございます。大層御機嫌で、へッ、へッ」

帳場にいた番頭と若い衆、掛け合いで滑らかなお世辞を浴びせます。

「何を言やがる、身銭を切った酒じゃねえ、お役所のお屠蘇で御機嫌になれるかッてんだ」

「へッ、御冗談」

平次は無駄を言いながら、フラリフラリと二階へ――

「お座敷はこちらでございます。二階は混み合いますから」

小女が座布団を温めながら言うのです。

「混み合った方が正月らしくていいよ。大丈夫だ、人見知りするような育ちじゃねえ。――もっともこの野郎は酔が廻ると噛み付くかも知れないよ」

平次は後から登って来るガラッ八の鼻のあたりを指さすのでした。

小女は苦んがりともせずに跟いて来ました。二階の客は四組十人ばかり、二た間の隅々に陣取って正月気分もなく静かに呑んでおります。

「そこじゃ曝し物みたいだ。通りの見える所にしてくれ」

部屋の真ん中に拵えた席を、平次は自分で表の障子の側に移し、ガラッ八と差し向いで、威勢よく盃を挙げたものです。

「大層な景気ですね、親分」

面喰らったのはガラッ八でした。平次のはしゃぎようも尋常ではありませんが、それよりも胆を冷したのは、日頃堅いで通った平次の、この日の鮮やかな呑みっ振りです。

「心配するなよ。金は小判というものをフンダンに持っているんだ。なア八、俺もこの稼業には飽々してしまったから、今年は一つ商売替をしようと思うがどうだ」

「冗談で――親分」

「冗談や洒落で、元日早々こんな事が言えるものか。大真面目の涙の出るほど真剣な話さ。ね、八、江戸中で一番儲かる仕事は一体なんだろう。――相談に乗ってくれ」

そう言ううちにも、平次は引っ切りなしに盃をあけました。見る見る膳の上に林立する徳利の数、ガラッ八の八五郎は薄寒い心持でそれを眺めております。

「儲かる事なんか、あっしがそんな事を知っているわけがないじゃありませんか」

「なるほどね。知っていりゃ、自分で儲けて、この俺に達引いてくれるか。――有難いね、八、手前の気っぷに惚れたよ」

「…………」

ガラッ八は閉口してぼんのくぼを撫でました。

「――もっとも、手前の気っぷに惚れたのは俺ばかりじゃねえ。横町の煮売屋のお勘ん子がそう言ったぜ。――お願いだから親分さん、八さんに添わして下さいっ――てよ」

「親分」

「悪くない娘だぜ。少し、唐臼を踏むが、大したきりょうさ。どっちを見ているか、ちょっと見当の付かない眼玉の配りが気に入ったよ。それに、あの娘はときどき垂れ流すんだってね、とんだ洒落た隠し芸じゃないか」

「止して下さいよ、親分」

「首でも縊ると気の毒だから、なんとか恰好をつけておやりよ、畜生奴」

「親分」

ガラッ八はこんなに驚いたことはありません。銭形平次は際限もなく浴びせながら、滅茶滅茶に饒舌り捲って二階中の客を沈黙させてしまいました。

四組のお客は、それにしてもなんというおとなしいことでしょう。そのころ流行った、客同士の盃のやりとりもなく、地味に呑んで、地味に食う人ばかり。そのくせ、勘定が済んでも容易に立とうとする者はなく、後から後からと来る客が立て込んで、いつの間にやら、四組が六組になり、八組になり、八畳と四畳半の二た間は、小女が食物を運ぶ道を開けるのが精いっぱいです。

「なア、八、本当のところ江戸中で一番儲かる仕事を教えてくれ、頼むぜ」

平次はなおも執拗にガラッ八を追及します。

「泥棒でもするんですね、親分」

ガラッ八は少し捨鉢になりました。

「なんだとこの野郎ッ」

平次は何に腹を立てたか、いきなり起上がってガラッ八に掴みかかりましたが、さんざん呑んだ足許が狂って、見事膳を蹴上げると、障子を一枚背負ったまま、縁側へ転げ出したのです。

「親分、危ないじゃありませんか」

飛び付くように抱き起したガラッ八、これはあまり酔っていない上、どんなに罵倒されても、親分の平次に向って腹を立てるような男ではありません。

「ああ酔った。――俺は眠いよ、ここで一と寝入りして帰るから、そっとしておいてくれ」

障子の上に半分のしかかったまま、平次は本当に眼をつぶるのです。

「親分、――さア、帰りましょう。寝たきゃ、家に帰ってからにしようじゃありませんか」

「なにを。女房の面を見ると、とたんに眼がさめる俺だ。お願いだから、ここで――」

「親分、お願いだから帰りましょう、さア」

ガラッ八は手を取って引起します。

「よし、それじゃ素直に帰る。手前これで、勘定を払ってくれ。言うまでもねえが、今日は元日だよ、八、勘定こっきりなんてみっともねえことをするな」

「心得てますよ、親分。――小判を一枚ずつもやりゃいいんでしょう」

「大きな事を言やがる」

ガラッ八は平次を宥めながら、財布から小粒を出して勘定をすませ、板前と小女に、機み過ぎない程度のお年玉をやりました。

「あ、親分、そんな事は、婢にやらせておけばいいのに――危ないなアどうも」

八五郎もハッとしました。平次は覚束ない足を踏締めて、自分の外した障子を一生懸命元の敷居へはめ込んでいるのです。

「放っておけ。俺が外した障子だ、俺が直すに何が危ないものか。おや、裏返しだぜ。骨が外へ向いてけつかる、どっこいしょ」

平次はまだ障子と角力を取っております。

Chapter 1 of 8