一
「親分、何をして居なさるんで?」
ガラツ八の八五郎は、庭口からヌツと長い顎を出しました。
「もう蟻が出て來たぜ八、早いものだな」
江戸開府以來と言はれた名御用聞、錢形平次ともあらう者が、早春の庭に踞んで、この勤勉な昆蟲の活動を眺めて居たのです。
生温かい陽は、平次の髷節から肩を流れて、盛りを過ぎた梅と福壽草の鉢に淀んで居ります。
「大層暇なんだね、親分」
「結構な御時世さ。御用聞が晝近く起出して、蟻や蚯蚓と話をして居るんだもの」
「へツ、へツ、その暇なところで一つ逢つて貰ひ度い人があるんだが――」
「お客は何處に居なさるんだ」
「あつしの家へ飛込んだのを、つれて來ましたよ。少しばかりの知合を辿つて、入谷から飛んで來たんだ相で――」
「何んだつて庭先なんかへ廻るんだ。お客樣が一緒なら、大玄關へ通りや宜いのに」
「へツ、その大玄關は張物板で塞がつて居ますよ――木戸から庭を覗いて下さい、親分が煙草の煙で曲藝をしてゐる筈だから――と、奧方樣が仰しやる」
「馬鹿だなア」
平次の顏は笑つて居ります。自分が馬鹿なのか、女房のお靜が馬鹿なのか、それともガラツ八が馬鹿なのか、自分でも主格がはつきりしない樣子です。
「それに、お客樣は跣足だ。大玄關からは上られませんよ――さア、遠慮はいらねえ、其處から入つて來るが宜い」
ガラツ八は平次へ半分、後ろの客へ半分聲をかけました。
「――」
默つて木戸を押して、庭へ入つて來たのを一と目、平次の顏は急に引き締ります。
取亂しては居りますが、十八九の美しい娘が、足袋跣足のまゝで、入谷から神田まで驅け付けたといふことは、容易のことではありません。それに、平次の早い眼は、娘の帶から裾へかけて、斑々と血潮の附いてゐるのを、咄嗟の間に見て取つたのです。
「まア、此處へ坐つて、氣を落付けるが宜い。話はゆつくり聽かうぢやないか」
「――」
「靜、水を一杯持つて來てくれ」
平次は縁側へ娘を掛けさせると、女房のお靜が汲んで來た水を一杯、手を持ち添へるやうに、娘に呑ませてやりました。
蒼白い顏や、痙攣する唇や、洞な眼から、平次は事件の重大さを一ぺんに見て取つたらしく、何よりこの娘の心持を鎭めて、その口から出來るだけの事を引出さなければと思ひ込んだのです。
「有難うございます」
冷たい水を一と息に呑むと、娘は漸く人心地付いたのでせう。頬の堅さがほぐれて、自分の端たない樣子を耻ぢるやうに前褄を合せたりしました。
「どんな事があつたのだえ――氣分が落付いたら、聽かして貰はうぢやないか」
平次の調子は、年にも柄にも似ず、老成なものでした。
「あの、大變なことになりました」
「大變?」
「父が死にました」
斯う言つた娘は、張り詰めた氣が緩んだものか、いきなりシク/\泣き出しました。
「唯死んだのではあるまい。――自殺したとか、殺されたとか」
娘の着物に目立たぬほどに附いた血を、平次は見て居るのです。
「遺書もありますし、誰も人のゐない部屋で死んでゐたんですから、自殺に違ひない――とお絹さんも近所の衆も言ひますが、私にはどうも腑に落ちないことばかりで――」
娘は思ひの外確り者らしく、次第に納まる興奮と激動の下から、智的なものが閃めきます。
「で、お前さんは?」
平次はまだ、この娘の名も聽かずに居たのでした。
「あツ、ついあの」若い處女らしく初めて眞つ赤になつた娘は、「あの、研屋五兵衞の娘糸と申します」――さう言つて縁側に手を突きました。
「御徒士町の――成程さうか。親御の五兵衞さんが何うしたんだ。最初から順序を立てゝ、詳しく聽かして貰はう」
平次は縁側へ腰を掛けたまゝ、煙草盆を引寄せました。