一
「親分、山崎屋の隠居が死んだそうですね」
ガラッ八の八五郎は、いつにない深刻な顔をして入って来ました。
「それは聴いた。が、どうした、変なことでもあるのかい」
銭形平次は植木鉢から顔を挙げました。相変らず南縁で、草花の芽をいつくしんでいるといった、天下泰平の姿だったのです。
「変なことがないから不思議じゃありませんか」
「そんな馬鹿なことがあるものか」
「でも、ね親分、あの隠居は畳の上で往生の遂げられる人間じゃありませんぜ。稼業とは言いながら何百人、何千人の寿命を縮めたか、解らない――」
「仏様の悪口を言っちゃならねえ」
「死んだ者のことをかれこれ言うわけじゃねえが、ね親分、聴いておくんなさい、このあっしも去年の秋、一両二分借りたのを、半年の間に、一両近え利息を絞られましたぜ。十手や捕縄を屁とも思わない爺イでしたよ」
ガラッ八はそんな事を言いながら、鼻の頭を撫で上げるのでした。
「まさか、十手や捕縄をチラチラさせて金を借りたんじゃあるまいね」
「借りる時は見せるもんですか。もっとも、うるさく催促に来た時チラチラさせましたが、相手は一向驚かねえ」
「なお悪いやな、仕様のねえ野郎だ。お小遣が要るなら、俺のところへ来てそう言えばいいのに、――もっとも、俺のところにも一両と纏まった金は滅多にねえが、いざとなりゃ、質を置くとか、女房を売り飛ばすとか」
「止して下さいよ、親分がそんな事を言うから、うっかり無心にも来られねえ」
ガラッ八は面目次第もない頸筋をボリボリ掻くのでした。
「お葬いが済んで、帳面をしらべたら、借手に御用聞の八五郎の名が出て来た――なんか面白くねえ。お上の御用を勤める者には、それだけの慎みが肝腎だ、――これを持って行って、番頭か若主人にそう言って、帳面から手前の名前だけ消して貰うがいい。それから、忌中の家へ手ブラで行く法はないから、これは少しばかりだが香奠の印だ」
銭形平次はそう言いながら、財布から取出した小粒で一両二分、外に二朱銀を一枚、紙に包んでガラッ八の方に押しやりました。
「ヘエ、相済みません。それじゃこの一両二分は借りて参ります。それからこれは少しばかりだが香奠の印――」
「人の口真似する奴もねえものだ」
「勘弁しておくんなせえ、少し面喰らっているんで」
八五郎は飛んで行きました。同朋町の山崎屋の隠居勘兵衛に、さんざんの目に逢わされた一両二分、死んでからでも返してしまったら、さぞ清々するだろうといった、そんな事しか考えていなかったのですが、行ってみると、それどころの騒ぎではありません。
湯島の崖を背負って、大きな敷地に建った山崎屋の裕福な家の中が、ワクワクするような緊張を孕み、集まった親類縁者近所の衆が、ガラッ八の八五郎を迎えて、固唾を呑むのです。
「御免よ、――内々で番頭に逢いてえが」
「その事でございます、親分さん」
顔見知りの久蔵、――死んだ隠居の配偶の妹の亭主、男芸者などをしていた、評判の宜しくない五十男が、眼顔で八五郎を人気のない奥の一間へ導き入れるのでした。
「番頭か若主人でないと困るが、実は――」
ガラッ八は一両二分の件を切出し兼ねてモジモジしました。
「ヘエヘエ、早速こちらから、お届けするはずでしたが、取紛れてこの始末でございます。もう、あの、お聴きでございましたか、親分さん」
「…………」
「お上のお耳は、早いものでございますなア」
何が何やら解りませんが、ガラッ八の用件とは、だいぶ見当の違った事件が起っている様子です。一両二分と香奠の一朱を懐の中で掴んだまま、ガラッ八は何もかも呑込んで来たような顔をする外はありません。
「言ってみるがいい、――一体どうしてそんな事になったのだ」
「誰が密告したか解りませんが。――お寺から、葬いを断って参りました」
「何?」
ガラッ八も膝小僧を揃えました。寺方が埋葬を断るのは、検屍を受けない変死人の場合で、医者の死亡診断書というもののない時代には、これが犯罪摘発の最後の手段に用いられたのです。
「義兄が死んだのは一昨日の朝で――もっとも夜中に死んでいたのを、下女が朝起しに行って見つけたそうですが、昨夜までも何の障りもなく、お通夜坊主が来て、長いお経をあげて帰りました。それが今朝になって、急にお上の検屍がなきゃ、仏を引取るわけに行かない――とこう言う始末で、ヘエ――」
久蔵はキョトキョトしながら、漸くこれだけのことを打ちあけました。八五郎がその噂を嗅ぎつけて、飛込んで来たと思い込んだのでしょう。