Chapter 1 of 8

「親分、良庵さんが来ましたぜ」

「ヘエ――、朝から変った人が来るものだね、丁寧に通すがいい」

銭形の平次は居ずまいを直して、客を迎えました。服部良庵という町内の本道(内科医)、頭を円めた五十年輩、黄八丈に縮緬の羽織といった、型のごとき風体です。

「親分、早速だが、大徳屋孫右衛門が死んだことはお聞きだろうね」

良庵はろくに挨拶もせずに、キナ臭そうな顔をするのでした。

「聞きましたよ。それがどうかしましたかえ?」

「どうもしないから不思議なんで」

「ヘエ――」

「大徳屋さんは丈夫な人だから、私を招んで身体を診せるのは、せいぜい三年に一度、五年に一度ぐらいのものだが、お酒の席や往来では、月に二三度ずつは逢っている。現に昨日も昌平橋ですれ違って、機嫌の好い挨拶を聞いて別れたばかり、まさか、あれほどの元気者が、一と晩のうちに冷たくなろうとは思わなかった」

「すると?」

平次は膝を進めました。

「早合点をしちゃいけない。ね、親分、私は今死骸を診て来たばかりなんだが、変死でないことだけは確かで」

「…………」

「殺されたわけでも、自害したわけでもなく、卒中でポックリ逝ったに違いないが、どうも、私には腑に落ちないことがあるんでネ。ともかく、親分の耳に入れておけば、後で何か面白くないことが起った時、私の言ったことを思い出して下さるだろうとこう思ってな」

服部良庵はつままれたような調子でした。が、後になって考えると、さすがに長い間の経験と、専門家らしいカンで、大事件の匂いを、この時から嗅ぎ出していたことに思い当りました。

「腑に落ちない――にもいろいろあるだろうが、一体どこがどう腑に落ちなかったんで?」

「胸をはだけて見ると、身体がびっくりするほど痩せていたのが第一の不思議さ」

「…………」

「それに、あんな洒落者が、死顔を見ると不精髯だらけ、その上、白髪染が流れ落ちて、小鬢が真っ白だ――四十になったばかりの孫右衛門さんに白髪があろうとは、この私でさえ気が付かなかったくらいだから、もう少し上等の白髪染を使っていそうなものだが」

「それから?」

「昨日逢った時あんなに元気だったが、死顔を見ると――もっとも死顔は相好の変るものだが、――十歳ぐらいは老けていたよ」

良庵の言うことは取り止めもありませんが、とにかく、大徳屋孫右衛門の死に、一抹の陰影があることは疑いもありません。これだけの報告を済ませると、良庵は、気が軽くなったように、そそくさと帰って行きました。

「八」

その後を見送って、平次は隣の部屋に遠慮しているガラッ八の八五郎を呼びます。

「ヘエ――」

「聞いたろうな」

「障子一重だもの、耳でも塞がなきゃ聞えますよ」

八五郎はニヤリニヤリと膝で這い寄りました。

「それなら言うことはあるめえ、――気の毒だが、また葬いへ行ってくれ」

「やけに葬えが流行るんだね。行きますよ、行くには行きますが、――何を嗅ぎ出しゃいいんで?」

「良庵さんのような、物事に馴れた医者が、せっかくあんなに言ってくれるんだから、念のために皆んなの顔色でも見て来るがいい――こんな霜枯れ時には、葬い酒に酔うのも、洒落ているぜ」

「へッ」

八五郎は平手で額を叩きながら、それでも素直に出かけて行きました。

大徳屋孫右衛門というのは、お蔵前札差衆の一人、先代までは大町人中でも手堅い家風を褒められましたが、孫右衛門の代になると、商売よりは遊びの方が面白くなり、雑俳、楊弓、藤八拳から、お茶も香道も器用一方で齧り廻ると、とうとう底抜けの女道楽に落ち込み、札差の株を何万両かに売り払って、吉原に小判の雨を降らせるという大通気取りの狂態でした。

お蔵前から引越した、松永町の家にだけでも、お柳、お辰、お村と妾が三人、本妻のない気楽さと、諫め手のない無軌道さに、天も恐れず、人にも愧じぬ暮しを続けていたのです。

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