Chapter 1 of 8

伽羅大盡磯屋貫兵衞の凉み船は、隅田川を漕ぎ上つて、白鬚の少し上、川幅の廣いところを選つて、中流に碇をおろしました。わざと氣取つた小型の屋形船の中は、念入りに酒が廻つて、この時もうハチ切れさうな騷ぎです。

「さア、皆んな見てくれ、こいつは七平の一世一代だ――おりん姐さん、鳴物を頼むぜ」

笑ひ上戸の七平は、尻を端折ると、手拭をすつとこ冠りに四十男の恥も外聞もなく踊り狂ふのでした。

取卷の清五郎は、藝者のお袖を相手に、引つきりなしに拳を打つて居りました。貫兵衞の義弟で一番若い菊次郎は、それを面白いやうな苦々しいやうな、形容のしやうのない顏をして眺めて居ります。

伽羅大盡の貫兵衞は、薄菊石の醜い顏を歪めて、腹の底から一座の空氣を享樂して居る樣子でした。三十五といふ、脂の乘り切つた男盛りを、親讓りの金があり過ぎて、呉服太物問屋の商賣にも身が入らず、取卷末社を引つれて、江戸中の盛り場を、この十年間飽きもせずに押し廻つて居る典型的なお大盡です。

「卯八、あの酒を持つて來い」

大盡の貫兵衞が手を擧げると、

「へエ――」

爺やの卯八――その夜のお燗番――は、その頃は飛切り珍しかつたギヤーマンの徳利を捧げて艫から現はれました。

「さて皆の衆、聽いてくれ」

貫兵衞は徳利を爺やから受取つて、物々しく見榮を切ります。

「やんや/\、お大盡のお言葉だ。皆んな靜かにせい」

清五郎は眞つ赤な顏を擧げて、七平の踊とおりんの三味線を止めました。

「この中には、和蘭渡の赤酒がある。ほんの少しばかりだが、その味の良さといふものは、本當にこれこそ天の美祿といふものだらう。ほんの一杯づつだが、皆んなにわけて進ぜ度い。さア、年頭の七平から」

貫兵衞はさう言ひ乍ら、同じギヤーマンの腰高盃を取つて、取卷の七平に差すのでした。

「有難いツ、伽羅大盡の果報にあやかつてそれでは頂戴仕るとしませうか、――おつと散ります、散ります」

野幇間を家業のやうにして居る巴屋七平は、血のやうな赤酒を注がせて、少し光澤のよくなつた額を、ピタピタと叩くのです。

「次は清五郎」

これは主人と同年輩の三十五六ですが、雜俳も、小唄も、嘘八百も、仕方噺も、音曲もいける天才的な道樂指南番で、七平に劣らず伽羅大盡に喰ひ下がつて居ります。

「へエ――オランダ渡りの葡萄の酒。話には聞いたが、呑むのは初めて――それでは頂戴いたします、へエ――」

美しいお蔦にお酌をさせて、ビードロの盃になみ/\と注いだ赤酒。唇まで持つて行つて、フト下へ置きました。

「何うした、清五郎」

少し不機嫌な聲で、貫兵衞はとがめます。

「いえ、少し氣になることが御座います」

「何んだ」

「あれを――氣が付きませんか、橋場のあたりでせう。闇の中に尾を引いて、人魄が飛びましたよ」

「あれツ」

女三人は思はず悲鳴をあげました。

「おどかしてはいけない、多分四つ手駕籠の提灯か何んかだらう」

と貫兵衞。

「そんな事かもわかりません、――あゝ結構なお酒でございました、――もう一杯頂戴いたしませうか」

清五郎は綺麗に呑み干した盃を、お蔦の前に突き付けるのです。

「それはいけない、酒にも人數にも限りがある。その次は菊次郎だ」

「さう仰しやらずにもう一杯、――頬つぺたが落ちさうですよ」

「いや、重ねてはいけない、それ」

貫兵衞が目配せすると、お蔦は清五郎の手から盃をさらつて、菊次郎のところへ持つて行きました。貫兵衞の義理の弟で三十前後、これは苦み走つたなか/\良い男です。

菊次郎もどうやら一杯呑みました。義兄が祕藏の赤酒は、こんな時でもなければ口に入りさうもありません。

續いて藝者のおりんとお袖、お蔦は呑む眞似だけ。大方空つぽになつた徳利は、杯を添へて艫のお燗番のところに返されました。

Chapter 1 of 8