一
「親分、近頃は胸のすくやうな捕物はありませんね」
ガラツ八の八五郎は先刻から鼻を掘つたり欠伸をしたり、煙草を吸つたり全く自分の身體を持て餘した姿でした。
「捕物なんかない方がいゝよ。近頃俺は十手捕繩を返上して、手内職でも始めようかと思つてゐるんだ」
平次は妙に懷疑的でした。江戸一番の捕物の名人と言はれてゐる癖に、時々『人を縛らなければならぬ渡世』に愛想の盡きるほど、弱氣で厭世的になる平次だつたのです。
「大層氣が弱いんですね。あつしはまた、親分の手から投錢が五六十も飛ぶやうな、胸のすく捕物がないと、かう世の中がつまらなくなるんで――」
「お前は娑婆つ氣があるからだよ。俺は御用聞といふ稼業が、時々嫌で/\たまらなくなるんだ」
「そんなことを言つたつて、御用聞がなかつた日にや、世の中は惡い奴がのさ張つて始末が惡くはなりやしませんか。醫者がなきや病氣が蔓こるやうに――」
「醫者と御用聞と一緒にする奴があるかい。醫者は病氣を癒せばいゝが、御用聞は惡い者ばかり縛るとは限らない」
平次の懷疑は果てしもありません。
「江戸中に惡者がなくなつた時、十手捕繩を返上しようぢやありませんか。それまでは手一杯に働くんですね、親分」
「石川五右衞門の歌ぢやないが、盜人と惡者の種は盡きないよ、――尤も世の中に病人が一人もなくなつて、醫者の暮しが立たなくなりや別だが」
平次は淋しく笑ふのです。
「それまでせつせと縛ることにしませうよ。そのうちに、錢形平次御宿と書いて門口へ貼れば、泥棒強請が避けて通る――てなことになりますぜ」
「鎭西八郎爲朝ぢやあるめえし」
無駄な話は際限もありません。丁度その時でした。
「八五郎さん、叔母さんよ」
平次の女房お靜が、濡れた手を拭き/\、お勝手から顏を出しました。
「へエー、叔母さんがこゝへ來るなんか、變な風の吹き廻しだね。意見でもしさうな顏ですか」
「そんなことわかりませんよ。――お連れがあるやうで」
とお靜。
「それで安心した。まさか小言をいふのに、助太刀までつれて來る筈はない」
「古い借金取かも知れないぜ、八。思ひ出して御覽、叔母さんへ尻を持つて行きさうなのはなかつたかい」
平次は少し面白くなつた樣子です。
「脅かしちやいけませんよ親分。古傷だらけで、さうでなくてさへビクビクものなんだから」
「ハツハツハツ、八にも叔母さんといふ苦手があるんだから面白い――此方へ通すがいゝ。お連れも一緒なら、お勝手からぢや氣の毒だ、ズツと大玄關へ廻つて貰ふんだ。八は敷臺へお出迎へさ、何? もうお勝手から入つた? それぢや勘辨して貰つて、――」
平次はさすがにゐずまひを直して襟をかき合せました。生温かい小春日和、午後の陽は縁側に這つて、時々生き殘つた虻が外れ彈のやうに飛んで來る陽氣でした。
ガラツ八の叔母の伴れて來た客といふのは、下谷車坂の呉服屋四方屋次郎右衞門のところに二十年も奉公してゐるお谷といふ六十近い婆やさんで、余つ程の大事があつたらしく、すつかり顛倒して了つて、物を言ふのさへしどろもどろです。
「親分さん、大變なことになりました。お孃さんのお秀さんが、三輪の萬七親分に縛られさうなんです。あのお孃さんが、そんな人殺しなんかするかしないか、考へても解るぢやありませんか。ね、親分さん、お願ひですから、どうかお孃さんを助けて下さい」
お谷婆さんは、何べんも何べんもお辭儀をし乍ら、後も前もなくこんなことを言ふのです。
「さア解らない、――一體誰が殺されて、どこのお孃さんが縛られたんだ。少し落着いて、順序を立てて話してくれないか」
平次は苦笑ひし乍ら、婆さんの話の中から筋を引出しました。