Chapter 1 of 6

「親分、變なことがありますよ」

「何が變なんだ。――まだ朝飯も濟まないのに、いきなり飛び込んで來て」

五月のよく晴れた朝、差當つて急ぎの御用もない錢形平次は、八五郎でも誘つて、どこかへ遊びに行かうかと言つた、太平無事なことを考へてゐる矢先、當の八五郎は少しめかし込んだ恰好で、飛び込んで來たのです。

「それがね、親分」

ガラツ八は少し言ひにくさうでもあります。

「めかし込んでゐる癖に、ひどく取亂してゐるぢやないか。火事か喧嘩か、それとも借金取りか」

「そんなのぢやありませんよ――今日は飯田町のお由良と一緒に龜戸の天神樣へ藤を見に出かける約束で、朝早く誘ひに行くと――」

ガラツ八は少しばかり照れ臭い顏になりました。

「お由良? あの柳屋の評判娘かい――あの娘は悧巧過ぎて附き合ひにくいよ。――世間で騷ぐほど綺麗ぢやねえが、お前にはお職過ぎらア、附き合はねえ方がおためだぜ」

「意見は後で承はるとして、まアあつしの話を聽いて下さいよ。そのお由良を誘ひに行くと、昨夜から歸らないつて、柳屋の親爺が蒼くなつてゐる騷ぎでさ、知り合ひや近い親類も訊いたが、どこへもこの二三日顏を出しちやゐない。――夜逃げをする程の不義理もないから、もしか」

八五郎はまたゴクリと固唾を呑みました。

「誘拐されでもしたんぢやあるまいかといふ話だらう。――あの眼から鼻へ拔けるやうな悧巧者のお由良が、金紋先箱で迎ひに來たつて騙されて行くものか」

「それぢや駈落――」

「駈落なんてえのは馬鹿のすることだよ。本所の叔母さんとか、湯島の從妹とかのところへ行つてゐるんだらう」

「そんなのはありませんよ。どうかしたら?」

「待つてくれ、悧巧者のお由良だけに氣になるぜ。近頃懇意にしてゐる男でもなかつたのか」

「近いうちに、伊勢屋の治三郎と一緒になるといふ話はありますがね」

「それぢやお由良には玉の輿だ。祝言前に評判を立てられるやうなお由良ぢやあるめえ。――こいつは變だよ、もう一度行つて見るがいゝ」

「ね、親分」

ガラツ八の八五郎は一生懸命でした。その頃飯田町の飮屋の看板娘でお由良といふのは、色の淺黒い丸ぽちやの二十歳娘で、さして綺麗ではなかつたのですが、滴る愛嬌と、拔群の才氣で、見る影もない小料理屋の娘ながら、神田から番町へかけての人氣を呼んでゐるのでした。

一寸一パイの折助や手代から、二階へ押し上がつて大盡風を吹かせる安旗本の次男三男、大店の息子手合まで、お由良の愛嬌に溺れる者も少くなかつた中に、ガラツ八の八五郎も散々お賽錢を入れ揚げた講中の一人で、三月越し執拗に口説いた擧句、近く足を洗ふお由良も最後の奉仕の心算で一日店を休んで龜戸の藤見に――それも三四人の友達附でやつと附き合ふ約束のできたところを、いざといふ日の前の晩から行方不知になつたのですから、ガラツ八の驚きやうの並大抵ではなかつたのも無理はありません。

錢形平次も、何にか知ら、突き詰めた八五郎の顏を見ると、いつもの調子でからかつてばかりもゐられないやうな氣になるのです。

それからものの四半刻(三十分)ばかり。

二度目に飛び込んで來たガラツ八は、今度こそ本當に逆上あがつてをりました。

「親分。た、大變」

「さア、來た――その大變が來さうな空合だつたよ。お由良がどうしたんだ」

「死んでゐましたよ、親分」

「何? 死んでゐた――矢張りそんなことだつたのか、どこで死んでゐたんだ」

「水道橋の下手――上水の樋の足に引つ掛つてゐたのを、船頭が見付けて引揚げましたが、もう蟲の息さへもねエ――可哀想に――」

「泣くなよ、八。身投げをするやうなお由良ぢやないが、踏み外したのか、それとも突き落されたのか」

「それが解らないから、親分へ相談に來ましたよ。元町の仙太親分の見込みは、お由良を附け廻してゐた浪人者の織部鐵之助か、上總屋の番頭の金五郎か、大工の若吉か下剃の幾松が怪しいつて言ふが――」

「待つてくれ、そんなに下手人があつちや、命が七つ八つあつてもお由良は免れやうはねエ」

「その外に、お由良と張り合つてゐたお美代も、お松も怪しい――」

「やり切れねエなア、さうなりや、八五郎だつて怪しからう。近頃はお由良のことといふと、夢中だつたぜ」

「親分、どうしたものでせう」

八五郎はドツカと腰をおろしました。少し眼の色が變つてゐるやうです。

Chapter 1 of 6