Chapter 1 of 6

「八、厄介なことになつたぜ」

錢形の平次は八丁堀の組屋敷から歸つて來ると、鼻の下を長くして待つてゐる八五郎に、いきなりこんなことを言ふのです。

「何にかお小言ですかえ、親分」

「それならいゝが、笹野の旦那が折入つての頼みといふのは、――近頃御府内を荒し廻る辻斬を捉へるか、せめて正體を突き留めろといふのだ」

「へツ、へエ――」

ガラツ八の八五郎さすがに膽を潰したものか、固唾が喉に引つ掛つて、二度に感嘆しました。

「笹野の旦那はかう仰しやるのだよ――この夏あたりから噂は聽いてゐたが、三日に一人、五日に二人罪のない人間がお膝元の江戸で、人參牛蒡のやうに斬られるのは捨て置き難い。いづれ腕自慢が高じての惡業であらうが、近頃は斬つた死體の懷中物まで拔くといふではないか。この上知らぬ顏をしては、御政道の瑕瑾と相成る。御家中若年寄方にも悉く御心痛で、町方へ強つての御言葉があつた――といふことだ」

「へエ――大したことになりましたね、親分」

それは全く大したことでした。

この夏あたりから始まつた辻斬騷ぎ、最初は新刀の切れ味を試す心算でやつたのでせうが、二度三度と重なると、次第に惡魔的な興味が高じて、神田一圓に九段から兩國まで荒し廻る辻斬の狂暴さは、さすがに幕府の老臣方の目にも餘つたのです。

旗本の次男三男、諸藩のお留守居、腕に覺えの浪人者など、辻斬退治に出かける向きもありましたが、相手はそれに輪をかけた凄腕で、いづれも一刀兩斷にしてやられるか、運よくて、這々の體で逃げ歸るのが關の山でした。

秋に入ると、辻斬の狂暴さは一段と拍車をかけました。最初は武家ばかり狙ひましたが、後には百姓町人の見境がなくなり、終には斬つた死骸の懷中を搜つて、紙入、胴卷を拔き取るやうな淺ましい所業をするやうになつたのです。

「どうだ八、辻斬退治をする氣はないか。こいつは十手捕繩の晴れだぜ。腕自慢のお武家が門並み持て餘した相手だ」

平次も緊張しきつてをります。

「附き合ひが惡いやうだが、あの辻斬野郎を相手にするくらゐならあつしは大江山の鬼退治に繰り出しますよ。――素知らぬ顏をして、摺れ違ひざまに、えツ、やツと來るでせう。氣がついて見たら首がなくなつてゐたなんて、どうも蟲が好かねエ」

「何をつまらねエ」

「そいつは強い武者修行か何んかに頼まうぢやありませんか。岩見重太郎てな豪勢なのがをりますよ」

「止さないか、八」

「へエ――」

「怖きや止すがいゝ」

「へツ」

「八五郎が腰を拔かしや、俺が一人でやるだけのことだ。笹野の旦那のお言葉がなくたつて、町人百姓の差別なく、ザクザク斬つて歩く野郎を、放つちや置けめえ。今まで無事でゐたのは、惡運が強かつたんだ」

平次は何時になく昂然として胸を張るのです。

「親分」

ガラツ八は膝ツ小僧を揃へてニジリ寄りました。

「何んだ?」

「あつしが何時腰を拔かしました。え? 親分。あつしは何時怖いなんて言ひました。辻斬や蕎麥切が怖かつた日にや、江戸で御用聞が勤まりますかてんだ」

「大層強くなつたぢやないか、八。先刻、辻斬退治より鬼退治の方が宜い――つて言つたのは誰だつけ」

「そりや物の譬だ。辻斬が怖いわけぢやありませんよ。憚りながらこんなガン首に糸目はつけねエ、どこへでも出かけませう。さ、親分」

「あわてるなよ、八。お前の強いのはよく解つてゐるが、まだ辻斬や夜鷹の出る刻限ぢやねえ。ゆつくり物を考へてよ」

「何をやらかしやいゝんで、親分」

ガラツ八は無暗にせき込みました。

「待ちなよ。差當り研屋を當つて見るのが順當だが、夏から十幾人と人間を斬つた奴が、血刀を近所の研屋に出すやうな間拔けなことはしないだらう」

「――」

「品物は一つも盜つてゐないから、質屋を當つても無駄だ。九段から駿河臺、神田橋外、柳原、兩國へかけて出るが御目附の外へ一と足も出ないところを見ると、この中に住んでゐるに違ひあるまい」

「――」

「それにしても凄い腕だ。腕自慢の御家人が五人、牛ヶ淵で出會はしたはいゝが、二人は斬られ、二人はお濠に叩き込まれ、一人は這々の體で逃げ歸つたと言ふぢやないか」

「三河町に町道場を開いてゐる酒村草之進といふヤツトウの先生が、お弟子と二人で辻斬退治に出かけ、柳原で出會頭に肩先を少し斬られ、面目無くて翌る日の晩夜逃げをしたといふぢやありませんか」

「それほどの人間を相手にするんだ。止した方が無事だぜ、八」

「冗談でせう、親分」

「もういゝ、俺はお前の果し眼の方が餘つ程怖いよ」

「へツ」

「近頃は辻斬の噂に脅えて、神田中の往來は日が暮れるとバツタリ絶える。辻斬だつて斬られ手がなかつたら張り合ひがあるめえ。今晩から俺が出かけて見ようと思ふが何うだ」

「あつしも行きますよ、親分」

八五郎は無暗に乘り出します。

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