Chapter 1 of 7

不動明王の木像が、その右手に持つた降魔の利劍で、金貸叶屋重三郎を突き殺したといふ、江戸開府以來の大騷ぎがありました。

八百八町には、その日のうちに呼び賣の瓦版が飛んで、街々の髮結床や井戸端は、その噂で持ちきつた日の夕景、――錢形平次のところに相變らずガラツ八の八五郎が、この情報を持ち込んで來たのです。

「こいつは驚くでせう。誰が何んと言つたつて、運慶とか湛慶とかの作といはれるあらたかな不動明王樣が、金貸を殺したんですぜ――錢形の平次親分が夫婦連れで來たつて外に下手人があるわけはねエ――」

「待つてくれよ、八。俺は御存じの通り岡つ引だが、女房には十手捕繩を持たせた覺えはねエぜ。錢形平次が夫婦づれで――なんてえのは氣になるぜ」

平次は白い額を擧げて苦笑しました。

「物の譬ですよ。ね、親分。さうでせう。叶屋の重三郎は谷中の鬼と言はれた人間だが、金がうんとあつて用心深いから、二た間續きの離屋には、女房のお徳も寄せつけねエ。貸金の抵當に取つた不動樣とたつた二人、戸にも障子にも嚴重に棧をおろして、中でそつと殺されてゐたんですぜ。下手人が障子の隙間から煙のやうに入つたんでなきや、隣の部屋に置いてあつた、不動樣の仕業に違ひありませんよ」

八五郎は一生懸命にまくし立てるのでした。事件の怪奇性を強調して、兎角出不精な親分の平次を動かさうと言ふのでせう。

「それほどよく分つてゐるなら、お前の手で不動樣を縛つて來るがいゝ。あわてて歸つて來て、どうしようてんだ」

平次はせめてこんな事件でも、八五郎の手柄にさしてやりたいと思ふ樣子です。

「ところが、そんなわけには行きませんよ。叶屋重三郎が慾に目が眩んで、もつたいなくも不動明王の尊像を抵當に取つたから、佛罰が當つたに違げえねえといふので、不動堂の講中が、浪人くづれの大垣村右衞門を先頭に、叶屋に乘り込んで、お祭のやうな騷ぎですぜ。うつかり不動樣を縛るやうな顏でもしようものなら、請合袋叩きにされる――」

八五郎の仕方噺は次第に熱を帶びて、平次もツイ膝を乘出さずにはゐられなかつたのです。

「面白さうだな。もう少し順序を立てて、詳しく話してくれ。朝つから現場を掻き廻したんだから、少しは筋が通るだらう」

「筋が通り過ぎて困つてゐるんで」

「へエ?」

「叶屋重三郎は、谷中三崎町で、寺方と御家人を相手に因業な金貸しを始め、鬼とか蛇とか言はれながら、この十二三年の間に、何萬兩といふ身上を拵へたのは、親分も知つてゐなさる通りだ――」

「そんなことは端折つてもいゝよ」

「だん/\慾の皮が突つ張つて、谷中の不動堂の堂守、海念坊に三十兩の金を貸したのが、三年經たないうちに利に利が積つて百兩になつた。海念坊は不動堂を修覆する時、講中の金の寄りが惡いので、ツイ高利と知りながら借りた金だが、大口の寄附の當てが外れて、今ではどうすることもできない」

「フーム」

「そのうち、不動堂の本尊が運慶とか湛慶とかの作で、望み手があれば千兩にもなると教へるものがあつて、叶屋重三郎は證文を楯に不動堂に押しかけ、海念坊が額を敷石に叩き、血の涙で頼むのも聽かず、たうとう本尊の不動明王を、自分の家へ持つて來てしまつた、――これが今から三日前」

「ひどいことをする野郎だな」

平次も何んとなくカツと血の湧くのを感じました。

「不動堂の堂守の海念坊は講中へ申し譯が立たないと言つて、翌る朝堂の中で首を吊つて死んでしまひましたよ、可哀想に」

「身寄りはないのか」

「ありやしません。――たつた一人の甥の千代松が、叶屋に奉公してゐるだけ――」

「變な廻り合せぢやないか」

「千代松は一番先に怪しいと思はれたが、こいつは女の子のやうな優しい男で、人間などを殺せさうもない――その上昨夜は不動堂で叔父のお通夜をしてゐた」

「それからどうした」

平次はいよ/\本腰になりました。

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