Chapter 1 of 7

三河町一丁目の大元締、溝口屋鐘五郎の家は、その晩割れ返るやうな賑ひでした。親分の鐘五郎は四十三歳、後厄の大事な誕生日を迎へた上、新に大々名二軒の出入りを許されて、押しも押されもせぬ、江戸一番の人入稼業になつた心祝ひの酒盛だつたのです。

集つた子分は三十八人、店から奧へ三間ほど打つこ拔いて、底の拔けるやうな騷ぎ。――十六基の燭臺、二十幾つの提灯に照された酒池肉林は、歡樂極まつて淺ましい限りでした。

親分の鐘五郎は、暫くこの有樣を眺めてをりましたが、あまり強くない酒を過したのと、この上頑張つてゐると、子分共の感興を妨げることに氣が附いて、上座の子分二三人に目顏で合圖をしてそつと起ち上がりました。こゝから廊下續きの自分の部屋に歸つて、靜かに休むつもりだつたのでせう。

子分の勘次と六助は、早くも氣が附いて、親分の後に從ひました。

「いゝよ、休むのは獨りの方が氣樂だ。――お前達の姿が見えなくなつたら、後が淋しからう。歸つてゆつくり飮み直すがいゝ」

薄暗い廊下の端つこ――自分の部屋の入口に立つて、鐘五郎は手を振りました。鬼の鐘五郎と言はれた酷薄無殘な男ですが、滿ち足りた今宵ばかりは、さすがに鷹揚な心持になるのでせう。

「それぢやあんまり」

「いゝつてことよ、みんなの氣の付かないうちに歸つてくれ」

「それぢや、親分」

「あとを頼むよ」

「お休みなさいまし」

勘次と六助は、親分の鐘五郎が唐紙を開けて自分の部屋に入るのを見定めて、もとの酒宴の席に歸つたのです。それが丁度亥刻(十時)――上野の鐘が騷ぎの中を縫つて、響いてゐるのに氣が附きました。

「忌々しいぢやないか。――裏の臆病馬吉奴、まだ尺八を吹いてやがる」

勘次は大きく舌打をしました。もとは飯田町の伏見屋傳七の身内で、勘次や六助と同じ釜の飯を食つた臆病馬吉といふ男が、伏見屋が沒落した後、勘次や六助が溝口屋の身内になつて、相變らず威勢の良い暮しをしてゐるのに、甲斐性がないばかりに日傭取にまで身を落し、好きな尺八一管を友に、溝口屋の裏に住んで見る影もなく生きてゐる馬吉だつたのです。

「宵から息もつかずに吹いてゐるよ。どうせ臆病馬吉の藝當だから、糸に乘るやうな代物ぢやねえが、こちとらの酒までまづくさせるのは業腹だね」

「――おや、今晩はいつもよりうめえやうだが――」

「うまくたつて、女を口説く足しにはならねえよ」

「違えねえ」

「ハツハツハツ」

二人は顏見合せて笑ひながら、もとの亂酒の席に還りました。ドツ、ドツと波打つ馬鹿騷ぎの間を經つて、ひよぐるやうな尺八の調べが、狹い庭を隔てた隣の長屋から、小止みもなく響いて來るのです。

それから四半刻(三十分)と經たぬうちに、事件は思はぬ大發展をしました。酒席の手のすいた時、下女のお元は親分の床がまだ敷いてなかつたことに氣が附き、あたふたと廊下傳ひに駈けて行きましたが、唐紙に手を掛けて、

「親分、お床を敷きませう」

ひよいと覗くと仰天しました。

「あツ、た、大變ツ。誰かツ、誰か來て下さいツ」

ヘタヘタと敷居際に腰を拔かしたのも無理はありません。親分の溝口屋鐘五郎は、八疊の部屋一パイに浸す血潮の中に虚空を掴んで死んでゐたのです。

Chapter 1 of 7