一
「親分、怖い話があるんだが――」
ガラツ八の八五郎が、息を切らして飛込みました。櫻の莟もふくらんだ、ある麗かな春の日の晝少し前のこと――。
「脅かすなよ。いきなり、飛込んで來やがつて」
錢形平次は鎌首をもたげました。相變らず日向に不景氣な植木鉢を竝べて、物の芽をなつかしんでゐたのです。
「鐵砲ですぜ、親分」
八五郎は餘つ程急いで來たらしく、まだ筋を立てては物が言へません。
「鐵砲? 俺は、女房の方が餘つ程怖いよ」
平次はさう言ひ乍ら女房のお靜の方を振り返りました。
「まア」
陽炎が立つほど着物をひろげて、繕ひに餘念もないお靜は、ツイ陽に薫じた顏をポーツと染めます。
「冗談ぢやありませんよ、親分。通り三丁目に店を持つてゐる釜屋半兵衞が、北新堀の家で鐵砲でやられたんだ」
「成程、そいつはうるさい事になりさうだな。行つて見ようか、八」
平次は漸く神輿を擧げました。
その頃は幕府の取締りが嚴重を極めて、大名が道具を揃へるのでさへ、鐵砲となると一々面倒な屆出が必要とされ、一般人の江戸持込みなどは全くできない時代ですから、鐵砲の人殺しなどといふ事件は、錢形平次の長い經驗にも、曾てないほど珍らしいことだつたのです。
二人が北新堀へ着いたのは晝少し過ぎ。靈岸島の瀧五郎といふ土地の御用聞が、子分と一緒に朝つから詰め切つて、御檢屍前に下手人の目星でもつけようと、一生懸命の活躍を續けてゐる眞つ最中でした。
「錢形の親分か、丁度いゝところだ」
瀧五郎はさり氣なく迎へます。この素晴らしい競爭者には、どうせ太刀打が出來ないと思つたのでせう、眉宇の間に焦燥の稻妻は走りますが、でも、唇には愛想の良い微笑さへ浮びます。
「鐵砲でやられたさうぢやないか――滅多にないことだから、後學のため見て置き度い」
平次はこの大先輩と手柄爭ひをする氣などは毛頭ありません。
釜屋の家族や奉公人達は、すつかり怯えて遠くの方から眼を光らすだけ。その重つ苦しい空氣の中を、瀧五郎は、平次を案内しました。
「錢形の。この通りだ」
湊橋寄りに建つた離屋の、豪華を極めた一室を、瀧五郎は縁側から指すのです。
この室の異樣な飾りや、その調度の豪勢さには、平次もさすがに眼を見張るばかり、暫くは死骸のあるのも忘れて、四方を見廻しました。和蘭風と言ふか、平次には見當もつきませんが、疊の上に異樣な模樣を織り出した絨毯を敷いて、唐木の机、ギヤマンの鏡、金銀の珠玉に細工をした手廻りの小道具まで一介の町方御用聞の平次に取つては、生れて初めて見る品ばかりです。
「釜屋が拔け荷(密輸入)を扱ふといふ噂が滿更嘘ぢやなかつたんだね」
そつと後ろから囁くガラツ八を目顏で制して、
「フム、これはひどい」
平次は一歩死骸に近づきました。
緞子の夜具を少し踏みはだけ、天鵞絨の枕を外して死んでゐるのは、五十前後の脂切つた男で、夥しい血潮を拭いたあたりには、首筋から胴へ撃ち込んだ彈丸の跡がマザマザと見えて居ります。
「何處から撃つたんだらう?」
「あの通りさ――隣の部屋に鐵砲があるよ」
瀧五郎の指した方、丁度死骸の枕元一間位のところ、金箔を置いた襖に指の先ほどの穴があいて、隣の部屋から午後の光線が明々と射してゐるのでした。
隣の部屋を覗いて見ると、其處はザラに見かける事のできない夥しい骨董を飾つた廣間で、疊敷にして十五疊ほどあるでせうか。その向うにはもう一つ、六疊ほどの控への間のあるのが、明け放した唐紙の先に見えて居ります。
問題の鐵砲はその十五疊の隅に置いた、巨大な鎌倉らしい佛像の臺座の下、見事な豹の皮の上にフンハリと落ちて居ますが、曲者は多分、唐紙越しに一發で主人を仕止め、鐵砲を投げ出して逃げうせたのでせう。
佛像から、唐紙の穴まで三尺あまり、穴の縁が少し焦げてゐるところを見ると、此の位置から拳下りに撃つたもので、その工合は臺の上に結跏趺坐した佛像が、膝だめに打つ放したものとしか思はれません。
「不思議だ」
一生懸命首を捻る平次の顏を、
「何が不思議なんで? 親分」
ガラツ八のキナ臭い鼻が下から覗きます。
「腑に落ちないことばかりだよ。唐紙の外から鐵砲を撃つて、確かに人間が殺せる道理はないぢやないか。彈丸に眼があるわけはないぜ」
「――」
「それにこの鐵砲には火繩が仕掛けてないよ――曲者が鐵砲を撃つた後で、火繩を外して逃げたとしか思はれない」
「佛樣が撃つたんぢやありませんか」
八五郎は斯んな途方もないことを、ニヤリともせずに言ふのを、平次も眞面目に受け應へをするのです。
「俺もそれを考へてゐるんだ。死骸の傷から眞つ直ぐに、唐紙の穴を辿つて來ると、丁度佛樣の膝のあたりに來る――」
「冗談ぢやないぜ。木で彫つて金箔を置いた佛樣が人殺しをするわけはねえ」
仰天したのは瀧五郎です。