Chapter 1 of 6

「親分」

ガラツ八の八五郎が、泳ぐやうに飛込んで來たのは、江戸中の櫻が一ぺんに咲き揃つたやうな、生暖かくも麗らかな或日の朝のことでした。

「なんだ八、大層あわててゐるぢやないか」

錢形平次は朝飯の箸を置くと、大して驚く樣子もなく、煙管を取上げて、粉煙草をせゝります。

「落ついて居ちやいけませんよ。釜屋で又殺しがあつたんで」

「釜屋?」

「北新堀の釜屋、――ツイ十日ばかり前に主人の半兵衞が鐵砲で撃たれて死んだ――」

「誰が殺されたんだ」

平次もさすがに愕然としました。拔荷の鐵砲を百梃、三千兩でさる大名に賣り込まうとした釜屋半兵衞が、怨のある女中に殺され、鐵砲百梃は平次の働きで公儀に沒收されたのは、ツイ此間のことです。

「番頭の伊八が、離屋で金の番をしてゐてやられたんで、奪られた金はざつと八千兩」

「釜屋は闕所になる筈ぢやなかつたのか」

「それが、明日役人に引渡すといふ前の晩だ。際どいことをするぢやありませんか」

ガラツ八が舌を卷くのも無理のないことでした。拔け荷(密輸入)を扱つた釜屋は、主人の葬ひが濟む間もなく、跡取の初太郎は番頭伊八と共にお奉行所に呼び出され、通三丁目の店と北新堀の住家は言ふ迄もなく、夥しい家財を沒收の上、江戸から追放といふ峻烈極まる言ひ渡しを受け、明日は役人が乘込んで來て、竈の下の灰までも引渡すことになつてゐるのでした。

その前の晩、町役人の監視の下に一と晩だけ現金の番人をしてゐた番頭の伊八が、因縁付きの離屋で蟲のやうに殺され、睨めつこをしてゐた筈の八千兩の小判が、宵から曉方までの間に、煙の如く消え失せたのでは放つて置けません。

「そいつは容易ならぬことだ、直ぐ行くとしよう」

平次は自分もいくらかの掛り合ひがあるせゐか、何時になく氣輕に御輿をあげました。

北新堀の釜屋へ行くと、町役人が詰めかけた上、土地の御用聞が二三人、靈岸島の瀧五郎の采配で、裏表を嚴重に固め、出入りを一々檢査して、水も漏らさぬ大警戒です。

「瀧五郎親分、大變なことになつたね」

「錢形の、今度といふ今度は驚いたよ。今日は御上に引上げる筈の金が八千兩だ、番頭を殺して持出すにしても、一人や二人の業ぢやねえ、――まア見てくれ」

瀧五郎は此邊を繩張りにしてゐる自分の責任の重大さに脅えて、錢形平次の助勢を心から頼母しく思つた樣子です。

二人は八五郎や二三人の下つ引と一緒に、裏の離屋の方に廻りました。拔け荷を扱つて暴富を誘つた釜屋の構へは、嚴重の上にも嚴重を極めて、忍び返しを打つた凄まじい塀の中には、城郭のやうな家造りが物々しくも軒を連ねて居ります。

「潜戸や木戸は開いてゐなかつたのかな」

平次は誰にともなく訊きました。

「へエ、皆んな内から締つて居りました。一々閂や輪鍵がかけて――」

背後で應へたのは、三十前後の狐のやうな感じの男――それは通三丁目の釜屋の店から、主人の死後北新堀の住居の方へ手傳に來てゐる手代の與之助と後で判りました。

「戸締りは誰がするんだ」

「亡くなつた番頭の伊八さんで、――尤も朝戸を開けて、庭を見廻るのは小僧の乙松の仕事で、へエ――」

「その時は何んの變つたこともなかつたのか」

「へエ――」

手代の與之助の答へを後ろに聞いて、平次と瀧五郎は離屋の外に立つて居りました。

「足跡はないぜ、何しろこの天氣續きだ」

沓脱のあたりを見廻して居る平次に、瀧五郎は先輩らしく聲を掛けます。

「雨戸は?」

「輪鍵は掛けてなかつたが、内から締つて居たさうだ。小僧の乙松が外から聲を掛けても返事がないので、番頭を呼んで押し倒して入つたといふ。――その通りだね」

瀧五郎は後ろに居る與之助を顧みました。

「へエ――、それに相違御座いません。陽は高くなつたし、中からは返事がなし、先の事で懲りて居りますから、乙松と二人がかりで、中程の雨戸を一枚押し倒して入りましたが、あの通り滅茶々々で――」

與之助の指した方を見ると、成程一枚の雨戸は框が折れ、板が剥れたまゝ、縁側に立てかけてあります。

「それから」

平次は先を促しました。

「飛込んで見ると、取つ付きの六疊は血の海で、番頭さんが――」

「雨戸はどんな工合に締つて居たんだ」

「下の棧だけおりて居りました」

「確かにその通りか」

「何しろあわてて居たもので、へエ。尤も輪鍵は確かに掛つて居りません」

それを聽き乍ら、平次は一歩六疊へ入つて居ります。

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