Chapter 1 of 6

「わツ驚いた、ドブ板が陷穴になつて居るぜ。踏み返したとたんに赤犬が噛み付きさうに吠える仕掛は念入り過ぎやしませんか、親分」

ガラツ八の八五郎は危ふく格子戸につかまつて、件の噛み付くやうな赤犬を追ひ乍ら、四方構はぬ聲をあげるのでした。

「靜かにしろ、そいつは皆んな借金取除けの禁呪なんだ、――今日を何時だと思ふ」

捕物の名人錢形の平次は、六疊縁側近く寢轉がつたまゝ、斯んな馬鹿なことを言ふのです。

「良い御用聞が、大晦日でもないのに、天下泰平だぜ」

八五郎は斯んな毒を言ひ乍らも。妙につまされてホロ苦い顏をするのでした。

四月三十日、初鰹にも、時鳥にも興味はなくとも、江戸の初夏の風物は此上もなく爽かな晝下がりです。

「お前のやうな家の子郎黨は、搦め手から通りや宜いのさ。妙に見識張つて大玄關にかゝるから、手飼ひの獅子王に吠えつかれるんぢやないか」

「へツ/\。手飼ひの獅子王は嬉しいね――その怪物が大玄關で魚の骨をしやぶつてゐるぜ」

無駄口をいひながらもガラツ八はノツソリと平次の前に突つ立つて居ります。

「まア坐れ、突つ立つたまゝ物を言ふ奴があるかい――坐つたら懷ろ手を拔くんだ。世話のやける野郎ぢやないか」

「今日は意地の惡い姑のやうに口うるさいんだね。餘つ程執念深い借金取でも來たんですかえ」

「餘計な世話だ。それよりお前の方の用事を先に片付けるがいゝ、――一體何を嗅ぎ出して來たんだ」

「褒美附の搜し物ですよ、――こいつを搜し出しや、褒美の金が百兩――小判で百枚ですよ。憚り乍ら親分が頭痛に病んでゐる家賃や酒屋の拂ひは精々二分か一兩、思ひ切り溜めたところで三兩とはないでせう」

「恐ろしく見縊りやがつたな」

「ちよいと乘出して下さいよ。錢形の親分が顏を出しや、紛失物の方からノコノコ名乘つて出ますよ」

「ところで、その搜し物といふのは何んだ」

「小判で二千兩」

「大層な紛失物ぢやないか、二千枚の小判は財布や巾着には入るめえ、誰が何處で落つことしたんだ」

「落したんぢやありません。消えてなくなつたんで」

「春先の雪達磨ぢやあるめえし、小判や小粒が消えてたまるものか」

「だから不思議なんで、まア聽いて下さいよ親分」

ガラツ八は此處まで平次の興味を釣つて置いて、お先煙草の烟を輪に吹き乍ら、靜かに語り出すのでした。

「百兩の褒美は氣障だが――二千兩の小判が消えてなくなるのは陽氣のせゐぢやあるめえ」

平次はまだからかひ面ですが、充分好奇心は動いてゐる樣子です。

「飯田町の鬼と言はれた、金貸の作兵衞は親分も知つてますね」

「こちとらには百文も貸す氣遣ひはねえが、旗本や御家人泣かせで名高い親爺だ」

「その作兵衞は去年の秋死んで、後家のお角が奉公人を使つて先代の家業を續けてゐますがね、――この女は男勝りの強か者で、先代の遺言だからと言つて、三千兩といふ大金を投出して、旗本の株を買ひ、伜の佐太郎を武家にすることを企らんだ――」

「大きい聲ぢや言へねえが、そいつは箆棒な話だね」

平次は苦々しく舌打をするのです。徳川時代の階級制度は隨分やかましいものでしたが、一面にはまた旗本や御家人の株の賣買が行はれ、經濟的に行詰つた武家が、金持の息子に入れる形式で、殆んど公然と株の賣買が行はれたのです。

「全く大箆棒さ、こちとらなら、その三千兩で八方の借を拂つて、あの娘に半襟の一と掛も買つてやつて、大福餅の暴れ喰ひをやる」

「馬鹿だなア――それから何うした」

平次は噛んで吐き出すやうに言つて、次を促しました。馬鹿の主格はガラツ八にも判然しません。

「――尤もそのうち一千兩は、去年の五月一日作兵衞が生きてゐるうちに相手の旗本に貸した。抵當はないが、その代り今年の四月三十日――つまり一年目の今日までに返さなければ、作兵衞の伜の佐太郎が、後釜の二千兩を持參金に、養子になつて飛込むことになつてゐた」

「相手の旗本は?」

と平次。

「大きい聲ぢや言へねえが、中坂の大河内大膳樣――五百石の大身だ」

「相手が惡いな」

「大河内家には年頃の娘がある、尤もこいつは恐ろしい不縹緻だ。人三化七と言ひ度いが、人一化九で、少々智惠の方も足りない」

「フーム、いよ/\箆棒だな、お前なら何うする? 八」

「御免蒙つて、大福餅の暴れ喰ひをやらかしますよ。第一こちとらが五百石の旗本になつたところで、殿中の居屈みを知らねえ、――五百石と言へばお目見得以上だ」

「大河内家の方では、佐太郎を婿にすることを望んでゐたわけだな」

「佐太郎はちよいと良い男ですよ、それに千兩の借金が棒引になつた上に持參金が二千兩。それだけ入れば貧乏摺れの大河内大膳樣は、自分の鼻でも削いで賣る」

「呆れた話だ」

「ところが、その二千兩の金が、明日大河内家へ持込むといふ前の晩、神隱しに逢つたやうに消えてなくなつたんだから面白いでせう」

「面白いつて――奴があるか」

平次はさすがに常識を取戻しました。

「店へ置いちや危ないし、土藏へ入れると朝早いから出すのが面倒だ。娘のお冬の部屋は裏の一番奧で、入口は廊下から一つだけ、外は頑丈な格子だから、一番安心だらうといふので、後家のお角と番頭の平吉が相談の上、誰にも知らせずに、千兩箱を二つ、そつと娘の部屋の押入へ隱して置いた――たつた一と晩だけのつもりで」

「娘は知つてゐたのか」

と平次。

「自分の部屋に二千兩の大金が隱されるのを知らない筈はありませんがあれは十八になつたばかりで、咲き立ての桃の花のやうな娘ですよ。二千兩に眼をくれる筈もなし――」

「若くて綺麗な娘といふと、無暗に肩を持つが、そんなのが飛んだ細工をしやしないか、――貢がなきやならない相手でもあつて――」

「飛んでもない、そんな娘か娘でないか、逢へば一と眼でわかりますよ」

「格子は?」

「小判を箱から出せばもぐりますが、容器の千兩箱二つ――金具の嵌つた恐ろしく頑丈なのを格子の外へ出す工夫はありません。それは番頭が奧と店の境に陣取つて、一と晩まんじりともしなかつたさうで、千兩箱を店の方へ持出す工夫もない筈です」

「フーム、面白さうだね」

「――でせう、親分。後家のお角は躍起となつて、いくら金貸が商賣でも、二千兩といふ大金は今日中には纒まらない、今日中に二千兩の金を大河内樣へ屆けなきや、去年用立てた千兩の金までがフイになる――伜を武家にし度いといふのは、亡くなつた夫の何よりの望みで、くれ/″\も私に遺言して死んだくらゐだから、是が非でも二千兩の金を探し出して下さい。その代り今日中に探し出して下されば、お禮が百兩――と切り出しましたよ」

「フーム」

「百兩の禮金が入れば、憚り乍ら店賃や味噌醤油代で親分に苦勞はさせねえ」

「馬鹿野郎」

「へエ――」

錢形平次は不意に一喝をくれて起直りました。

「そんな金なんぞは要らねえよ」

「へツ?」

「欲しくばお前が二千兩搜し出して禮金でも賽錢でも勝手に貰へ。俺はイヤだよ」

「百兩ですよ親分、小判で百枚」

「百兩が千兩でも俺は御免蒙るよ。岡つ引はしてゐるが、ドブさらひや寶搜しは大嫌ひだ――さつさと歸つてくれ、そんな野郎とは付き合ひ度くねえ。まご/\しやがると獅子王をけしかけて向う脛に食ひつかせるよ」

「驚いたね、どうも」

ガラツ八は平次が何を怒つてゐるのかさへも解らぬ樣子で、這ふ/\の體で飛出しました。この見幕では粘つてゐたところで寶搜しの相談などには乘つてくれさうもありません。その癖平次は大した怒つた樣子もなくガラツ八の後ろ姿を見送つてニヤリニヤリ笑つてゐるのですが――。

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