一
「親分、是非逢ひ度いといふ人があるんだが――」
初冬の日向を追ひ乍ら、退屈しのぎの粉煙草を燻して居る錢形平次の鼻の先に、ガラツ八の八五郎は、神妙らしく膝つ小僧を揃へるのでした。
「逢つてやりや宜いぢやねえか、遠慮することはあるめえ、――相手は新造か年増か、それとも婆さんか」
「あつしぢやありませんよ。錢形の親分に逢ひ度いんださうで、染井からわざ/\神田まで、馬に喰はせるほど握り飯を背負つて來ましたよ」
八五郎は自分の肩越しに、拇指で入口の方を指しました。
「堅い方だな、よく/\の事があつて遠方から來なすつたんだらう。洗足盥は洗濯物で一杯だ、すまねえが井戸端へ案内して、足を洗つたら此處へ通すが宜い」
平次がさう言ふのも待たず、
「恐れ入りますが親分さん、私は此處で御免を蒙ります――明るいうちに歸らないと、婆アが心配をいたしますので。へ、へ、へ」
妙な苦笑ひと一緒に、澁紙張にしたやうな五十恰好の老爺が一人、木戸を押し開けて、縁側の方へ顏を出しました。
「其處でも構はないが、陽が當つて少し眩しからう」
「へエ、天道樣に照らし付けられるのは、馴れて居りますので」
「成程、さう言へば狹い家の中よりは、埃つぽい江戸の街中でも、外の方が氣持がよからう、――ところで、あつしに用事といふのは何だえ、爺さん」
平次は煙草盆と座布圃を持つて、氣輕に縁側へ出て行きました。
「染井のお百姓で、仁兵衞さんといふんださうですよ。知合から知合を辿つて、向柳原の叔母さんのところへ來て、――お前さんに傳手があるちう話を聞いて來たが、錢形の親分さんに逢はせて貰れえ度え、お禮はなんぼでもするだから――と背負つて來たのは一と抱へほどの化けさうな人參と牛蒡――」
八五郎はツイ手眞似になるのでした。
「お前は引込んで居ろ、馬鹿野郎。そんなに思ひ詰めて來なすつたんだ、冷かしたり何んかすると承知しないぞ」
「へエ」
「爺さん、氣にしないで下さいよ。此野郎は賢こさうな口をきいてゐるが、心が少しばかり足りないんだから――」
「さうかね、見たところはそれほどでもないが、氣の毒なこつたね」
「へエツ、悔みまで言はれちや世話アねえ」
八五郎はプイと横の方を向きました。
「さて、爺さん、私に用事といふのは?」
「有難うございます。さう御親切にして頂くと私も染井くんだりから來た甲斐があります。實は親分さん、私の伜の文三の行方を突き留めて頂き度いのでございますが――」
「その文三さんとやらは、年は幾つで、何時、何處へ行きなすつたのだ」
「一年前、巣鴨庚申塚の赤塚三右衞門樣のところへ、奉公に參りましたが――」
「武家奉公だな」
「武家と申しても、赤塚樣は豪士で、公方樣からも格別の御會釋のある家柄でございますが、江戸開府前からの土着で、別に何處からも扶持を貰つて居るわけではございません」
「其處へ下男奉公にでも出したといふのか」
「伜の文三はその時十九、百姓の子のくせに華奢な育ちで、武家奉公の出來る柄ではございませんが、赤塚樣では大層なお氣に入りで、若樣の數馬樣のお相手にするから、たつてと申します。私共のやうな百姓の子に、學問武藝も仕込み、行く/\は用人に取立てるからといふお話でございました」
「?」
「で、それにお手當が大變でございました。一本立の武家奉公でも、當節は年四兩の給金は上の部でございますが、赤塚樣では年に十兩の給金を出した上、支度金が三十兩」
「それはまた大層な氣張りやうだな」
その頃三十金と言へば、安御家人の收入で、大家の嫁入支度でも、それほど掛けると人の目を引きます。
「私も年貢や借金やらが嵩んで、散々苦しんだ時でもあり、たつた一人の伜ですが、ツイ奉公に出す氣になりました。どうせ家へ置いたところで、百姓仕事の出來る伜でもございません。私共の子にしてはとんだ變り種で、江戸の何んとかいふお役者衆に似てゐるとやら、村中の娘達に大騷ぎをされてゐる好い男でございます」
「それは又」
平次も挨拶に困りました。八五郎は鼻の下を長くして、眼をパチパチさせ乍ら、面白さうに聽いて居ります。
「その伜が、去年の秋奉公に上がつたきり、一年あまりになりますが、一度も家へ歸してもらへないのでございます。町家の小僧奉公でも、年に二度の藪入がございます。それが親許へ歸してくれないばかりでなく、此方から逢ひに行つても、何んとかかんとか言つて、どうしても逢はして下さいません」
「誰がそんな事を指圖するのだ」
「御用人の久賀彌門樣のお取はからひでございます。尤も御主人の赤塚三右衞門樣は、もう七十近いお年寄で、その上中風の氣味で休んだきりだと伺つて居ります」
「で、その文三とやら、お前さんの息子さんから手紙くらゐは來るだらう」
「へエ、折々手紙は參ります。たしかに伜の筆跡で――檀那寺の和尚樣にも褒められましたが、伜は字もよく書きます、此處へ一本持つて參りましたが――」
百姓仁兵衞が縁側の上にひろげたのは、半切一枚に書いた至つて簡單な手紙で、親が自慢するだけ筆跡もよく書いてありますが、文句は通り一ぺんの時候見舞と、私のことは心配してくれるな、主人は親切で、何んの不自由もない――といふだけ、さう思つて見ると誠に味も素氣もない、空々しい文句です。
「人に見張られ乍ら書いたやうな文句だな、――外に氣の付いた事はないのかな」
「折々手紙に添へて金を送つて參りましたが、五兩三兩の小遣より、私と婆さんの心持にしては、たつた一ぺんでも宜いから、伜の顏を見度い心持で一ぱいで御座います。この秋になつてからは、婆さんが夢見が惡いと申しまして、うるさく伜の事を申しますので、三四度續け樣に赤塚樣へ參りますと、用事があつて大阪へやつたが、用事は混み入つて居るから歸りの程もわからないといふ、木で鼻の御挨拶でございます。大阪は何處に居るのかと訊ねましたが、それは教へてくれません」
「フム」
平次も腕を拱いてしまひました。何んか仔細がありさうですが、それだけではどう手の付けやうもありません。
「それだけなら、私も心配はいたしませんが、大阪へ行つてゐるといふ伜の姿を、私は此眼で、確かに見たのでございます」
「それは何時のことだ、場所は?」
「三日前でございました。伜は大阪へ行つて居ると言はれて、庚申塚の赤塚樣から、がつかりして歸りかけた時でございました。門を出ようとして、何心なくフト振り返ると、お庭の植込の間から紛れもない伜文三の顏が、なつかしさうに私の方を見て居るではございませんか、ハツとして驅け戻らうとすると、私の眼の前に立ち塞がつたのは、御用人の久賀彌門樣でございました。――伜があすこに居るぢやございませんか、一と眼逢はして下さい――と申しますと、――とんでもない、あれは當お屋敷の若樣で數馬樣と仰しやる方だ、其方の伜文三とよく似てはゐらつしやるが、若樣は人品骨柄が違ひ、それに左の頬に目につくほどの黒子がある。お前の伜と間違へるなどはとんでもないことだ――といやもう散々のお叱りでございました」
「――」
「でも、私にはあれがどうしても伜の文三と思へてなりません。一應は若樣にお目にかゝり度いと強つて申上げましたが、劍もほろゝの御挨拶で、がつかりして戻つて來ると、その翌る日は御屋敷からの手當として、思ひも寄らぬお金が十兩屆きました。盆でも暮でもないのに、それも疑へば變でないことでもございません。いろ/\考へ拔いた末、知合の者が八五郎親分の叔母さんに手蔓があると申しますので、思ひきつてお願ひに參りました。私は此目で三日前に見かけた伜に何んの變りもある筈はございませんが、あのまゝにして置くと、どんな事になるか心配でなりません。親分さんのお力で、伜を取戻して頂くなり、それが出來なければ、せめて伜の安否も知り、逢つた上で此先武家奉公するものか、得心づくで事を決め度いと存じます。何うしたもので御座いませう親分さん」
仁兵衞老爺は縁側に手をついて、折入つた樣子で頼み込むのでした。
「成程そいつは心配だらうが、旗本でも大名でもないと言つても、赤塚樣は江戸の名家だ。町方の御用聞が、いきなり踏込んで調べるわけにも行くまい。もう少し樣子を見ることにしては何うだ」
「へエ」
「その代り、少し心の足りない野郎だが、暫らくの間、八五郎に赤塚の屋敷を見張らせることにしては何うだ」
「へツ、少し足りない野郎でも、間に合ひますか、親分」
八五郎は甚だ穩かでない頤を突き出します。
「まア、不足を言ふなよ。足りない樣な顏をして、相手に油斷をさせるのは、孔明楠以來の兵法だ」
「有難い仕合せで」
「さう願へれば、有難いことですが――幸ひ庚申塚には、私の別懇にして居る家もございます。八五郎親分のお宿をさせて、精一杯の御馳走をさせることにいたしませう」
「そいつは有難いね爺さん、思つたよりお前さんは話せるね」
「皆さんがさう仰しやいますで、へツへツ」
染井の百姓仁兵衞は、八五郎と一緒に出て行きました。これが世にも不思議な事件の緒口にならうとは、もとより平次も八五郎も知る由はありません。