Chapter 1 of 7

順風耳の八五郎は、相變らず毎日一つくらゐづつは、江戸中から新聞種を掻き集めて來るのでした。

その中には隨分愚にもつかぬものがあり、十中八九は聞流しにしてしまひますが、中には無精者の錢形平次を驅り立てて、恐ろしい事件の渦中に飛び込ませることも少くはなかつたのです。

「聽いたでせうね、親分。あの話を」

格子を足で開けると、彌造を二つ拵へたまゝ火鉢の向うに坐つて、こんな突飛なことを言ふ八五郎でした。

「聽いたとも、お前が横町の荒物屋のお光坊を口説いたつて話なら、町内で知らない者はないぜ」

錢形平次は相變らずの調子です。

「へツ、笑はかしちやいけませんよ、口説いたのはお光坊の方で」

「宜い氣なものだ」

「あつしの方から御免を蒙りましたよ。あんな綺麗な女を女房に持つちや、亭主が氣が揉めて仕樣がないだらうと――」

「お前は長生するよ」

「それにお光坊は少し浮氣つぽくて、附き合ひ切れませんよ」

「へエ、あの娘がねエ」

「この間まで佐久間町の丸屋の若主人と何んとか言はれて居ましたが、近頃は柳原の轟の三次と人目につかないところばかし選つて會ひ度がつて居るやうで」

「大層探索が屆くんだね、それが今日持つて來た話の種か」

「そんな下らない話ぢやありませんよ。親分が妙なところへ誘ひ込むから、ツイ話が混がらかるんで」

「そいつは大層惡かつたね、――ところでお前が持込んで來たのは、何處の新造を口説いた話なんだ」

「又新造ですかえ、――今日は、そんな氣樂な話ぢやありません。江戸の眞ん中に狼が出て、若い娘を追ひ廻すつて話をお聽きですか」

「江戸の眞ん中に狼? 嘘だらう」

「嘘や拵へごとぢやありません。現に――」

「――尤も町内の豐駒姐さんのところへ行つて、變な遠吠の稽古をして居る狼連なら、八五郎を始め五人や七人はあるだらうが」

「そんな氣樂な話ぢやありません。現にその豐駒師匠が聖堂裏の暗がりで、凄い山犬に追はれて、命辛々逃げ出して居る外に、この三、四日、湯の歸りなどを脅かされた若い女が二、三人はあるんですが」

「若い女の一人歩きを、三峰樣か何にかがたしなめて居るんだよ。豐駒師匠だつて選りに選つて聖堂裏なんかへ夜中に潜り込むのは良い料簡ぢやないぜ」

錢形平次はこのニユースをまるつきり相手にしません。恐らく何處かの野良犬が、この界隈で餌をあさつて居るか、街の不良共が、狼の聲色でも使つて、女子供を脅かして居るんだらうと思つたのです。

「豐駒の師匠なんか現に狼の姿を見たと言つて居ますよ」

「そいつは何時のことだ」

「一昨日の晩の亥刻(十時)過ぎ――」

「月はなかつた筈だな、四月の二十三日だ。その上あの邊には常夜燈も自身番の行燈もない、――狼は愚か、象と鉢合せしたつてわからない筈だよ」

平次はそんな愚にもつかぬ些事にも、一應は理詰に考へてやりました。

「でも、狼に吠え付かれたとしたら?」

「狼だか犬だかわかつたものぢやない、――日頃狼連を惱まして居るから、多分その祟りだらうよ」

「そんなもんですかね」

八五郎は正に言ひ負かされて了ひました。

「當り前だ。狼といふものは、猛獸ではあるが、恐ろしく臆病で、滅多に人里に出る獸ぢやないといふよ。それが江戸の眞ん中へ、ノコノコ流れ出てたまるものか」

平次はもう一つこの流言蜚語に留めを刺したのです。

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