一
「親分、親分が一番憎いのは何んとか言ひましたネ」
ガラツ八の八五郎、入つて來るといきなりお先煙草の烟管を引寄せて、斯んな途徹もないことを言ふのです。
初秋の陽足は疊の目を這ひ上がつて、朝乍ら汗ばむやうな端居に、平次は番茶の香氣をいつくしみ乍ら、突拍子もない八五郎の挨拶を受けたのでした。
「俺が憎いと思ふのは――年中お先煙草を狙ふ奴と、鼻糞を掘つて八方へ飛ばす奴と、埃だらけな足で人の家へ入る奴と――それから」
「もう澤山。わかりましたよ、親分」
「遠慮するなよ、もう少し並べさしてくれ。こんな折でもなきや俺とお前の中でも思ひきつたことは言へねえ」
「驚いたね」
「毎々驚くのは俺の方だよ。庭へ唾を吐くのも憎いし、髷の刷毛先を、無暗に左へ曲げるんだつて、可愛らしい好みぢやないぜ」
平次は八五郎の面喰つた顏を眺めながら、ニヤリニヤリと讀み上げるのです。
「そんな事で勘辨しておくんなさい。あつしの棚おろしはいづれ暇で/\仕樣のない時のこととして――」
「今日は暇で/\仕樣がないんだよ。でも、俺が數へるのを、一々と自分のことと氣が付くところを見ると、八五郎も滿更ぢやねエ」
「冗談ぢやありませんよ、――まるで小言を食ひに來たやうなものだ。ね、親分。親分の大嫌ひな子さらひがありましたよ。親の歎きを考へると、子さらひほど罪の深けえものはないと、親分は言つたでせう」
「その子さらひが何處にあつたんだ」
平次も漸く眞劍になりました。トボケたことを言ひながらも、八五郎の鼻の良さがなかつたら、不精者の平次はあぶれてばかり居ることでせう。
「それも可愛らしいのが二人、一ぺんに見えなくなつたんで。神隱しにしちや慾張り過ぎるから――」
「お前のいふことは一々變だよ、――何處の子が居なくなつたんだ。それを先に言はなきや」
「成程ね、そいつが一番大事だつたんだ。親分も御存じでせう、湯島の生藥屋で上總屋宗左衞門の孫、お千代といふ八つの娘と、新吉といふ六つの男の子が二人。母屋から藏へ通ふ廊下で、煙のやうに消えてなくなつたんだが」
「それは何時のことだ」
「昨日のことですよ、ちよいと行つて見て下さい。金や物を盜られたのと違つて、親達の歎きは大變だ。見ちや居られませんよ」
平次は到頭口説き落されました。
「よし、それほど言ふなら行つてやらう。二人一緒に行方不知になるのは、餘つ程深いわけのあることだらう」
錢形平次は手早く支度をして、八五郎と一緒に晝近い街へ出ました。
紅葉にはまだ早く、江戸の空は澄みきつて、本郷臺の秋は言ひやうもなく快適です。
上總屋宗左衞門といふのは、山の手きつての大きい生藥屋で、世間並の草根木皮の外に、蘭方の家傳藥なども賣り、幾代に亙つて榮えて居ります。
店暖簾を潜つた八五郎と、それに續く平次の顏を見ると、店に居た番頭の彌七は、あわてて奧へ飛び込みました。主人の宗左衞門に注進をしたのです。この男は四十がらみの脂の乘つた恰幅で、少しは自分でも溜めて居さうな如才のない人柄です。
「これは/\、錢形の親分。飛んだ無理なお願ひで」
いそ/\と出迎へた宗左衞門は、六十前後の大店の主人らしい、愛嬌の良い老人でした。後でわかつたことですが、八五郎に無理を言つて、錢形平次を誘ひ出させたのは、この老主人の粘り強い根性と、物柔かな驅け引きだつたのです。
「子供さん達が見えなくなつた後前のことを、詳しく聽き度いが――」
藥臭い店を拔けて、奧と言つても店續きの薄暗い六疊に案内された平次は、其處に居並ぶ四人の顏を見比べ乍ら斯う訊ねました。
四人といふのは、主人の宗左衞門の後添でお源といふ四十七八の内儀――まだ女の美しさが身振りにも聲音にも殘る中婆さん、大柄でガラガラして、商賣人あがりらしい匂ひが何處かに殘るのを筆頭に、若旦那と呼ばれて居る伜の宗太郎――三十二三の良い男ですが、青白く弱氣らしくて、大きい聲では物も言へないと、最後にその嫁で、お信といふ二十八九の年増、――眉の跡の青々とした、細面で上品で、年の割に何處かに滴るやうな可愛らしさの殘る女と――これが上總屋の家族の全部で、平次と八五郎を取卷いて、心配さうな顏を寄せた四人でした。
「昨日の夕方近く――申刻半(五時)過ぎだつたと思ひます、私は土藏の中で客と話をして居りましたが」
「藏の中で――?」
主人の話に、平次はフト聞耳を立てました。土藏の中の客といふのは、如何にも變に聽えます。
「へエ、少しわけがございまして、五六人の客を土藏の中に案内して居りました。二人の孫は私の後から來る筈になつて居りましたが、何時まで待つても參りません。手を拍つて呼びますと、店に居た筈の伜の宗太郎が、何うかしたんですか――とけゞんな顏をして參りました」
「――」
主人の話はひどく變つて居りますが、その腰を折らないやうに、平次は默つて先を促しました。
「女共は――家内も嫁も奉公人達も、皆んなお勝手で、お客樣へ出す料理の支度をして居りました。二人の孫が何處へ行つたか、一人も知つて居るものはありません。それから大騷動になつて、家中は申す迄もなく、庭から往來まで搜させましたが、影も形もないので――」
主人宗左衞門の話はそれで終りました。湯島門前町の眞ん中、夕景近いと言つても、まだ充分に明るいうちに二人の子供が煙の如く消えてなくなつたといふのは、全く想像もつかないことです。