Chapter 1 of 6

「親分、死んだ人間が手紙を書くものでせうか」

あわて者のガラツ八は、今日もまた變梃なネタを嗅ぎ出して來た樣子です。

町庇の影が漸く深くなつて、江戸の秋色も一段とこまやかな菊月のある日、

「何を言ふんだ。生きてゐる人間だつて、書けねえのがうんとあるぜ」

平次は月代を剃つて貰ひ乍ら、振り向いて見ようともしません。尤も剃刀を持つて居るのは、片襷を掛けた戀女房のお靜。月代は漸く濟んだが、顎のあたりへ刄物が來て居るので、危なくて身體も動かせなかつたのです。

「だから、死人の書いた手紙は變でせう」

「變だとわかつたら、俺のところへ訊きに來る迄もあるめえ、――今日は滅法忙しいんだ。お前なんかをからかつちや居られねえよ」

「へエ、それにしても大層なおめかしぢやありませんか、新情婦でも出來たんで?」

「馬鹿だなア、四方を見てから物を言ふが宜い。後ろに立つて居るのは俺の女房だぜ」

「へツ、違げえねえ」

「その女房の手には刄物を持つてゐるんだ。冗談にも浮氣の話をされると、俺はヒヤヒヤするぢやないか」

「まア」

戀女房のお靜、――内氣で忠實で、まだ若々しくさへあるのが、夫の平次と八五郎の度を過した冗談に、剃刀のやり場に困つて一瞬立ち竦んだ形になつたのも無理のないことでした。

「相濟みません。そんなつもりで言つたんぢやありませんよ。姐さんの前だが、親分と來た日にや、不粹で野暮で、女嫌ひで――」

「――吝で剛情で唐變木で――と、來るだらう」

掛合噺のうちに、お靜はざつと剃つて、いとしき夫の顎のあたりを、濡れ手拭で丁寧に拭いてやりました。二人の惡洒落には、相手になつてやらない覺悟をきめた樣子です。

「ところで、その死人の手紙ですがね、親分」

八五郎はでつかい煙草入の中から、何やら小さく疊んだ紙を出して、自分の膝の上で念入りに伸して居ります。

「まだ、その死人の手紙が祟つて居るのかえ。一體何處でそんな縁起の惡いものを拾つて來たんだ」

平次は縁側に煙草盆を持出すと、八五郎の話をぼんのくぼに聽く恰好になつて、晝下がりの陽の中に、丹精甲斐の無い狹い庭を眺めて居ります。

「凄い年増ですよ、親分。ちよいと行つて見ませんか、――死んだ亭主から手紙を貰つて顫へ上がつて居るから、親分が顏を出しや、どんなに喜ぶか知れやしませんよ」

「年増でも新造でも、凄からうが當り前の人間だらうが、亡者から手紙を貰ふやうな女は嫌ひだよ」

「でも、ちよいと良い筆跡ぢやありませんか、こいつは何んとか流と言ふんだつてね」

八五郎がそんな事を言ひ乍ら、膝の上で皺を伸ばしてゐる上へ、平次はフト好奇の眼を走らせました。

「なるほど見事な手だな。そいつは大師流とか何んとか言ふんだらう、――どれ/\」

平次の探求本能は、たうとう八五郎の期待に落ち込んで來たのです。

手に取つて見ると、薄手の半紙に、美しい筆跡で書いたのが一枚。冷たいほどに取澄した文字に似ず、その文句は激越で深刻で、まこと鬼氣を帶びた怨の數々が、綿々として綴つてあつたのです。

お前と矢並行方の不貞不信は許し難いが、夫の死後の行跡には冥府の怨みも酬ゆる由はない。谷口金五郎に至つては、莫逆の誓を破つて毒計を廻らし、この小倉嘉門を殺害せる罪、千萬供養を重ぬると雖も忘るゝ由はない。近く閻魔王に請うて彼の身邊に現じ、生き乍ら焦熱地獄に投げ入れて、阿鼻の苦患を嘗めさせるであらうぞ。其方も前非を改めて、矢並行方を追ひ退け、身を愼んで罪を待つがよからう。

冥府にて、幽鬼 小倉嘉門

こんな意味のことが、少したど/\しい文章で、板木で印刷された物の本のやうな、行儀の良い克明さで書かれて居るのです。

「どうです、親分。あつしにはよく讀めねえが、この手紙を貰つた凄い年増――小倉嘉門の後家の操さんと言ふのが、顫へ乍ら節をつけて讀んでくれましたよ」

八五郎は首を伸ばしたり、額を叩いたり、長んがい顎を撫でたり、平次の感動を強調する作業に夢中です。

「變なことがあるよ、八」

「何が變なんです、親分」

「その紙を嗅いで見な、――馬糞臭いのはお前の煙草だが、その他に、プーンと斯う麝香の匂ひがするだらう」

「へエ?」

八五郎は拳骨がモロに入りさうな、でつかい鼻の穴をひろげて、クンクンやつて居ります。

「それが本物の唐墨の匂ひだよ、――地獄で亡者が、唐墨を使つて居るとは知らなかつたよ」

「へエ?」

八五郎はまだ腑に落ちない樣子です。

「その亡者の手紙は、誰かの惡戯に違ひないよ。色つぽい後家と、その矢並とか言ふ武家の仲を妬んで、そんな手紙を書いた、二本足の亡者があるんだらう。あんまり騷ぐと笑はれるぜ」

「でも、この手紙の筆跡は、間違ひもなく死んだ夫――小倉嘉門の書いたものだと、後家の操さんが言ひますよ」

八五郎は尚ほも粘りましたが、

「まア/\もう少し待つて、亡者が業をするのを見ることだ」

平次は御輿をあげようともしません。

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