Chapter 1 of 9

「親分、凄いのが來ましたぜ。へツ」

「何が來たんだ。大家か借金取か、それともモモンガアか」

庭木戸を彈き飛ばすやうに飛び込んで來たガラツ八の八五郎は、相變らず縁側にとぐろを卷いて、寛々と朝の日向を樂しんでゐる錢形平次の前に突つ立つたのです。

「そんなイヤな代物ぢやありませんよ。その邊中ピカピカするやうな良い新造」

「馬鹿だなア、涎でも拭きなよ、見つともない、――お客樣なら大玄關から通すんだ。いきなり木戸を開けて、バアと長んがい顎を突き出されると、膽をつぶすぢやないか」

口小言をいひ乍らも平次は、煙草盆をブラ下げて、部屋の中へ入りました。平次の所謂大玄關へは女房のお靜が出て、物柔かに女客を招じ入れた樣子です。

やがて通されたのは、十七八の可愛らしい娘で、八五郎の前觸れほどのきりやうではありませんが、身形もよく物腰しも上品で、何んとなく好感を持たせるところがあります。

「錢形の親分さん? でせうね」

娘は高名な錢形平次が、思ひの外若いので、暫らくはきり出し兼ねた樣子です。

「俺は平次だが、なにか變つたことでもあるのかえ。大層遠方から驅けて來なすつたやうだが」

娘の息づかひや、二月の朝といふのに、白い額が心持汗ばんでゐるのを見て、早くもそんなことを訊いて見るのでした。

「巣鴨から參りました。姉が殺されてゐたんです。そして私は縛られさうだつたんです」

娘心に、この危急を救ふ者は、錢形平次の外にはないと思ひ込んだのでせう。明神樣の近所とうろ覺えを辿つて、往來で道を訊いた何人目かが、向柳原からフラリとやつて來たガラツ八だつたのは、何んといふ運のよさでせう。

「それは大變だ。詳しく話して見るが宜い」

平次の調子は柔かで深切でした。

「私はあの、巣鴨の梅の屋の者ですが――」

「梅田林右衞門樣のお孃さんでしたか、道理で――」

平次がさう言つたのも無理のないことでした。巣鴨仲町の梅の屋といふのは、梅田林右衞門といふ御家人上がりで、兩刀を腰にブラ下げて歩く、不徹底な生活に見きりをつけ、故郷の駿府からいろ/\の土産を江戸に運んで賣り擴め、多分の利潤をあげて、一代に何萬といふ身上を築いた男だつたのです。

「父は去年の春亡くなりました。跡取りの姉は、この春には父親の年忌を濟ませて、祝言をすることになつて居りましたが、それが昨夜、人手にかゝつて死にました」

娘は姉の末期の痛々しい姿を思ひ浮べたものか、我慢の堰を切つたやうにどつと涙が顏を洗ふのです。

「それから?」

「それつきりでございます。庚申塚の寅松親分が來て、ざつと調べたと思ふと、いきなり私を呼びつけるぢやございませんか――私は何んの氣もなく行かうとすると、源三郎さんが留めて、寅松親分は、お前を縛る氣でゐるから、奧へ行かない方が宜い。この儘そつと裏口から飛び出して、神田明神下の錢形親分さんのところへ行つて、お願ひして見るが宜い。錢形の親分は江戸開府以來と言はれる捕物の名人だから、きつと眞實の下手人を搜して下さるに違ひない――と斯う言つてくれました」

一生懸命に、――娘は涙を納めて斯う説明するのでした。

「源三郎といふのは? 誰だえ」

「萩源三郎樣、――矢張り御浪人でございます。二本差がいやになつたからと、二年ばかり前から店を手傳つて居りますが、父の遠縁の者でございます」

「それつきりか」

「姉の許嫁のやうに思はれて居りました」

「本當の許嫁ではなかつたといふのか」

「いえ、矢張り許嫁で。この春、姉と祝言することになつて居たのは、その源三郎さんでございます」

「よし/\、あとは現場を見なきやわかるまい、――八、一緒に行くか」

「先刻から待ちくたびれて居ますよ」

八五郎は袷の裾を七三に端折つて、スタートに並んだ選手見たいに鼻の穴をふくらませて居るのでした。

Chapter 1 of 9