Chapter 1 of 6

「親分、良い陽氣ですね」

ガラツ八の八五郎が、鼻の頭から襟へかけての汗を、肩に掛けた手拭の端つこで拭きながら、枝折戸を足で開けて、ノツソリと日南に立ちはだかるのでした。

「陽氣の良いのはオレのせゐぢやないよ、頼むから少し退いてくれ。草花の芽が一パイに天道樣に温ためられてゐるんだ」

平次は縁側に並べた小鉢の前から、忌々しく八五郎を追ひやるのです。

「へツ、宜い氣なもんだ、結構な御用聞が、三文植木なんかに凝つて――」

「何んだと、八、何んか言つたやうだな」

「何、此方のことで、――良い陽氣で、江戸の町は一ぺんに花が咲いたやうですよ、少し外へ出て見ませんか。春ともなれば、斯う不思議に人間の雌が綺麗になる」

「何を言やがる、『春ともなれば』も氣障だが、『人間の雌』は聽き捨てにならねえ臺詞だ」

「全くその通りだから嬉しくなるでせう。人間の雄は暮も正月も大した變りは無いが、雌の方は、新造も年増も三割方綺麗になるから不思議ぢやありませんか。親分の三文植木だつて、花も咲くわけで――」

「呆れて物が言へねえよ、何時までも其處に突つ立つて、憎い口を叩いて居ると、頭から汲み置きの水をブツかけるよ」

「そいつは御免を蒙りませう。逆上のさがるのは有難いが、その代り一張羅は代無しだ、それより少し歩きませうよ、親分。甲羅を干し乍ら、新造を眺めたり、鰻の匂ひを嗅いだり、犬をからかつたり」

「いよ/\お前といふ人間は長生きをするやうに出來て居るよ、――ところで、何處へ俺を誘ひ出さうといふ魂膽なんだ」

平次はもう、八五郎の目論見を見拔いて居たのです。斯んな馬鹿なことを言ひ乍ら、兎角出不精になり勝の平次を誘ひ出して、繩張り外で叡智を働かせようといふのでせう。

「エライ、圖星ですよ、親分。新造も年増も、お天氣も鰻の匂ひも皆んな親分を誘ひ出す餌だ」

「俺とダボハゼと間違へてやがる」

「兎も角も出かけませうよ、良い陽氣で、新造で年増で、鰻でダボハゼでせう。こんな時家にばかり引つ込んで居ると、お尻に茸が生えて、女房が増長する――あツいけねえ、お靜姐さん默つてお勝手で聽いてるんですね、人が惡い」

「あれ、八さん」

お靜は驚いてお勝手から顏を出しました。存在をはつきりさして置かないと、この男は何を言ひ出すかわかりません。

「場所は本所相生町二丁目ですがね」

「其處に氣のきいた鰻屋でもあるのか」

「あれ、まだ鰻に取つつかれて居ますね。あつしの話は同じ長物でも、鰻ぢやなくて槍ですよ。九尺柄笹穗皆朱の槍、見事な道具でさ――それを場所もあらうに、雪隱へブツリと突つ立てた」

「氣味が惡いな、一體それは何んの話なんだ」

平次も少し本氣になりました。八五郎の話術は、ひどくとぼけて居る癖に、妙に人の注意を捕へる骨を知つて居たのです。

「石原の利助親分のところのお品さんが、先刻向柳原のあつしの家へ飛んで來て、相手は相生町の阿波屋だから、雪隱へ槍を突つ込まれて、ひどい怪我をしたのも放つて置けないし、さうかと言つて、親分の利助は足腰立たず、子分衆にも頼りになる者が無い、お願ひだから錢形の親分を引つ張つて來て下さい、イヤだと言つたら首つ玉へ繩でもつけて――」

「嘘だらう、お品さんはそんな荒つぽいことを言ふものか」

「首つ玉へ繩はあつしの作ですが、兎も角、親父の利助一生の大事だからと、あの氣性者のお品さんが、涙を浮べて頼んで行きましたよ。――相生町の阿波屋といふのは、御入府以來から竪川通りの大名主で、今では雜穀問屋だが、間違ひがあれば矢張りお上へ屆出なきやならないんですつてね」

石原利助は曾て平次と張合つた顏の古い御用聞でしたが、中氣になつて身體の自由がきかず、出戻りの娘お品が、二十五の年増盛りを、子分衆を引廻して十手捕繩を守り續け、娘御用聞とか何んとか言はれる、本所名物の一つにされてゐるのでした。

「お品さんはまた、何んだつて此處へ來て頼まないんだ」

「何んと言つても、親分と面と向つちや、頼み憎いんでせうよ。其處へ行くとあつしなんか人間が直だから、金を貸せと言へばハイ、情夫になつてくれと言へばハイ」

「馬鹿野郎、誰がお前にそんな事を頼むものか」

無駄を言ひ乍らも平次は、手輕に支度を調へて、柳原土手の白い蝶々を追ひ乍ら、兩國を渡つて相生町にかゝつたことは言ふまでもありません。

Chapter 1 of 6