Chapter 1 of 8

「八、近頃お前は、大層な男になつたんだつてね」

錢形平次は、珍らしく此方から水を向けました。ガラツ八の八五郎が縁側へ腹ん這ひになつて、手長猿のやうに遠方の煙草盆を引寄せ、默つてお先煙草を二三服立て續けに吸つたところへ冠せた話のきつかけです。

「それほどでもありませんがね。――尤も人を助けるといふのは、まことに、良い心持のもので」

「大きいな、さうしてゐるところは大した貫祿だよ」

「ところが、叔母さんと來た日にや、あつしの人助けを、お節介の物要りの、無分別の大馬鹿野郎だといふんですよ。――女の古いのはどうしてあんなに口が惡いんでせう。尤も近頃は助けた娘と氣が合つて、すつかり仲好しになつたやうですが」

「叔母さんの言ふのが本當かも知れないよ。お前の叔母さんは、少し頑固だが、根が正直で氣の優しい人だ。――兎も角お前が若い女一人を拾つて、向柳原の叔母さんの家へ連れ込んだ經緯を話して見るが宜い。俺はそれを聽いてから、とくと思案を定めることにしよう」

平次は草花いぢりで少し泥になつた手を叩いて、八五郎と並んで縁側に腰を掛けると、八五郎の手から煙管を取上げて、藁で縛つた五匁玉から、少し馬糞臭いのを器用につまみ上げるのでした。

四月の陽は縁から雨落に這つて、江戸の櫻ももうお仕舞ひ、狹い庭に草の芽が萠えて、蟻はもう春の營みに、忙しい活動を續けて居ります。

「五日前の晩でしたよ。本所の歸り兩國へかゝると、橋の中程で欄干にもたれて、若い女が泣いてゐるぢやありませんか」

「約束通りだ、時も、場所も」

「危い――と思つて聲を掛けると、いきなり欄干を越して、大川へ身を投げようとするぢやありませんか、飛付いて引おろすのが精一杯、いや驚いたの驚かねえの――」

「月はあつたのか」

「少し朧だが、良い月夜で、後ろから抱き締めて、欄干から引離すと、怨めしさうに振り返つたお里の顏が、ぞつとするほど綺麗でしたよ。――色白の左の頬に、ぽつちりほくろがあつて」

「そのまゝ向柳原の叔母さんの家へ連れて來て、三日經つても、五日經つても、お前はぞつとして居るんだらう」

「からかつちやいけません、放つて置けば又死ぬ氣になるかも知れないし、何處へも行きどころが無いといふから、あつしの家へ連れて來たまでのことで」

「そこで八五郎は、一番男を立てたといふわけか。――助けたのが、薄汚い爺いだつたら、お前はどうする、矢張り自分の家へ連れて來て、默つて飼つて置く氣になるか」

「其處までは考へませんよ」

「まア、宜い、――ところで、その娘の人別はわかつて居るのか」

「それが何より氣になりますよ。人別は長崎の寺にあるさうで、父親と一緒に、江戸へ出たのが三年前、その父親に死に別れて、日本橋の大店へ、請人の無いのを承知で住み込んだが、主人に執こく口説き廻されて、思案に餘つて死ぬ氣になつた――と斯ういふんです。聽いて見ると、綺麗に生れ付いたのが災難で、苦勞から苦勞を重ねるやうなものですね――素姓も育ちも良いらしく、色白の丸ぽちやで、そりや可愛い娘ですよ」

「ひどく思ひやりがあるんだね」

「でも、可哀想ぢやありませんか。――尤も口説かれて死ぬ氣になるなんて量見は、こちとらにやわからねえが――」

「八五郎から、嫌はれて死ぬ氣になる」

「死ぬ氣になるほど嫌はれて見てえのが、あつしの心願ですがね」

「いよ/\以てお前といふ人間は氣味が惡いよ。ところで、叔母さんは、その人別の無い綺麗な娘を、默つて置く氣になつたのか」

「最初は散々文句を言ひましたよ。そんな事をすると、お前の縁談にさはるんだつて、嬉しいぢやありませんか?」

「で?」

「當人の娘――お里といふんですがね、それを引取つて一二日世話をしてゐると、すつかり氣に入つてしまひましたよ。角の乾物屋の二番目娘よりも、氣立てもきりやうもぐんと良い、これで親元さへ確りしてればと、それはもう夢中で」

「餘つ程氣に入つたと見えるな。――その叔母さんが此處へやつて來て、――八五郎は人間は甘いやうだが、あれでなか/\侠氣がありますよ。兩國橋で身投げの娘を助けて來て、妹のやうに可愛がつて居りますが――と褒めちぎつて居たよ。俺はまた氣を廻して、八の野郎が、何處かの岡場所から、下つ腹に毛の無えのを仕入れて來て、兩國橋で助けたことにして、叔母さんを誤魔化して居ることだらうと思つて居たよ」

「そんな人の惡いことはしませんよ」

「マア精々可愛がつて置くが宜い、そのうちに怖い兄さんが、匕首か何んかを持つて、妹を頂戴に來るだらうから」

平次は八五郎の不足らしい顏に構はず、最後までからかひ面でした。

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