Chapter 1 of 6

「親分、あつしはもう口惜しくて口惜しくて」

八五郎はいきなり怒鳴り込むのです。彼岸過ぎのよく晴れた朝、秋草の鉢の世話に、餘念も無い平次は、

「騷々しいな、何が一體口惜しいんだ。好物の羊羹でも喰ひ損ねたのか」

一向氣の無い顏を擧げるのでした。

「そんな氣樂な話ぢやありませんよ。親分も知つて居なさるでせう、菊坂小町と言はれた小森屋の娘お通が、昨夜殺されましたぜ」

「フーム」

「口惜しいぢやありませんか。あつしの岡惚れでも何んでも無いが、本郷中をピカピカさした娘を、虫のやうに殺して宜いものでせうか、親分」

「泣くなよ八、それにしても、向柳原に居るお前が、菊坂の殺しを俺より先に嗅ぎ出すのは、大層良い鼻ぢや無いか」

「追分に用事があつて、セカセカと本郷の通りを行くと、鉢合せしさうになつたのは、臺町の由松親分ぢやありませんか。その由松親分が、『菊坂小町が殺されて、昨夜から調べにかゝつて居るが、俺一人では我慢にも裁ききれねえ、錢形の親分を迎ひに行くところだ』といふから、あつしが引返して親分をつれ出すことになり、由松親分は其處から又菊坂の現場へ引返しましたよ――」

八五郎は言葉せはしく説明するのです。

「よし、臺町の由松親分の頼みなら、行かざアなるめえ」

平次は手早く支度をして、菊坂町へ飛んだのです。

お通の父親といふのは、小森彌八郎といふかなりの分限者で、昔は槍一筋の家柄であつたと言ひますが、今では町内の大地主として、界隈に勢力を振ひ、娘のお通の美しさと共に、山の手中に響いて居ります。

小森屋の住居もまた、町人にしては非凡の贅でした。菊坂の坂上に建てたコの字型の建物で、玄關や破風や長押を憚つた町家造りには違ひありませんが、それを内部の數寄を凝らした贅澤さに置き換へて、木口も建具も一つ/\が人の目を驚かします。

「錢形の親分」

主人の彌八郎は一應平次を迎へましたが、激しい心の動亂に、急には言葉も出ない樣子です。五十前後のすぐれた人品で、江戸の分限者らしい中老人ですが、かうした知的な見かけのうちに、案外の情熱を持つてゐるのかもわかりません。

「飛んだことでしたね、小森屋さん」

平次もこれは知らない顏ではありません。

「親分、あの神樣のやうな娘を、――あんまりひどいことをするぢやありませんか。どんなことをしても、敵を取つて下さい、お願ひです」

日頃の傲慢さに似ず、打ち萎れた父親の姿は、見る眼にもあはれでした。

娘お通の殺されたのは、母屋と中庭を隔てゝ相對する廊下續きの六疊の一と間で、それはお伽噺の姫君の部屋のやうな、可愛らしくも美しいものです。母屋に向いた北側は丸窓で、南は總縁、その外は板塀で、板塀の下は崖になつて居り、崖の下には折り重つたやうに町家が續いて居ります。

母家から廊下傳ひに、娘の部屋へ入つて行くと、親類の小母さん方が二三人、濕つぽく死骸のお守りをし乍ら、何かと葬ひの打合せをして居りましたが、平次と八五郎の姿を見ると、入れ替りに、コソコソと母屋へ引揚げてしまひ、主人の甥の鐵之助といふ、頑丈な三十男だけが、案内顏に縁側に立つて居ります。

床の上に横たへた娘お通の死骸の痛々しさは、さすがの平次も息を呑みました。やゝ柄の大きい、色白の、さながら崩れた大輪の牡丹を思はせる美しさです。生前本郷中をクワツと明るくしたといふ、不思議な愛嬌も、今は見る由もありませんが、十九といふにしては、見事に成熟した肉體の魅力は、死もまた奪ふ由の無い美しさです。

「ひどい事をしたものですね、親分」

後ろから首を長くして、八五郎は口惜しがるのです。

「傷は、前から一ヶ所、左の胸元を、單衣の上からやられてゐる」

心臟を一と突き、恐らく若い娘は、聲も立てずに死んだことでせう。

「胸にこれが突つ立つて居りました」

甥の鐵之助は、部屋の隅から、手拭に包んだ眞矢を一本持つて來て見せました。鷹の羽を矧いだ古い征矢ですが、矢の根が確りして居り、それがベツトリ血に塗れて、紫色になつて居るのも無氣味です。

「これでやつたのかな」

顏を擧げると、母屋に向いて居る北側の丸窓の障子に、一ヶ所矢でも突き拔けたやうな穴が明いて居り、娘のお通が丸窓の下の小机に凭れて居たとすると、障子越しに射た矢が胸に突つ立つて命を奪ることも考へられます。

Chapter 1 of 6