一
「ところで親分はどう思ひます」
「ところで――と來たね、一體何をどう思はせようてんだ。藪から棒に、そんな事を言つたつて、わかりやしないぢやないか」
錢形平次と子分の八五郎は、秋日和の縁側に甲羅を並べて、一刻近くも無駄話を應酬して居たのです。
「先刻言つたぢやありませんか、子曰くの先生のお妾――」
「あ、お玉ヶ池の春名秋岳先生か、あれは儒者といふよりは兵學者の方だよ。近頃素晴らしいお妾を置いたといふ話なら、お前の口からだけでも、もう三度も聽いたよ」
平次は氣の無い顏をして、秋の庭先にユラユラと消えて行く、煙草の烟の輪を眺めて居ります。
まことに天下太平の晝下がりです。丹精した朝顏がお仕舞になつて、貧乏臭い鉢植の楓林仕立が色づくと、平次の庭も何んとなく秋さびます。
「そのお妾のお照が、ズブの素人の癖に、色つぽくて、愛嬌があつて、斯う話して居ると、クワツと燃え立つやうで、男の切れつ端なら誰でも掻き立てられるやうな心持になりますよ」
「それが何うしたんだ」
「嫌になるなア。親分と女の子の話をするほど氣の乘らないことはありませんね」
「性分だよ、勘辨しねえ」
「へツ、お靜姐さんが、若くて綺麗なせゐぢやありませんか。世間では專らそんな事を言つて居ます」
「何が專らだえ、馬鹿々々しい」
「相濟みません、――ところで話は元へ戻つて、秋岳先生の愛妾お照の方、年は二十四で、聊か傳法で、搗き立ての羽二重餅のやうにポチヤポチヤしたのが――」
「――」
平次は默つてしまひました。八五郎が何を言はうとして居るのか、見當もつきませんが、何んかしら、仔細あり氣なプロローグです。
「今まで隣町に一戸を構へさせ、月の六齋に、少々胡麻鹽になつた顎髯をしごき乍ら、唐天竺の都々逸なんかそゝつて通つた秋岳先生が、妾宅通ひも年のせゐで段々人目に立つやうになつたし、二つ世帶を賄なつては、諸掛りも大變だといふので、御本妻の里江さんも承服の上、お玉ヶ池の塾に引取つて、同じ屋根の下に住むことになりましたが――」
「それでどうしたといふのだ」
「考へて見て下さいよ、親分、秋岳先生は五十五、學問はあるかも知れないが、ノツポで皺だらけで、暮の鹽鮭のやうに不景氣な爺さんだし、塾生とかいふ内弟子が三人、十八から二十五まで、血の氣の多いのが同じ釜の飯を食つて居るんですぜ」
「それ丈けのことか」
「塾生の伊場健之助は十八、ニキビだらけで背高童子で、さる大藩のお留守居の子、田舍の豪士の伜の狩屋三郎といふのは二十二で、ちよいと良い男で子曰くの素讀よりは、小唄を轉がす方が上手だ。一番年上は尾崎友次郎と言つて二十五、御家人の子で貧乏臭くて、學問が好きで劍術が嫌ひ、現に無理を言つて、春名塾へ入つて居るといふ變り者だ。――これ丈け苦い男が揃つて居るところへ、若いお妾が入つて來たのは、唯事ぢや無いぢやありませんか」
「そんなものかな」
「ところで、あつしも急にその兵學とやらいふ意氣な學問がし度くなりましたが、どうしたものでせう」
八五郎は眞顏で斯んな事を言つて、長んがい顎を撫でるのです。
「止さないか、馬鹿々々しい。いろは四十八文字を、辨慶讀みにするのが精一杯のお前が、學問といふ柄かえ」
「へエ、いけませんかね。春名塾へ入る念願は叶ひませんかね」
「呆れて物が言へないよ、お前といふ人間は」
「それについて、あつしは妙なことを考へましたよ」
八五郎は急に開き直るのです。
「何を考へたんだ」
「かりそめにも學問を教へる先生が――」
「かりそめと來やがつたか、お前の學問の程はよくわかつて居るよ」
「その大した先生がですよ、妾手掛けを置いて宜いものでせうか。こちとら三十近くなつても、たつた一人の嫁さへ貰へないといふのに」
「あれツ、自分の身に引き比べたのか、突き詰めちやいけないよ。八五郎の女房になりたいといふ娘は、町内だけでも三人や五人はあるぜ」
「なり手があつても、世帶を持つほどの工面がつきませんよ、――それに、一方ではハチ切れるほど學のある先生が、大金を出して若い妾を買つた上、長年連れ添ふ女房と、同じ屋根の下にのさ張らせて置くといふのを、小意氣に獨り者が默つて見て居ていゝものでせうか、親分」
「少し眼の色が變つたよ。大丈夫かえ、八」
「でも、癪にさはるぢやありませんか、ね親分」
「論語にも孟子にも、――どつこい、六三略の方だつけ。その有難い書物にも妾を置いてはいけないと書いては無いかも知れぬ?」
「鹽鮭と羽二重餅ですよ、親分」
「お節介だな、お前は」
「尤も、内儀の里江さんは石女で、三十年連れ添つても子が無いからと、夫が若い妾を置いても、不足らしい顏もしない」
「氣の毒だな」
「鹽鮭見たいな親爺の子をウジヤウジヤ拵へたところで、世の中が薄汚くなるばかりぢやありませんか、ね、親分」
八五郎の哲學は、此上もなく簡單です。