Chapter 1 of 7

「親分の前だが、女日照の國には、いろんな怪物がゐるんですね」

八五郎がまた、親分の平次のところへ、世上の噂を持込んで來ました。江戸八百八町にバラ撒かれてゐる下つ引や手先から集まつた資料が、八五郎の口から、少しばかり誇張されたり潤色されたり、面白可笑しく編輯されて、平次の耳へ傳わつて來るのです。

「女旱魃の國てえのは何處だえ、――まさか傳馬町の大牢ぢやあるめえな」

平次は相手欲しさうでした。外は空つ風、暦の上は春でも梅の花までがかじかみさうな、薄曇の寒い日です。

神田明神下の平次の家も、この二三日は御用が暇な上懷中までが霜枯れで、外へ出て見る張合もありません。煙草の五匁玉をあらかた吸ひ盡くして、出がらしの茶ばかり呑んでゐるところへ、八五郎のガラツ八が、秩父颪と一緒に飛込んで來て、女護が島の住人見たいな、高慢なことを言ふのです。

「そんなイヤなところぢやありませんよ、場所は大川端町、あの邊では顏のきいた、名取屋三七郎といふのを親分御存じでせう」

「大層な男だといふが、金儲けはうまい相だな」

「その名取屋三七郎は、名古屋山三ほどの良い男の氣でゐるから大したもので」

「自惚れは罪がなくて宜いよ」

「ところでその内儀さんのお縫も惡くねえ女だが、妾のお鮒と來た日にや、品川沖まで魚が取れなくなるといふきりやうだ」

「妙な譬へだな」

「あんまり綺麗だから、お天氣の良い日はピカ/\して、その照り返しで大川の魚は皆んな逃げる」

「馬鹿なことを言え」

「魚が逃げる位だから、人間の男だつて、利口なのは寄り付かない。名取屋三七郎の家の兩隣には、三軒長屋が二た棟あるが、不思議なことに皆んな男世帶だ、――三七郎の妾のお鮒が綺麗なんで、女といふ女は住みつかないんだ相ですよ」

「お前の話は相變らず馬鹿々々しいな」

「まア、聽いて下さいよ、話はこれから面白くなるんで」

「フーム」

「三軒長屋が二つ、その一つは北の方にあつて、按摩の年寄夫婦が一と組と、浪人波多野虎記と、小博奕を渡世にしてゐる、勇吉といふ若いのが住んでゐる、按摩の女房の婆さんなんか女のうちに入らない」

「――」

「南隣の三軒長屋には、馬鹿の猪之助と、漁師の申松が住んで居て、中の一軒は空家だ、その空家にはお化けが出るといふ噂があつて、この一年借り手が無い、――昔々、一人者の婆さんが、臍繰を五貫六百ばかり殘して死んだ相だから、多分それに思ひが殘つてゐるだらうといふことで――」

「恐ろしくケチなお化けだな」

「ところで、この三軒長屋二た棟に住んでゐる、六人の住人のうち、按摩夫婦の二人の外は、皆んな名取屋三七郎の妾のお鮒に夢中なんだから面白いぢやありませんか」

「そんな話は、ちつとも面白くは無いよ、馬鹿々々しい」

「錢形の親分に面白がらせようなんて、そんな娑婆つ氣はありませんよ、當人同士は妾のお鮒に聲でも掛けて貰はう、せめて一と眼振り向いて見られようと、そりや夢中なんで」

「そんなのが四人も五人も大川端に集まるんだから江戸は廣いなア」

「先づ第一番に白痴の猪之助――この男は取つて二十九の良い若い者だが、釘が一本足りないばかりに、まともな仕事が出來ねえ。一昨年お袋に死なれてからは、蛆の湧きさうな一人ぐらしですが、季節が來ると南瓜だつて茄子だつて花が咲く、何時の間にやら三七郎の妾のお鮒に思ひをかけ、裏の物干臺の上へ登つて、朝から夕方まで三七郎の家を見張つてゐる」

「寒からう――話の樣子では」

「三軒長屋最合の物干臺だから、眞ん中の空家の横手に附いてゐる。東陽が半日當るだけだ、寒いの寒くねえのつて――」

「風邪を引かねえのか」

「馬鹿は風邪を引きませんよ」

「道理で」

「感心しちやいけません、あつしも心を入れ替へて、精々風邪でも引かうかと思つてゐるところで」

「恐ろしく氣が廻るな」

平次も苦笑ひしました。馬のやうに丈夫な八五郎は、二日醉をやる位が精々で、附き合ひで風邪などを引く柄ではありません。

「尤も、お鮒がチヨイチヨイ氣を引くからいけないんで、――飼ひ鶯を軒下に出して、一日に幾度となくそれを見に、障子を開けて縁側へ出る、それ丈けなら宜いが、鶯をあやし乍ら、向うの物干臺のあたりを見てニツコリする」

「――」

「白痴の猪之助は、日雇取に出るのも忘れて、夜が明けてから日が暮れるまで、裏の物干臺に立つて、板塀越しに、お隣の三七郎の家を眺めて居ますよ」

「この寒空に」

「雨や雪の日は、小鳥を家の中へ取込みますが、猪之助にはそのけじめがわからねえ、小鳥は縁側に居なくたつて、自分が物干から眺めてゐさへすれば、念力でもつて、お鮒が顏を出すに違ひない――と、斯う思ひ込んでゐるやうで」

「哀れだな」

「良い女は罪が深いね、お寺の油を三合盜まなくたつて、あれぢや來世はろくなことがねえ」

「三世相見たいな事を言ふな、――話はそれつきりか」

「これから面白くなるんで」

「厄介だな、早くサワリどころをブチまけなよ」

平次も少し乘氣になりました、八五郎の話の馬鹿々々しさが、妙に人をひき付けます。

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