一
「親分、良い陽氣ですね」
フラリとやつて來た八五郎は、襟の汗を拭いて、お先煙草を五六服、お茶をガブ呑みの、繼穗もないお世辭を言ふのでした。
「二三日見えなかつたが、何處へ行つて居たんだ」
錢形の平次も、この十日ばかりはまるつきり暇、植木の世話をしたり、物の本を讀み返したり蟻の行列を眺めたり、雲のたゝずまひを考へたり、まことに退屈な日を送つて居たのです。
「こんな時家の中に引籠つて居るのは、餘つ程錢のねえ奴か、女房に惚れてゐる野郎ばかりで」
こんな事をヌケヌケ言ふ八五郎を、平次はニヤリニヤリと受けました。
「當てられたやうだが、――それに引換へてお前は餘つ程景氣が良いと見えるな」
「何しろ、お天氣がよくて、身體が達者で、お小遣がふんだんにあるんだから、半日だつて叔母さんの二階に燻ぶつちや居られませんよ。外へ出たとたんに、江戸中の新造が、皆んなあつしに惚れて居るやうな氣がするでせう」
「江戸中の新造は大きいな、――ところで何處へ行つたんだ」
「神樂坂ですよ」
「妙なところへ行つたものだね、其處に良い新造でも居るのか」
「良い新造も居ますが、色つぽい年増も、浪人も、金持も居ましたよ」
「何んの話だか、さつぱりわからねえよ、何處かの赤い鳥居へ小便でもしやしないか」
「狐にだまされたと思つて、神樂坂へ行つて見て下さいよ、牡丹屋敷のツイ裏、長崎屋七郎兵衞と言や、大した身上だ。その上内儀がきりやうよしで、娘が滅法可愛らしいと來て居る、覗いて見たつて、損はありませんよ」
「又何んか頼まれて來たのか、寶搜しや夫婦喧嘩の仲裁は御免だよ」
平次は大きく手を振りました、八五郎が又何んか平次引つ張り出しを頼まれて來た樣子です。
「そんな氣のきかねえ話ぢやありませんよ、長崎で一と身上拵えた長崎屋七郎兵衞の一家が、あんまりボロい儲けをしたので、長崎を引揚げて、江戸へ來てから三年にもなるといふのに、元の商賣敵からひどい嫌がらせをされて居るんです。此まゝ放つて置いたら、命に拘はるかも知れねえ、錢形の親分を頼み度いところだが、あつしに瀬踏してくれといふ話で、泊りがてら、神樂坂界隈を念入りに調べて來ましたよ」
「何んだ、そんな話か、――そこで何をしろといふんだ」
「兎も角も、長崎屋が何時夜討を掛けられるかわからねえといふわけで」
「まるで富士の裾野だ、相手はどんな人間だ」
「曾我の五郎十郎と言ひてえが、實は長崎の拔け荷仲間で、腕の立つのは一人も居ないが、惡智惠の廻るのや、人の惡いのでは引けは取らねえ、現に、長崎屋の井戸の中へ汚れものを打ち込んだり、主人の七郎兵衞が夜道を歩いて居ると、薪雜棒でどやし付けたり、火をつけられた數だけでも三度。三度とも首尾よく消し留めたが、此先何をやられるかわからない」
「念入りな惡戯だな」
「此方には、岡浪之進といふ卜傳流の達人が、用心棒に付いて居るから、拔け荷仲間の惡戯者なんか傍へも寄りつけないが、やる事が執念深い上に、いかにも人が惡くて手に了へない」
「何んの怨だ。それ丈けの業をするのは、一應筋があるだらう」
「長崎の儲けを、長崎屋七郎兵衞とその弟の金之助が、用心棒の岡浪之進と一緒になつて、三人占めしたのが氣に入らないんだ相ですよ、――長崎の敵を江戸で討つ」
「相手の素姓や名前はわかつて居るわけだな」
「仲間は多勢あつたから、名前まではわからない相ですよ、尤も、二度目の火をつけた時、火の出た物置の外に、これが落ちて居たんだ相で」
「何んだいそれは?」
八五郎がでつかい財布から取出したのは、直径一寸ほどの、銀の分厚の錢、日本錢のやうに、眞ん中に穴があいたり、橢圓形だつたりするのでなく、まん圓で掌に乘せると、心持どつしりして居ります。
「和蘭の錢だといふことですよ、長崎屋七郎兵衞の商賣仲間――と言ふと拔け荷の仲間ですが、仲間の印にそれを一枚づつ持つて居たんだ相で、現に七郎兵衞も弟の金之助も番頭の友三郎も用心棒の浪人者も一枚づつ持つて居て、出して比べて見せましたが、寸分違はずこの通りです」
「フーム、大分曰くがあり相だな」
「その和蘭の錢は親分が預かつて下さい、あつしが持つて居ても仕樣がありませんから、そいつが日本の小粒だと、右から左へ役に立つんですがね」
「さうしようか、いづれ行つて見るとして」
平次はさう言つて、和蘭の銀貨を懷の中にしまひ込みました。