Chapter 1 of 5

錢形平次は久し振りに田舍祭を見物に出かけました。

調布街道を入つた狛江村、昔から高麗人の裔が傳へた、秋祭の傅統がその頃まで殘つて居て、江戸では見られぬ異國的な盛大さが觀物だつたのです。

宿は北見の三五郎、義理堅い良い目明しでした。この邊は伊奈半左衞門の支配で、江戸の眞ん中と違つて、事件は少ないやうです。が、人間と人間の關係がうるさいので、實際斯う言つた顏の良い親分衆でないと、十手捕繩を預つての、キビキビした活動はむづかしかつたのです。

それは兎も角、平次が着いたのは祭の前日の晝過ぎ。

「まア/\一つ、お濕りをくれてから、宵宮へ繰り出さうぢやないか」

と、三五郎は呑ませる工夫ばかり、尤も、北見の三五郎、中年者の強かな男ですが、平次には江戸で恩になつたことがあり、折角呼んだのだから、存分に御馳走もして、自分の近頃の威勢も見せてやり度かつたのでせう。

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五里近い道を歩いて來て、すつかりくたびれたところへ、強ひるほどに呑むほどに、夕方はもう、すつかり虎になつた八五郎は、宵宮の村が賑やかになる頃は、ぐつすり寢込んでしまつて、呼んでも叩いても起きることではありません。

「放つて置かうよ。鼻から提灯を出して居るところを見ると、お祭の夢を見て居るに違げえねえ」

平次は三五郎とその子分達を促して、宵宮の太鼓の音のする方に出かけました。

それから二た刻あまり、八五郎は漸く目が覺めました。滅法喉が渇きます。手でも叩かうと思ひましたが、この部屋は母屋から離れて居て、それも少し氣の毒、水差しくらゐは來てゐさうなものと、鎌首をもたげてそつと見廻すと、

「おや?」

窓の半分を明るくした、秋の夜の月明り、芒の中にしよんぼり女の立つて居るのが、影繪のやうに鮮やかに障子に映つて居るのです。

「江戸の親分樣」

か細い聲が呼びます。影法師が搖れると、鬢の毛がサラサラと風にほつれて、凄いほど華奢な手が、生垣の杭にもたれるのです。

「俺に用事かえ、脅かしちやいけないぜ」

八五郎は起ち上がりました。甚だ尾籠な腰つきですが、江戸の親分と呼ばれては、顫へてばかりも居られません。窓を開けると、水のやうな月夜、遠く祭のどよみを聽いて、低い生垣に凭れるやうに、シヨンボリ立つて居る女と顏を合せました。

「お願ひでございます。江戸の親分さん、私は殺されかけて居ります。どうぞ、お助けを――」

女は月に濡れて、ワナワナと掌を合せるのでした。

「冗談ぢやねえ、俺の方が取り殺されるかと思つたよ。――見たところ、二本の足も滿足に揃つてゐるやうだ。相手が人間の女の子とわかれば、逃げも隱れもするわけぢやねえ。一體俺に、どんな用事があるのだ」

八五郎も漸く膽がすわりました。膽がすわると同時に、食慾と無駄口の出て來る八五郎です。

「私はこの隣りの酒屋の者ですが――」

北見の三五郎の隣りの家といふのは、この土地でたつた一軒の大きな酒屋で、それが地主でもあり、金持でもあり、太田屋易之助といふ好い男でした。

主人の易之助は、三五郎のところへ平次と八五郎が來ると、早速呼び寄せられて、江戸の高名な御用聞と近づきになり、三五郎と三人連れ立つて、村祭の宵宮に出かけ今は留守の筈です。土地へ來ると直ぐ、八五郎もその噂をきゝ、醉ひつぶれる前に三五郎に紹介されて、口もきゝ、盃も取り交した間柄です。

「それぢやお前さんは、太田屋の御主人の妹の納さんと言ひなさるのか。大層綺麗な人と聽いたが――」

「いえ、違ひます。お綺麗なのは納さんで、私は縫と申します」

「お、お内儀のお縫さんか、それも大層綺麗だと聽いたが」

旅に出ると、八五郎も斯うお世辭がよくなるのでした。

「私なんか――飛んでもない」

さうは言ふものの、お縫も包みきれない嬉しさを、兩手の袖で、斯う胸のあたりを抱くのです。内儀も小姑も、同じ年頃と聽きましたが、青白い月の光の下では、ぞつとするほど美くしい二十一、二。きりやう好みで太田屋に拾はれ、倍以上も年の違ふ主人の易之助に仕へて、年頃の似寄つた小姑の納と、亡くなつた先妻の子で、繼しい仲の娘、十九のお梅の間に挾まり、氣兼苦勞の多いその日/\に、さらぬだに痩せる思ひのお縫だつたのです。

「ところで、誰がお内儀さんを殺さうと企らんで居るのだ」

八五郎はザツと人別(戸籍)を明らかにした上、お縫に問ひかけました。もう酒の醉ひも醒めてしまつて、月の光の中に細々と佇んだ、内儀の身體にも露を置きさう。祭太鼓の遠音を縫つて、蟲の音がジージーと耳に沁みます。

Chapter 1 of 5