Chapter 1 of 6

「又出ましたよ、親分」

八五郎は飛び込んで來るのです。

一月も末、美しく晴れた朝でした。平次はケチな盆栽の梅をいつくしみながら、自分の影法師と話すやうに、のんびりと朝の支度を待つて居たのです。

プーンと味噌汁の匂ひがして、お勝手では女房のお靜が、香の物をきる音までが、爽やかに親しみ深く響いてゐるのでした。

「何が出たんだ。お化けか、山犬か、それとも――」

「辻斬ですよ、親分。暮からこれで五人目だ。――秋から數へると何人になりますか」

「矢つ張り、辻斬か。憎いな」

平次はこの意味のない殺戮者を、心から憎む一人だつたのです。

「今朝になつて、新し橋の袂で死骸を見付けましたがね。毎々のことだから、富松町の直吉兄哥とあつしが立會つて、お屆けは濟ませましたが、殺されたのは武家でもあることか、豐島町の酒屋の隱居で、虫も殺さないやうな、太左衞門といふ六十過ぎの年寄だ」

「虐いことをするぢやないか」

「それに憎いぢやありませんか。太左衞門が無盡で取つた五十兩を、人が危ないととめるのも構はず、氣丈な爺仁で、――小判が喰ひ付きやしめえ。――かなんかで、内懷へ入れて持つて歸つたのを、財布ごと死骸から拔いて居るんで」

「それぢや追剥ぢやないか。辻斬よりも尚ほ惡い」

「この樣子ぢや、柳原を通る人がなくなりますよ。名物の惣嫁も、陣を拂つて姿を消してしまひましたぜ」

「御愁傷樣見たいだ。差當り御客筋のお前は淋しからう」

「冗談言つちやいけません。あつしはそんなものを口惜しがつてるわけぢやありませんが、新し橋を渡ると向柳原で、あつしのお膝元でせう。あんなところで辻斬を開帳されちや、あつしばかりでなく、親分の名前にも係はるぢやありませんか」

「おや、ゆすりがましくやつて來やがつたな。柳原の辻斬が、俺にまで祟るとは思はなかつたよ」

輕口であしらつて居りますが、柳原の辻斬の惡どさには、橋一つ越した明神下に住んでゐる平次も、煮えこぼれるやうな憤懣を感じて居るのです。場所は筋違御門(今の萬世橋)の籾御藏跡あたりから、片側町の柳原を、和泉橋から新し橋を經て、淺草御門前の郡代屋敷あたりまで、かなりの長丁場ですが、昔は恐ろしく淋しいところ。夜鷹と辻斬が名所で、つい先頃までの、櫛比する古着屋などがあるわけもなく、空地と少しばかりの屋敷と豐島町寄りになつて、いくらか町家があつたに過ぎません。

併し、兩國から本郷神田への要衝で、人通りは引つきりなしにあり、見附と見附に挾まれて、ろくな辻番もなかつたので、辻君と辻斬には、結構な職場であつたに違ひなく、その地勢を利用して、人を斬ること人參牛蒡の如き惡鬼が、秋から春へと跳梁し始めたのです。

最初は人を斬るのが面白かつたらしく、武家から始まつて町人に及び、暮近くなると、これは少ない例ですが、女子供まで斬られました。江戸の町人達の中には、女や子供が、暗くなつてから、獨り歩きするといふ習慣はなかつたのですが、小買物や錢湯などには、隨分一人で出かけることもあり、柳原の辻斬はその無抵抗な女子供まで狙ふといふ、驚くべき殘酷振りを發揮したのでした。本筋の辻斬は、刄物を持たない、町人を襲ふのさへ耻とされて居ります。まして、女子供を斬る如きは、殺人鬼の仕業としか思へません。

尤も、最初のうちは、手當り次第に人を斬るだけでしたが、後には斬つた上に懷中を拔くやうになりました。因州の不良少年白井權八が、腕に慢じて人を斬り始め、後には遊びの金に詰つて追剥を始めたと同じやうに、柳原の辻斬も、人を斬る樂しみから金を奪ふ樂しみに轉じたのでせう。

「何んとかして下さいよ、親分。あんな怪物にのさばられちや、こちとらの耻ばかりでなく、神田つ子一統の耻ぢやありませんか」

八五郎は此處を先途と肩肘を張るのです。

「お前に言はれるまでもなく、暮から隨分骨を折つて辻斬野郎を漁つたが、現場をつかまへなきや、何うすることも出來ない。相手はどうせ武家だらうから、神田中を歩く武家を呼びとめて、友切丸の詮議見たいに、一々御腰の物を拜見するわけにも行かないぢやないか」

「何んとか手はないものでせうかね、親分」

「癪にさはることに、俺が出かける晩に限つて、辻斬はない。此方の出入りを見張つて居るやうだ。御用聞が惡者の出入りを睨んで居るならわかつて居るが、惡者が御用聞の出入りを見張るやうになつちや、お仕舞ひだね」

「口惜しいぢやありませんか」

八五郎が口惜しがる以上に、平次も齒ぎしりして居たのです。

「尤も、辻斬野郎を縛る手は一つだけはある。これは確かな術だが」

「その術を教へて下さいよ。親分一人で手に了へなきや、あつしが手傳つてきつとやりますよ」

八五郎は一生懸命でした。全く柳原に辻斬がある毎に、向柳原の住人八五郎は、人樣に顏を見られるやうな氣がして、天道樣の下をヌケヌケとは歩かれないやうな氣がするのでした。

「わけはない、囮を使ふのだよ」

「へエ、囮をね」

「誰か、斯う、金がありさうで、弱さうな人間に化けるんだな。――大きな財布で懷ろを膨ましてよ。頭巾か何んかで顏を隱して、筋違ひから兩國までを、二三度歩くんだな――いや二度で澤山だ、往きと歸りだ。――よく晴れた、月のない晩といふと丁度今頃だ。亥刻(十時)から行つて、子刻(十二時)前に戻るが宜い。その囮には、きつと引つ掛かるに違ひない。其處へ俺が出て取つて押へるのはどうだ。囮がよく出來さへすれば、先づ間違ひはあるまいよ」

「宜い術ですね、その囮には誰がなるんで?」

「お前だよ、八。打つて付けぢやないか、何處かのんびりとして居るし、柄が大きくて斬りでがありさうで」

「ブルブル、御免蒙りませうよ。辻斬と霍亂は大嫌ひで」

八五郎は肩を縮めて、ブルンブルンと身顫ひしました。

「丁度はまり役だがな、いけないかな」

「そいつはいけませんよ、ガン首だけは掛け換へがないんで」

「そんな顎の長い雁首は滅多にあるまいな。仕方がない、もう一つの術をやらう」

「どんな術で?」

「俺が囮になつて、お前が捕方に廻るのさ。去年の暮の素人芝居の與一兵衞の拵へだ、飛んだ似合ふぜ」

「それはいけませんよ、親分。首を斬られたらどうするつもりです」

「お前が嫌で、俺が嫌ぢや、何處へも頼みやうはないぢやないか」

「やりますよ、親分、あつしがやりや宜いんでせう。なアに、斯んな雁首なんか、絲目をつける代物ぢやありませんよ。たゞ、ちよいとその、へツ、與一兵衞の拵へぢや、役不足なんで。花川戸の助六かなんか、女の子の喜びさうな囮ぢやいけませんか」

斯う言つた八五郎です。

「安心しなよ。辻斬がそんなに怖かつたら、首へ箍をはめて行くんだ。箍も鐵か眞鍮が宜いな。唐犬そつくりだぜ」

「そんな間拔けなものを、首へはめられますかてんだ。――大丈夫ですよ。唐犬の首輪を用意するくらゐなら、ガン首の掛け換へを安く仕入れて來まさア」

「その氣持だよ」

八五郎が漸く臆病風を吹き飛ばした樣子を見て、平次はニヤニヤして居ります。

「親分が見張つて下されば、なアに、辻斬野郎が二三十人來たつて驚くこつちやありません」

親分錢形平次といふ、荒神樣が付いて居ることを、八五郎は漸く思ひ出したのでせう。

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