Chapter 4 of 4
4
「わしかね。わしは死ぬがんでござんせう。」
彼女は、何を云ふ積りであつたか、自分でもよく分らなかつたが、かう云つた詞だけは彼も意識して居るのであつた。
「なにを云ふのだい。お前。」おつかさまは驚いて、
「そんな馬鹿げたことを云ふもんじやないぜ。人がきいても聞きばが悪いからなう。さあ帰りやれや。大分に遅いんだから。」
おつかさまは、和かな調子で云ひきかせて、傍にあつた駄菓子を紙に包んで、彼女の前にやつた。
「子供もまつてゐるからなう。」
彼女は無性になつかしくなつた。情味の籠つたおつかさまの仰り方が涙を誘つたのか。もつと大きな人生の暖みと云ふことが心をそゝつたのか。和いだ感情、寂しいと思ふあこがれ、邪と嫉とがもつれあつた偏執。これ等のものが一しよになつて彼の涙腺に突き入つたのか。彼は詞もなく泣いた。
「はい。まことに…………。」
何をするのも懶いやうな身体を起して、彼は戸口へ出た。さつきの人達はもう銘々の行くべき処へ行き着いたらしい。下駄の音も、話声も聞えない。夜は一きは真黒になつて、屋根のあたりに夜烏が啼いた。
(大正二年十月十一日作/『文章世界』 大正二・一〇/『遺稿 所収)
●図書カード