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妾の半生涯
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妾の半生涯
福田英子
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Chapter 10 of 15

第九 重井との関係

一 結婚を諾す

それより重井、葉石、古井の諸氏は松卯、妾は原平に宿泊し、その他の諸氏も各旅宿を定め、数日間は此処の招待、彼処の宴会と日夜を分たざりしが、郷里の歓迎上都合もある事とて、それぞれ好きほどにて引き別るることとなり、妾も弥明日岡山へ向け出立というその夜なりき、重井より、是非相談あれば松卯に来りくれよと申し来りぬ。何事かと行きて見れば、重井も葉石もあらず、詮方なく帰宿せんとする折しも、重井独り帰りて、妾の訪れしを喜び、さて入獄以来の厚情は得も忘られず、今回互いに無事出獄せるこそ幸いなれ、ここに決心して結婚の約を履まんという。こは予てよりの覚悟なりけれど、大阪に到着の夜、父上の寝物語りに、両三日来中江先生、栗原亮一氏ら頻りにわれに説きて、汝と葉石と結婚せしむべきことを勧められぬ、依っていずれ帰国の上、義兄らにも相談して、いよいよ挙行すべしと答えおきたりとあり。妾がこれを聞きたる時の驚きは、青天の霹靂にも喩うべくや、所詮は中江先生も栗原氏も深き事情を知り給わずして、一図に妾と葉石との交情を旧の如しと誤られ、この機を幸いに結婚せしめんとの厚意なるべし。さあれ覆水争でか盆に復えるべき、父上にはいずれ帰国の上、申し上ぐることあるべしと答え置き、それより中江、栗原両氏に会いて事情を具し、妾にその意なきことを謝りしかば、両氏も始めて己れらの誤解なることを覚り、その後さることは再び口にせざるに至りき。かくて妾の決心は堅かりしかど、さすがに幼馴染の葉石の、今は昔互いに睦み親しみつつ旦暮訪いつ訪われつ教えを受けし事さえ多かりしを懐い、また今の葉石とて妾に対して露悪意のあるに非ざるを察しやりては、この際重井と結婚を約するは情において忍びざる所なきに非ず、情緒乱れて糸の如しといいけん、妾もそれの、思い定めがたくて、いずれ帰国の上父母とも相談してと答えけるに、素より葉石との関係を知れる彼は、容易に諾わず、もし葉石と共に帰国せば、他の斡旋に余儀なくせられて、強いて握手することともならんずらん、今の時を失いてはとて、なお妾を催して止まず、遂に軽率とは思いながらに、ともかくも承知の旨を答えたりしぞ妾が終生の誤りなりける。

二 一家の出迎い

それより葉石および親戚の者五、六名と共に船にて帰郷の途につきしが、頓て三番港に到着するや、某地の有志家わが学校の生徒およびその父兄ら約数百名の出迎いありて、雑沓言わん方もなく、上陸して船宿に抵れば、其処にはなつかしき母上の飛び出で給いて、やれ無事に帰りしか、大病を悩らいしというに、かく健やかなる顔を見ることの嬉しさよと涙片手に取り縋られ、アア今日は芽出たき日ゆえ泣くまじと思いしに、覚えず嬉し涙がこぼれしとて、兄弟甥姪を呼びて、それぞれに喜びを分ち給う。挨拶終りて、ふと傍らに一青年のあるに心付き、この人よ、船中にても種々親切に世話しくれたり、彼はそも何人なりやと尋ねしに、そは何にをいう、弟淳造を忘れしかといわれて一驚を喫し、さても変れば変る者かな、妾の郷を出でしは七年の昔、彼が十三、四の蛮貊盛りなりし頃なり、しかるに今は妻をさえ迎えて、遠からず父と呼ばるる身の上なりとか。実に人の最も変化するは十三歳頃より十七、八歳の頃にぞある、見違えしも宜ならずやなど笑い興じて、共に腕車に打ち乗り、岡山有志家の催しにかかる慰労の宴に臨まんため、岡山公園なる観楓閣指して出立つ。

この公園は旧三十五万石を領せる池田侯爵の後園にして、四時の眺め尽せぬ日本三公園の一なり。宴の発企者は岡山屈指の富豪野崎氏その他知名の諸氏にしてわれわれおよび父母親戚を招待せられ、席上諸氏の演説あり、また有名の楽師を招きて、「自由の歌」と題せる慷慨悲壮の新体詩をば、二面の洋琴に和して歌わしむ。これを聴ける時、妾は思わず手を扼して、アアこの自由のためならば、死するもなどか惜しまんなど、無量の感に撃たれたり。唱歌終りて葉石の答礼あり、それより酒宴は開かれ、各歓を尽して帰路につきたるは、頓て点燈頃なりき。

三 久し振りの帰郷

かくて妾は母、兄弟らに護られつつ、絶えて久しき故郷の家に帰る。想えばここを去りし時の淋しく悲しかりしに引き換えて、今は多くの人々に附き纏われ、賑々しくも帰れることよ。今昔の感坐ろに湧きて、幼児の時や、友達の事など夢の如く幻の如く、はては走馬燈の如くにぞ胸に往き来う。我が家に近き町はずれよりは、軒ごとに紅燈の影美しく飾られて宛然敷地祭礼の如くなり。これはた誰がための催しぞと思うに、穴にも入りたき心地ぞする、死したらんにはなかなか心易かるべしとも思いぬ。アアかかる款待を受けながら、妾が将来は如何に、重井と私かに結婚を約せるならずや、そも妾は如何にしてこの厚意に報いんとはすらんなど、人知れず悶え苦しみしぞかし。

四 大評判

我が家にては親戚故旧を招きて一大盛宴を張りぬ。絃妓も来り、舞子も来りて、一家狂するばかりなり。宴終りて後、種々しめやかなる話しも出で、暁に至りて興はなお尽きざりき。七年の来し方を、一夜に語り一夜に聴かんとれるなるべし。

明くれば郷里の有志者および新聞記者諸氏の発起にかかる慰労会あり、魚久という料理店に招かれて、朝鮮鶴の料理あり、妾らの関係せしかの事件に因めるなりとかや。かくて数日の間は此処の宴会彼処の招待に日も足らず、平生疎遠なりし親族さえ、妾を見んとてわれがちに集い寄るほどに、妾の評判は遠近に伝わりて、三歳の童子すらも、なお景山英の名を口にせざるはなかりしぞ憂き。

五 内縁

それより一、二カ月を経て、東京より重井ら大同団結遊説のため阪地を経て中国を遊説するとの報あり。しかして妾には大阪なる重井の親戚某方に来りくるるようとの特信ありければ、今は躊躇の場合に非ずと、始めて重井との関係を両親に打ち明け、かつ今仮に内縁を結ぶとも、公然の批露は、ある時機を待たざるべからず、そは重井には現に妻女のあるあり、明治十七年以来発狂して人事を弁えず、余儀なく生家に帰さんとの内意あれども、仮初めならぬ人のために終身の謀だになしやらずして今急に離縁せん事思いも寄らず。されば重井もその職業とする弁護事務の好成績を積み、その内大事件の勝訴となりて数万の金を得ん時、彼に贈りて一生を安からしめ、さて後に縁を絶たんといえり。さもあるべき事と思いければ、姑らく内縁を結ぶの約をなしたるなり、御意見如何があるべきやと尋ねけるに、両親ともにあたかも妾の虚名に酔える時なりしかば、ともかくも御身の意見に任すべしと諾われなお重井にして当地に来りなば、宅に招待して親戚にも面会させ、その他の兄弟とも余所ながらの杯させん抔、なかなかに勇み立たれければ、妾も安心して、大阪なる友人を訪うを名とし重井に面して両親の意向を告げしに、その喜び一方ならず、この上は直ちに御両親に見えんとて、相挈えて岡山に来り、我が家の招待に応じて両親らとも妾の身の上を語り定めたる後、貴重なる指環をば親しく妾の指に嵌めて立ち帰りしこそ、残る方なき扱いなれとて、妾は素より両親も頗る満足の体に見受けられき。爾来東京に大阪に将た神戸に、妾は表面同志として重井と相伴い、演説会に懇親会に姿を並べつ、その交情日と共にいよいよ重なり行きぬ。

Chapter 10 of 15
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