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妾の半生涯
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妾の半生涯
福田英子
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Nguyên bản Public Domain
Chapter 8 of 15

第七 就役

一 典獄の訓誨

伊勢へは我々一年半の刑を受けし人のみにて、十数人の同行者あり。常ならば東海道の五十三駅詩にもなるべき景色ならんに、柿色の筒袖に腰縄さえ付きて、巡査に護送せらるる身は、われながら興さめて、駄句だに出でず、剰え大阪より附き添い来りし巡査は皆草津にて交代となりければ、切めてもの顔馴染もなくなりて、憂きが中に三重県津市の監獄に着く。到着せしは黄昏の頃なりしが、典獄は兼ねて報知に接し居たりと見え、特に出勤して、一同を控所に呼び集め、今も忘れやらざる大声にて、「拙者は当典獄平松宜棟である、おまえさん方は、今回大阪監獄署より当所に伝逓に相成りたる被告人らである、当典獄の配下の許に来りし上は申すまでもなく能く獄則を遵守し、一日も早く恩典に浴して、自由の身となるよう致せ、ついてはその方らの身分職業姓名を申し立てよ」と、一同をして名乗らしめ、さて妾の番になりし時、「お前はいわんでも分る、景山英であろう、妙齢の身にしてかかる大事を企て、今拙者の前にこうしていようとは、お前の両親も知らぬであろう、アア今頃は何処にどうしているだろうと、暑いにつけ、寒いにつけお前の事を心配しているに相違ない、お前も親を思わぬではなかろう、一朝国のためと思い誤ったが身の不幸、さぞや両親を思うであろう、国に忠なる者は親にも孝でなくてはならんはずじゃ」と同情の涙を籠めての訓誨に、悲哀の念急に迫りて、同志の手前これまで堪えに堪え来りたる望郷の涙は、宛然に堰を破りたらんが如く、われながら暫しは顔も得上げざりき。典獄は沈思してそうあろうそうあろう、察し申す、ただこの上は獄則を謹守し、なお無頼の女囚を改化遷善の道に赴かしむるよう導き教え、同胞の暗愚を訓誨し、御身が素志たる忠君愛国の実を挙げ給え、仮令刑期は一年半たりとも減刑の恩典なきにしもあらねば一日も早く出獄すべき方法を講じ、父母の膝下にありて孝を尽せかしなど、その後も巡回の折々種々に劬りくれられたれば、遂には身の軽禁錮たることをも忘れて、ひたすら他の女囚の善導に力を致しぬ。

二 女監の工役

朝も五時に起きて仕度をなし、女監取締りの監房を開きに来るごとに、他の者と共に静坐して礼義を施し、次いで井戸端に至りて順次顔を洗い、終りて役場にて食事をなし、それよりいよいよその日の役につきて、あるいは赤き着物を縫い、あるいは機を織り糸を紡ぐ。先ず着物の定役を記さんに赤き筒袖の着物は単衣ならば三枚、袷ならば二枚、綿入れならば一枚半、また股引は四足縫い上ぐるを定めとし、古き直し物も修繕の大小によりて予め定数あり、女監取締り一々これを割り渡すなり。妾は固より定役なき身の仮令終日書を伴とすればとて、敢えて拒む者はあらざるも、せめては、婦女の職分をも尽して、世間の誤謬を解かん者と、進んで定役ある女囚と伍し、毎日定役とせる物を仕上げてさて二時間位は罷役より前にわが監房に帰り、読書をなすを例とせり。されば妾出獄の時は相応の工賃を払い渡され、小遣い余りの分のみにてもなお十円以上に上りぬ。これは重禁錮の者は、官に七分を収めて三分を自分の所有とするが例なるに、妾はこれに反して三分を官に収め七分を自分の有となしければ、在監もし長からんには相応の貯蓄も出来て、出獄の上はひとかどの用に立ちしならん。

三 藤堂家の老女

妾の幸福は、何処の獄にありても必ず両三人の同情者を得て陰に陽に庇護せられしことなり。中にも青木女監取締りの如きは妾の倦労を気遣いて毎度菓子を紙に包みて持ち来り、妾の独り読書に耽るをいと羨ましげに見惚れ居たりき。されば妾もこの人をば母とも思いて万事隔てなく交わりければ、出獄の後も忘るる能わず、同女が藤堂伯爵邸の老女となりて、東京に来りし時、妾は直ちに訪れて旧時を語り合い、何とか報恩の道もがなと、千々に心を砕きし後、同女の次女を養い取りて聊か学芸を授けやりぬ。

四 少女

妾の在監中、十六歳と十八歳の二少女ありけり、年下なるはお花、年上なるはお菊と呼べり。この二人を特に典獄より預けられて、読み書き算盤の技は更なり、人の道ということをも、説き聞かせて、及ぶ限りの世話をなすほどに、頓て両女がここに来れる仔細を知りぬ。お花は心の様さして悪しからず、ただ貧しき家に生れて、一年村の祭礼の折とかや、兄弟多くして晴衣の用意なく、遊び友達の良き着物着るを見るにつけても、わが纏える襤褸の恨めしく、少女心の浅墓にも、近所の家に掛けありし着物を盗みたるなりとぞ。またお菊は幼少の時孤児となり叔父の家に養われたりしが、生れ付きか、あるいは虐遇せられし結果にや、しばしば邪の径に走りて、既に七回も監獄に来り、出獄の日ただ一日を青天の下に暮せし事もありしよし。打ち見たる処、両女とも、十人並の容貌を具えたるにいとど可憫の加わりて、如何で無事出獄の日には、わが郷里の家に養い取りて、一身の方向を授けやらばやと、両女を左右に置きて、同じく読書習字を教え、露些かも偏頗なく扱いやりしに、両女もいつか妾に懐きて、互いに競うて妾を劬わり、あるいは肩を揉み脚を按り、あるいは妾の嗜む物をば、己れの欲を節して妾に侑むるなど、いじらしきほどの親切に、かかる美徳を備えながら、何故盗みの罪は犯したりしぞと、いとど深き哀れを催し、彼らにしてもし妾より先に自由の身とならば、妾の出獄を当署にて聞き合せ、必ず迎えに来るようにと言い含め置きたりしも、両女は終に来らざりき。妾出獄の後監獄より聞きし所によれば、両女ともその後再び来らず、お花は当市近在の者にて、出獄後間もなく名古屋へ娼妓に売られたり、またお菊は叔父の家にも来らず、その所在を知るに由なしとの事なりき。ともかくも妾の到る処何処の監獄にてもかかる事の起りしは、知らず如何なる因縁にや。あるいはこの不自由なる小天地に長く跼蹐せる反響として、かく人心の一致集注を見るならんも、その集中点の必ず妾に存せるは、妾に一種の魔力あるがためならずや。もし果してさるものありとせば、好しこの身自由となりし時、所有不幸不遇の人をも吸収して、彼らに一縷の光明を授けんこと、強ちに難からざるべしとは、当時の妾が感想なりき。

五 看守の無学無識

当市の監獄には、大阪のそれと異なりて、女囚中無学無識の者多く、女監取締りの如きも大概は看守の寡婦などが糊口の勤めとなせるなりき。されば何事も自己の愛憎に走りて囚徒を取り扱うの道を知らず。偏に定役の多寡を以て賞罰の目安となせし風なれば、囚徒は何日まで入獄せしとて改化遷善の道に赴かんこと思いもよらず、悪しき者は益悪に陥りて、専心取締りの甘心を迎え、漸く狡獪陰険の風を助長するのみ。故に監獄の改良を計らんとせば、相当の給料を仕払いて、品性高き人物をば、女監取締りとなすに勉むべし。もしなおかかる者をして囚徒を取り締らしめんには、囚徒は常に軽蔑を以て取締りを迎え、表に謹慎を表して陰に舌を吐かんとす、これをしも、改化遷善を勧諭する良法となすべきやは。独り青木氏の如きは、天性慈善の心に富たるにや、別に学識ありとも見えざりしにかかわらず、かかる悲惨の境涯を見るに忍びずして、常に早くこの職を退きたしと語りたりしが妾の出獄後、果して間もなく辞職して、藤堂氏の老女となりぬ。今なお健在なりや否や。

六 憲法発布と大赦

それはさて置き妾は苦役一年にして賞標四個を与えられ、今一個を得て仮出獄の恩典あらんとせる、ある日の事、小塚義太郎氏大阪より来りて面会を求めらる。大阪よりと聞きて、かつは喜びかつは動悸めきながら、看守に伴われて面接所に行き見れば、小塚氏は微笑を以て妾を迎え、久々の疎音を謝して、さていうよう、自分は今回有志者の依頼を受けて、入獄者一同を見廻りおり、今度の紀元節を以て、憲法を発布あらせらるべき詔勅下り、かつ辱くも入獄者一同に恩典……といいかけしに、看守は遮りてその筋よりいまだ何らの達なし、めったな事を言うべからずと注意したり。小塚氏はなお語を継ぎて、貴女は何にも御存知なき様子、しかし早晩御通知あらん、いずれ明日にも面会に出頭せん、衣類等は如何になりおるや、早速にも間に合うよう相成りおるや否やなど、種々厚き注意をなして、その日はそのまま引き取りたり。妾は寝耳に水の感にて、何か今明日に喜ばしき御沙汰あるに相違なし、とにかくその用意をなし置かんと、髪を梳り置きしに、果して夕刻書物など持ちて典獄の処に出で来るようにと看守の命あり。さてこそと天にも昇る心地にて、控所に伴われ行きしに、典獄署長ら居並びて、謹んで大赦文を読み聞かされたり。なお典獄は威儀厳かに、御身の罪は大赦令によりて全く消除せられたれば、今日より自由の身たるべし。今後は益国家のために励まれよとの訓言あり。聞くや否や奇怪の感はふと妾の胸に浮び出でぬ。昨日までも今日までも、国賊として使役せられたる身の、一時間内に忠君愛国の人となりて、大赦令の恩典に浴せんとは、さても不思議の有様かな、人生幻の如しとは、そもや誰がいいそめけんと一時はただ茫然たりしが、小塚氏の厚き注意にて、衣類も新調せられたるを着換え、同志六名と共に三重県監獄の表門より、ふり返りがちに旅館に着きぬ。

Chapter 8 of 15
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