Chapter 1 of 3

菊池先生の憶い出

亡くなられた菊池寛先生に、初めてお目にかかったのは、僕が大学一年生の時だから、もう二十何年前のことである。

当時、文藝春秋社は、雑司ヶ谷金山にあり、僕はそこで、先生の下に働くことになった。

初対面後、間もなくの或る夕方、先生は僕を銀座へ誘って、夕食を御馳走して下さった。

今尚西銀座に、ダンスホールとなって残っているエーワン、それが未だカッテージ風の小さな店で、その頃一流のレストオランであった。

学生の身分などでは、そんな所で食事するなど及びもつかないことなので、エーワンへ入ったのは、これが初めてであった。

その上、まだ初対面から間もない菊池先生を前にしては、とても堅くなっちまって、どきまぎしていた。

「スープと、カツレツと、ライスカレー。僕は、それだけ。君は?」

「ハ、僕も、そうさして戴きます」

で、スープからカツレツ、ライスカレーと、順に運ばれるのを、夢心地で片っぱしから平げた。

先生のスピードには驚いた。スープなんぞは、匙を運ぶことの急しいこと、見る見るうちに空になる。ライスカレーも、ペロペロッと――

生まれて初めて食べたエーワンの、それらの料理。そして、デザートに出た、ババロアの味、ソーダ水の薄味のレモンのシロップ。

ああ何と美味というもの、ここに尽きるのではないか!

実に、舌もとろける思いで、その後数日間、何を食っても不味かった。

然し、エーワンの料理は、その頃にして、一人前五円以上かかるらしいので、到底その後、自前で食いに行くことは出来なかった。

正直のところ、僕は、ああいう美味いものを毎日、思うさま食えるような身分になりたい。それには、何うしても千円の月収が無ければ駄目だぞ、よし! と発憤したものである。

それから十何年経って、僕は菊池先生の下を離れて、役者になり、何うやら千円の月収を約束されるようになった。

が、何ということであろう。戦争が始まり、食いものは、どんどん無くなり、エーワンも何も、定食は五円以下のマル公となり、巷には、鯨のステーキ、海豚のフライのにおいが、漂うに至った。

文藝春秋社に、先生を訪れて、

「僕あ、ああいう美味いものを毎日食いたいと思って、努力を続け、漸く、それ位のことが出来るような身分になりました。ところが、何うでしょう先生、食うものが世の中から消えてしまいました」

と言ったら、先生は、ワハハハハと、まるで息が切れそうに、何時迄も笑って居られた。

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