第一章
クレタ島の騒動が大きくなった。連日クロニクル新聞がいきり立ち、英国に行動を求めたが、世間は平常通り。分別のある人々が興奮しない理由は、高慢ちきなギリシャ人が名声と、クレタ島の両方を狙っていたからだ。
だが解放の為に、今なお何千という人々が金も同情も得ようと虎視眈々だった。そしてクロニクル紙アテネ特派員発、マルコス将軍が英国へ渡航中と報じるや、ちょっとした興奮が人道主義者たちの感情をゆさぶった。
マルコス将軍の任務は二つ。一つは古代ギリシャ領土問題を明確にすること。もう一つは同時に大義の寄付金を集めること。だって明らかに、かの有名戦士の子孫たちは実際ひどい金欠だもの。
将軍は俳優の素質があり、戦いの素養もちょっぴり持ちあわせ、この遠征で数千ポンド集金したいと思っていた。
とても残念なことに、スター紙もクロニクル紙も将軍の写真を読者に提供できなかった。将軍が忽然と、無名から実在の名士となって登場したからだ。緊急電報がアテネへ打たれ、写真を送れとせっついた。
その間、狡猾な頭脳をフル回転して、抜け穴を探す者がいた。
これぞ山師にとって格好の材料と、究極のお宝が口を開けており、グライドの意にぴったりだ。事件を期待して東部くんだりへ下向し、失望している風情なんてない。
クロニクル紙特派員が居たのは奥地、実際はマルコス将軍の邸宅、そこに写真の依頼が来た。
一団の中にアメリカ人従軍記者ホレース・メルビルという男がいた。ここで立場を明らかにした方がよかろう。メルビル記者とグライドは同一人物だ。クロニクル紙特派員は、この陽気なアメリカ人をなんて気まぐれなんだと思っていた。
クロニクル紙特派員が言った。
「まったく、写真はうかつだった。将軍のは必要だ。だがどうやってアテネへ運ぶ。一両日ここを離れられないし、そのあと将軍の出発時に海岸へ行く予定だし……」
メルビル記者が即答した。
「俺が行くよ。あの山脈を一人で行くのはちょっと危険だが、俺なら抜けられる。ギリシャには何度も来ているんだ」
野次馬権現の弟子たる特派員がメルビル記者に心から感謝した。いま両手は実際塞がっており、将軍のつたない英会話の指導中だ。
そのうえ海岸線では英国船が貝の密漁や海賊行為をしている。
「君はいい奴だ。申し出を受けよう。原稿も一袋渡してかまわんだろ。中に写真を入れるから」
グライドがその旨を約束した。聞くところ一週間後に将軍は俺の行く同じ道を海岸へくだる。
*
グライドはあたかも背中を夜叉に押されるかのように脇道にそれた。アテネへ直行するわけじゃない。現地人の召使いもだ。ちょっとやることがある。踏み固まった轍を外れ、山奥へ乗り込むと、やがて夜がふけ始めた。
召使いルリと、ご主人グライドが必死で馬の手綱を引く場所は荒涼として無人だ。はるか高みに山々が連なり、頂上までモミの木に覆われている。どこにも生物の気配はない。
「ルリ、ここが待ち合わせ場所か、合図しろ」
薄汚れた凶悪顔のギリシャ人ルリが指を唇にあてて、奇妙な口笛を三回吹いた。やがて返事があった。
高所から二人の男がぐんぐん降りてきて、たちまちグライドとルリの前に立ち止まり、山賊・ニコリがお辞儀するさまはグライドの偉さをよく知っている様子だ。ニコリは半島で一番大胆不敵な山賊だと、もっぱらの噂だ。
グライドが言った。
「ルリが俺の指示を伝えたろ。仕事は分かってるな」
ニコリがうなずいて、煙草をさっと取り出して答えた。
「ああ、この俺様が将軍より上だってことだ。命令があるまで奴をここで監禁しまさあ。それで駄賃は」
「英国金貨で五百ポンドだ。ここに金貨がある。あとで将軍がこの道を火曜日に通る。従者は一人だ」
「俺の手下は七人だぜ、ヘヘヘ。俺の記憶じゃ、旦那、アメリカ拳銃を一丁くださるんで」
「持って来たぞ。約束通りだろ。仕事はとても簡単、単純だ。あとはルリが教える。俺はぐずぐずしちゃおれん。夜明けまでにアテネへ着かなきゃならん」
*
最終的にグライドがアテネへ着いたときは一人だった。ルリを厄介払いしたからだ。その上、別人に変装していた。ギリシャの略式軍服を着て、将軍そっくり。グライドはアテネに精通しているから、何も聞く必要はない。
充分に休養し、食事してから、繁華街へ出かけ、写真館に入った。言うまでもなく経営者は英国人だが、最先端じゃない。最新なら現地のギリシャ人に受けるだろうけど。でも、観光客がいつも大勢来る。経営者自らグライドを迎えて、用件を尋ねた。
「そうだな、俺の写真を撮ってくれ。豪華額縁で一枚だ。あしたの午後までに梱包してくれ。無理は承知の上だ。便宜には代金を上乗せする」
写真屋はちょっと文句を言ったが、最後には折れることをグライドはよく知っている。些細なことはいつも金がものを言う。
第一段階は大成功だ。グライドが店を後にして確信したのは、あしたの午後には写真が準備できているはず。
グライドが自分の写真を手に入れて大満足した。今までのところ全て順調だ。前途有望な山に手をつけて、金もうけの側面もあるが、今は現状をただ楽しむばかりで、冒険としての要素もあった。
居間のテーブルに写真を置いてにんまり。それから取り出したのが大きな封筒、クロニクル新聞社に渡す約束のブツだ。
お湯で封筒の垂れ蓋をはがし、自分の写真と入れ替え、本物を細かく裁断し、つぶやいた。
「うまく行きそうだ。将軍の正体なんて英国じゃ誰も知るまい。実際、新聞で名前を見たこともないだろう。ずっと自宅近辺にいるって夢にも思うまい。ニコリが奴を監禁している。監禁しないと金を半分失う。火曜日まで待ってそれから……」
*
やがて火曜日になり、夕暮れごろグライドは街から出た。荒れ果てた道に来ると、伸び放題の草むらに、平たい石が置いてあり、その前に立ち止まり、石を持ち上げた。
石の下に汚ない紙片が畳んであった。開くと、鉛筆の走り書きがあり、いつになくじっくり読んだ。
「鳥は捕まえて、鳥かごに入れた、ニコリ」
グライドが満足げにほほ笑んだ。
「いよいよ、行動だ。いやあ、最後の冒険は数ある中で、最高にすばらしいものになりそうだ」
二十四時間後、グライドは英国に向け航海中。