十
或人(玄竜子)曰く、盛唐の詩集と蕪村派の句集とを並べいふことの不倫と申したるは、勝劣の心にはこれなく、につかはしからず類せずなむとの意にて、比較その当を得ざるなり。詩形とやらむ、規模とやらむ、技倆とやらむを云々するに非ず(略)おのれは晩唐諸家の文学に近きやと朧気ながら見受け申候。不倫と申すこと、要は蕪村一人の什を盛唐幾多の作家と比擬すること、及び晩唐の方にはかへつて比擬すべき作家あらむと思ひ、云々。
答へて曰く、われらは蕪村の句を以て盛唐諸家の什に似たりといひし事なし。「蕪村派の俳句集か盛唐の詩集か読ませたく」といひしのみ。かくいひし意は、歌の無趣味にして字句のたるみたる弊を救はんには、蕪村派の俳句集を読むが善かるべしとの考にて、特に蕪村派の俳句を挙げたるは、その最も趣味に富み字句しまりをる点において、他派の俳句に勝るを以てなり。その盛唐の詩集といひたるも、またその趣味に富み字句しまりをるがためなり。されど蕪村派の俳句の趣味と、盛唐の詩の趣味と同じといふにはあらず、蕪村派の俳句のしまり工合と、盛唐の詩のしまり工合と同じといふには非ざるなり。また蕪村の俳句はむしろ晩唐に類似を見るとの説も当らず。蕪村と似たる詩人を求むるに、殆ど似よりたる者を見ず。もし蕪村時代の俳句界に似たる者を求むれば、清初の詩界最もこれに近かるべし。諸家輩出せし処、詩想の精細になり婉麗になりながら、俗に堕ちざりし処などやや相似たり。されど蕪村を以て清初の誰に比すべきかと問はば、似たる者を見出だす能はず。
或人(稲城子)曰く、詩聖ホーマーの如きも単に美を愛せりとするか、美にして善なるものを愛せしにあらざるか。云々。
答へて曰く、美にして善なるも善し。美にして善悪の外に立ちたるも善し。われらはホーマーの詩を知らず、果してホーマーの詩は終始「善」を離れざるか。ホーマーの詩「善」を離れずとするも、われらはホーマーに倣はんと思はず、われらは善悪の外に美を認むればなり。われらはプラトーが真善美とやらを説いたからとて、それに従はざるべからずとは思はず。われらの美と信ずる所は、ホーマーもプラトーも如何ともする能はざるなり。
附けていふ。これらの事を厳密に論ぜんとならば、少くとも「善」の字の定義を定めざるべからず。もし天下の事物を尽く善悪の二に分つといふが如き論ならば格別、普通に用うるが如く、善悪は人間の行為を評するの語とせば、天然物は善悪の外に立つ者なり。天然物既に善悪の外にあらば、天然物を詠む詩歌にして、善悪以外に立つ者多きは当然の事なり。西洋の詩は東洋の詩に比して天然を詠ずる事少き故に、西洋人の論には、善と美とを一つにするやうの事をいふ者多きにやあらん。西洋人の論なりとて、一も二もなく崇拝するは固より愚者の事、論ずるに足らず。いはんや西洋とて尽く同一の論のみには非ざるをや。
或人(同)曰く、足下の理窟として排斥するものはこの善なるべし。しからば足下はこの倫理的の思想を棄てて、美の一方より歌をよむべしと強ふるものなり。吾人の感情をすてて、自然の美を求めよと教ふるものなり。しからば吾人歌を詠まんとして、先づ詠むべき趣向を考へざるべからず。云々。
答へて曰く、何らの誤解ぞ、何らの愚論ぞ。われらの理窟とする所は前にしばしばいへり、今更理窟と善とを一つにするとは呆れ返りたり。われらの美とする所は倫理的善悪にかかはらず、故に美は善悪の外にありても多く存在す。されど美にして善なる者なしといふに非ず。善なる者は美に非ずといふに非ず。何が故に善を排斥すといふか。少しにても善を排斥せんとしたることあらず。排斥せんとするは美ならざる者のみ。縦令「善」なりとも美ならずんば固よりこれを排斥するなり。「倫理的の思想を棄てて美の一方より歌をよむべし」とは半ばわれらの意を獲たり。但し「強ふる」にはあらず。美の感じなき者に歌を詠めとはいはぬなり。「吾人の感情を捨てて、自然の美を求めよと教ふ」とは訳の分らぬ言葉なり。自然の美を感ずるも感情なり。感情を捨てて自然の美を求むべきやうなし。あるいは「倫理的感情を捨てて」の意か。それにしても「自然の美を求めよ」といふはなほ誤れり。われらは自然の美をのみ取りて人事の美を捨つる者に非ざるなり。(四月十七日)