四
千葉稲城子に答へて曰く、撞著と誤解の事なほ誤解あるが如し。われらが撞著といひしは前に「客観的景色に重きを措き」とありて後に「客観的にのみ」とありしをいふなり。即ち「重きを措き」は「のみ」と断言したる後の言と意味同じからざるをいふ。
「国歌さへ知らぬ文学者」とは暗にわれらを指したる者か、われら実に国歌を知らず、慚愧に堪へず。されどわれらをして国歌を知らしめざる者、半ばわれらの罪にして半ば国歌の罪なりと信ず。何となればわれら国歌を研究せんとして歌集を繙きしことしばしばなるも、何時も四、五枚位読みては最早眠気さして読み得ぬまでに彼らはつまらぬなり。凡そ文学的の書は読みはじむれば知らず覚えず読み進むものなるに、独り歌なる者に至りては義務的に読まんとしてさへ、容易に読みがたき者、その趣味少きと変化なきとによらずんばあらず。いはんや国歌を知らぬ者われらのみにあらず、いはゆる歌よみなる者も多くは国歌を知らずと思はる。彼らにしてもし国歌を知る者ならば、国歌の陳腐を感ぜざる訳なければなり。彼らは三代集と近世歌人中の一、二の家集位を読みて、学者と心得をると見えたり。歌よみに学問させたくは思へども、歌以外の学問や外国の文学抔を勧めたとて効力もあるまじければ、せめては日本の歌集だけ通読してもらひたき者なり。われらの如く頭から歌を陳腐に思ふ者は、幾冊読みてもますます陳腐と頭痛を感ずるのみにて、何の結果もなけれど、彼陳腐な歌を作りて自ら喜ぶ歌よみをして、『古今集』以下の勅撰集を始め、代々の歌集をつづけさまに読ましめば、まさかに陳腐を感ぜざるを得ざるべし。
理窟と感情との密に相関係するは前にもいへり、今更繰り返すを用ゐず。ただ「歌にあらず」といふ事につきて一言せん。固より歌と歌ならざる者との境界は画然と分れたる者に非ざれば、論理的の厳格なる意味を以て「これは歌なり」「これは歌にあらず」と断定するは、歌非歌中間の歌にありては最も難し。殊に普通に歌を評する場合にありては「歌にあらず」の語を誇張的に用うること多し。即ち悪歌を指して爾かいふなり。なほ悪人を指して「人でなし」などといふが如し。故にこの両者を区別するを要す。またわれらが理窟は歌にあらずといふも大体の論にして、一字一語の理窟めきたる者ありとてそれを直ちに「歌にあらず」(厳格なる意味の)といふにあらず。もし厳格にいはば毫も理窟なき者は歌なり、全く理窟ばかりなる者は歌にあらずと断言すべし。されどその中間の者にありては、何処までを歌とし、何処よりを歌とせずと、その限界を議論的に説明するに由なし。実地に或製作をとらへて感情にてこれを判断するあるのみ。試みにこの間の事を言ひ得るだけ言はば、一分の理窟あれば一分だけ歌ならざる方に近づき、二分の理窟あれば二分だけ歌ならざる方に近づくとでもいはんのみ。しかしそれすら極端に推論せられては過誤を生ずべし。例へば一分の理窟ある製作は、些の理窟なき製作に比して、一分だけ劣れりなどと推論せらるるが如し。大体においてはこの推論に誤なけれども、実地に当りて見れば必ずや多少の除外例を生ぜん。極簡単の理窟を含む歌にて善しと思ふ者あり、些の理窟を含まざる歌にて悪しと思ふ者あるは事実なればなり。もし理窟といふ語を広き意味に解すれば解するほどこの除外例は多くなる道理なり。(理窟の意義に広狭ある事は「あきまろに答ふ」る文中にいへり)「我身一つの秋にはあらねど」の歌下二句には理窟を含めり。されどこの歌を以て直に「歌にあらず」(厳格なる意味の)とはなさず。但この歌が幾分か歌ならざる方に近づきをるは論を竢たず。
われらのいはゆる理窟に、理窟なりや否やの疑ありとの事なれども、理窟なりや否やは知識上の事なれば疑問となるまでの価値なし。(文学として許すべき理窟なりや否やこそ常に疑問となれ)しかれどもわれらの用うる「理窟」なる語が適当なりとか不適当なりとかの疑はあるべし。それならば文字は如何様に変へてもよろし。ただ語を以て意を害する莫れ。(三月二十九日)