Chapter 1 of 7

雨音のかむさりにけり虫の宿

作者が虫の音を静に聞いて居つた。そこへ雨が降り出して来た。その雨が庭木にあたつて、かすかな音をたてゝゐる。さういふ事実からこの句を得るまでの間の、作者の頭の働き具合を考へて見ると興味がある。働き具合と言つたところで別に想を構へるといふのではない。たゞ静にその場合の光景を噛みしめて見て、何といふ言葉で言ひ現はしたなら、その場合の感じが出るであらうと考へた末に、遂に「かむさりにけり」といふ言葉を生み出して、漸く安心した作者の心持が現はれるのである。「かむさりにけり」といふ言葉は、雨の降つて来た時の感じを巧みにうまく表はし得た言葉である。かう言はれてみると、その場合の感じが余蘊なく描れてゐるのである。言葉を見出すのが巧みだとも言へるが、その感じが鋭敏だとも言へる。両者は一にして二ならずといふべきである。

狐火の減る火ばかりとなりにけり

たかし君の近来の句は、写生の技倆ももとより認むるがその写生にあたつて用ひる言葉が、普通の人よりも一段高いところにあるやうに思ふ。言を換へれば詩的であるやうに思ふ。だから写生句でありながらも、余程空想化された句であるやうに受取れるのである。この句ももう狐火は減る一方になつてしまつたといふ事を言つたのであるが減るといふ動詞に重きを置かずして、減る火といふ名詞の方に重きを置いて叙したといふことが大変技巧的に効果を挙げてゐる。その他「暦売ふるき言の葉まをしけり」とか「大木にして南に片紅葉」とか語法句法の為に作者の異常なる緊張を示してゐる句が沢山ある。この点を特筆せねばならぬと思ふ。

赤く見え青くも見ゆる枯木かな

枯木は普通に枯木色であつて、十人が十人その色を疑ふものではないが、然しこの作者はその枯木の色を赤くも見、又青くも見たのである。悪く言へば神経衰弱的とも云へよう。よく云へば常人に異る詩人の頭とも云へる。然し兎に角、赤くも見え青くも見えたと云ふことは、この作者にとつては真実なのである。誇張して言つたものでもない。又嘘を言つたものでもない。私達がこの句を読んで、成程然うも見えるのかなアと感じて、愉快に同情が出来るといふのは、その作者が本当のことを大胆に言つたといふ点にあるのである。この句を読んで後、実際の枯木を見て、どうやら赤くも見え青くも見えるといふことが、実際になつて来たやうな心持さへするであらう。それがこの句の力である。

柄を立てゝ吹飛んでくる団扇かな

この作者は春先から夏になると殊に身体が悪るくなつて、病床に寝たり起きたりしてゐるのであるが、それでゐて覇気は其の弱い身体に包み切れずにある。高山大沢に遊ぶことも出来ず、たゞ病床の些事に興味をそゝられるに過ぎないのであるが、それでもおのづから其の若々しい覇気のあるところが、かういふ句になつて現はれ出たものと思ふ。些細な事柄ではあるがそこに大きな力を認める。

藪の空ゆく許りなり宿の月

たかし君の家の前面には滑川が流れてゐる。その畔にも竹藪があるし更にその前面にある山は一面に竹藪で蔽はれて居る。たかし庵の景色はこの竹藪によつて常に色づけられてゐると云つてよいのである。春は所謂竹の秋で黄色く衰へて居る、秋は所謂竹の春で青々と繁茂して居る、春雨の降る頃、五月雨の降る頃、秋雨の降る頃、又雪の降る頃になるとその面目は全く改つて居る。風のない日、風の吹く日などは更に趣が異ふ。

これは余談であつたが、さう云ふ竹藪を前に控へて居るたかし君は、日夕この藪に親しんで居つて、月夜の晩は、月が東方の山から出て其藪の空を通つて西に移る状況を絶えず眺めて居る、そこで此句は出来たのであつて、月はたゞ藪の空を通つて行く許りである。あたりに目ぼしいものが有ると云ふわけでもなく、又たかし君の心を乱すものが存在して居ると云ふわけでもなく、たゞ静かに西に亘つて行く月を見る許りである。その月は他人の月とも思はれない、我宿の月の如き感じがする、と云ふのであらう。閑寂な生活に住してゐるたかし君の心持が出てゐる。

ものゝ芽のほぐれほぐるゝ朝寝かな

日常もの芽に親しんでをる、といふ事が力強くこの句の背景を為して居る。もの芽が出たと思ふと、瞬く間にほぐれる、実に造化多忙の感がある。さういふ事を作者はよく見て知つて居る。然も病身な作者は朝寝勝である。斯く自分が朝寝をして居るが、この間にも庭のもの芽は、息をもつかず、ほぐれほぐれて居ることであらう、と云つたのである。たかし君の句は深く物を観察した上に、其の主観が土台となつて生れる句が多いのである。この句の如きもその一つと云つてよい。

昭和五年の俳能会の時分に、久し振りでたかし君の仕舞を見、次ぐ年の俳能会の時分に、その鼓の一調を聞いた。又、この間或る屋敷で同じく仕舞を見、一調を聞いた。その都度感じたことであるが、其の仕舞にも一調にも、たかし君の俳句に視るが如き、強い芸術味のあることを見遁すことが出来ないのである。たかし君は能楽の名家に生れて、健康が許さぬ為め、父祖の業を継ぐことが出来ないのは定めて残念であらうが、然したかし君の芸術は、仕舞や鼓で充分に現はすことが出来なくても、俳句があつてよく是を現はし得ると云ふことは、たかし君にとつてせめてもの慰藉と考へるのである。

(ホトトギス句評会の言葉より)昭和十年十一月高浜虚子

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