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神社合祀に関する意見
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神社合祀に関する意見
南方熊楠
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Chapter 6 of 7

6

古い古いと自国を自慢するが常なる日本人ほど旧物を破壊する民なしとは、建国わずか百三十余年の米国人の口よりすら毎々嗤笑の態度をもって言わるるを聞くなり。されば誰の物と分からずとも、古えの制度風俗を察すべき物は、みな保存しさえすれば、即急に分からずとも、追い追いいろいろの新発見も出るなり。和歌山市の岡の宮という社は、元禄ごろまでは九頭大明神と仏説に九頭の竜王を祭れるごとき名にて誰も気に留めざりしに、その社の隅にありし黒煤けたる箱の書付から気がつき、この地は『続日本紀』に見えたる通り、聖武天皇が紀伊国岡の宮に駐まりたまいしという御旧蹟なるを見出だせしゆえ、今の名に改めたるなり。昨年一月拝承するに、皇族二千余方の内ただ四百九十方のみ御墓の所在知れある由。神社はもっとも皇族に関係深ければ一切保存して徐々に詮議すべきに、無茶苦茶に乱滅しおわるは、あたかも皇族華冑の遺跡が分からぬうちに乱滅するは結句厄介払いというように相聞こえ、まことに恐懼憤慨の至りなり。合祀が、史蹟を乱すと、風俗制度の古えを察するに大害あること、かくのごとし。

第八、合祀は天然風景と天然記念物を亡滅す。このことまた史蹟天然物保存会の首唱するところなれば、小生の蛇足を俟たず。しかし、かの会より神社合祀に関して公けに反対説の出でしを聞かぬが遺憾なれば、少々言わんに、西牟婁郡大内川の神社ことごとく日置川という大河の向いの大字へ合わされ、少々水が出れば参詣途絶す。その民、神を拝むこと成らぬよりヤケになり、天理教に化する者多く、大字内の神林をことごとく伐らんと願い出でたり。すでに神社なければ神林存するも何かせんとの意中もっともなところもあるなり。かかる例また少なからず、大いに風景を損ずることなり。定家卿なりしか俊成卿なりしか忘れたり、和歌はわが国の曼陀羅なりと言いしとか。小生思うに、わが国特有の天然風景はわが国の曼陀羅ならん。前にもいえるごとく、至道は言語筆舌の必ず説き勧め喩し解せしめ得べきにあらず。その人善心なくんば、いかに多く物事を知り理窟を明らめたりとて何の益あらん。されば上智の人は特別として、凡人には、景色でも眺めて彼処が気に入れり、此処が面白いという処より案じ入りて、人に言い得ず、みずからも解し果たさざるあいだに、何となく至道をぼんやりと感じ得(真如)、しばらくなりとも半日一日なりとも邪念を払い得、すでに善を思わず、いずくんぞ悪を思わんやの域にあらしめんこと、学校教育などの及ぶべからざる大教育ならん。かかる境涯に毎々到り得なば、その人三十一字を綴り得ずとも、その趣きは歌人なり。日夜悪念去らず、妄執に繋縛さるる者の企て及ぶべからざる、いわゆる不言して名教中の楽土に安心し得る者なり。無用のことのようで、風景ほど実に人世に有用なるものは少なしと知るべし。ただし、小生はかかることを思う存分書き表わし得ず、その辺は察せられんことを望む。

またわが国の神林には、その地固有の天然林を千年数百年来残存せるもの多し。これに加うるに、その地に珍しき諸植物は毎度毎度神に献ずるとて植え加えられたれば、珍草木を存すること多く、偉大の老樹や土地に特有の珍生物は必ず多く神林神池に存するなり。三重県阿田和の村社、引作神社に、周囲二丈の大杉、また全国一という目通り周囲四丈三尺すなわち直径一丈三尺余の大樟あり。これを伐りて三千円とかに売らんとて合祀を迫り、わずか五十余戸の村民これを嘆き、規定の神殿を建て、またさらに二千余円を積み立てしもなお脅迫止まず。合祀を肯んぜずんば刑罰を加うべしとの言で、止むを得ず合祀請願書に調印せるは去年末のことという。金銭の外を知らずと嘲らるる米国人すら、カリフォルニアの巨柏など抜群の注意して保存しおり。二十二年ばかり前、予が訪いしニューゼルシー州の一所に、フサシダの一種なる小草を特産する草原などは、兵卒が守りおりたり。英国やドイツには、寺院の古、老水松をことごとく謄記して保護を励行しおるに、わが邦には伐木の励行とは驚くの外なし。されば例の似而非神職ら枯槁せぬ木を枯損木として伐採を請願すること絶えず。

むかしは熊野の梛は全国に聞こえ渡れる名木で、その葉をいかに強く牽くも切れず、夫に離れぬ守りに日本中の婦女が便宜してその葉を求め鏡の裏に保存し、また武士の金打同様に女人はこの梛の葉を引きて誓言せり。定家卿が後鳥羽上皇に随い熊野に詣りし時の歌にも、「千早振る熊野の宮のなぎの葉を変はらぬ千代の例しにぞ折る」とあり。しかるに濫伐や移栽のために三山に今は全滅し、ようやく那智社境内に小さきもの一本あり。いろいろ穿鑿せしに、西牟婁郡の鳥巣という浦の社地小丘林中におびただしく自生せり。これも合祀されたから、早晩全滅ならん。すなわち熊野の名物が絶えおわるなり。オガタマノキは、神道に古く因縁深き木なるが、九州に自生ありというが、その他に大木あるは紀州の社地のみなり。合祀のため著しく減ぜり。ツグノキ、バクチノキなどは半熱帯地の木で、田辺付近の神林にのみ多かりしが、合祀のため今わずかに一、二株を存す。熊野の名産ナンカクラン、ガンゼキランその他希珍の托生蘭類も多く合祀で絶える。ワンジュ、キシュウスゲなど世界有数の珍なるも、合祀で全滅せんとするをわずかに有志の注意で止めおる。タニワタリ、カラタチバナ、マツバランなど多様の園芸植物の原産も合祀で多く絶えんとす。

熊楠は帰朝後十二年紀州におり、ずいぶん少なからぬ私財を投じ、主として顕微鏡的の微細植物を集めしが、合祀のため現品が年々滅絶して生きたまま研究を続け得ず。空しく図画と解説の不十分なもののみが残存せり。ウォルフィアというは顕花植物の最微なるものなるが、台湾で洋人が採りしと聞くのみ。和歌浦辺の弁天の小祠の手水鉢より少々予見出だしたる以後見ることなし。ウォフィオシチウムなる微細の藻は多種あるが、いずれも拳螺旋状をなす。西牟婁郡湊村の神楽神社辺の小溜水より得たるは、従来聞かざる珍種で、蝸牛のごとく平面に螺旋す。かくのごとく微細生物も、手水鉢や神池の石質土質に従っていろいろと珍品奇種多きも、合祀のために一たび失われてまた見る能わざる例多し。紀州のみかかる生物絶滅が行なわるるかと言うに然らず。伊勢で始めて見出だせしホンゴウソウという奇草は、合祀で亡びんとするを村長の好意でようやく保留す。イセデンダという珍品の羊歯は、発見地が合祀で畑にされ全滅しおわる。スジヒトツバという羊歯は、本州には伊勢の外宮にのみ残り、熊野で予が発見せしは合祀で全滅せり。

日本の誇りとすべき特異貴重の諸生物を滅し、また本島、九州、四国、琉球等の地理地質の沿革を研究するに大必要なる天然産植物の分布を攪乱雑糅、また秩序あらざらしむるものは、主として神社の合祀なり。本多〔(静六)〕博士は備前摂播地方で学術上天然植物帯を考察すべき所は神社のみといわれたり。和歌山県もまた平地の天然産生物分布と生態を研究すべきは神林のみ。その神林を全滅されて、有田、日高二郡ごときは、すでに研究の地を失えるなり。本州に紀州のみが半熱帯の生物を多く産するは、大いに査察を要する必要事なり。しかるに何の惜しげなくこれを滅尽するは、科学を重んずる外国に対して恥ずべきの至りなり。あるいは天然物は神社と別なり、相当に別方法をもって保存すべしといわんか。そは金銭あり余れる米国などで初めて行なわれるべきことにて、実は前述ごとく欧米人いずれも、わが邦が手軽く神社によって何の費用なしに従来珍草奇木異様の諸生物を保存し来たれるを羨むものなり。

近く英国にも、友人バサー博士ら、人民をして土地に安着せしめんとならば、その土地の事歴と天産物に通暁せしむるを要すとて、野外博物館を諸地方に設くるの企てありと聞く。この人明治二十七年ころ日本に来たり、わが国の神池神林が非常に天産物の保存に益あるを称揚しおりたれば、名は大層ながら野外博物館とは実は本邦の神林神池の二の舞ならん。外人が鋭意して真似んともがく所以のものを、われにありては浪りに滅却し去りて悔ゆるなからんとするは、そもそも何の意ぞ。すべて神社なき社跡は、人民これを何とも思わず、侵掠して憚るところなし。例せば、田辺の海浜へ去年松苗二千株植えしに今はすなわち絶えたり。その前年、新庄村の小学校地へ桃と桑一千株紀念のため栽えたりしも、一月内にことごとく抜き去らる。故に欧米にも、林地には必ず小さき礼拝堂や十字架を立てるなり。

かくのごとく神社合祀は、第一に敬神思想を薄うし、第二、民の和融を妨げ、第三、地方の凋落を来たし、第四、人情風俗を害し、第五、愛郷心と愛国心を減じ、第六、治安、民利を損じ、第七、史蹟、古伝を亡ぼし、第八、学術上貴重の天然紀念物を滅却す。

当局はかくまで百方に大害ある合祀を奨励して、一方には愛国心、敬神思想を鼓吹し、鋭意国家の日進を謀ると称す。何ぞ下痢を停めんとて氷を喫うに異ならん。かく神社を乱合し、神職を増置増給して神道を張り国民を感化せんとの言なれど、神職多くはその人にあらず。おおむね我利我慾の徒たるは、上にしばしばいえるがごとし。国民の教化に何の効あるべき。かつそれ心底から民心を感化せしむるは、決して言筆ばかりのよくするところにあらず。支那に祭祀礼楽と言い、欧州では美術、音楽、公園、博物館、はなはだしきは裸体の画像すら縦覧せしめて、遠廻しながらひたすら一刻たりとも民の邪念を払い鬱憤を発散せしめんことに汲々たり。いずれも人心慰安、思慮清浄を求むるに不言不筆の感化力に須たざるべからざるを知悉すればなり。わが国の神社、神林、池泉は、人民の心を清澄にし、国恩のありがたきと、日本人は終始日本人として楽しんで世界に立つべき由来あるを、いかなる無学無筆の輩にまでも円悟徹底せしむる結構至極の秘密儀軌たるにあらずや。加之、人民を融和せしめ、社交を助け、勝景を保存し、史蹟を重んぜしめ、天然紀念物を保護する等、無類無数の大功あり。

しかるを支那の王安石ごとき偏見で、西湖を埋むるには別にその土泥を容るべき大湖を穿たざるべからざるに気づかず、利獲のみ念じ過ぎて神林を亡えば、これ田地に大有害の虫を招致する所以なるを思わず、非義饕餮の神職より口先ばかりの陳腐な説教を無理に聞かせて、その聴衆がこれを聞かぬうちから、はや彼輩の非義我慾に感染すべきを想わざるは無念至極なり。この神職輩の年に一度という講習大会の様子を見るに、(1)素盞嗚尊と月読尊とは同神か異神か、(2)高天の原は何方にありや、(3)持統天皇、春過ぎての歌の真意如何など、呆れ返ったことを問いに県属が来るに、よい加減な返事を一、二人の先達がするを、十余人が黙して聞きおるなり。米の安からぬ世に、さりとは無用の人のために冗職を設けることと驚き入るばかりなり。かかる人物は、当分史蹟天然物保存会の番人として神社を守らしめ、追い追いその人を撰み、その俸給を増さんことこそ願わるれ。世に喧伝する平田内相報徳宗にかぶれ、神社を滅するは無税地を有税地となすの近道なりとて、もっとも合祀を励行されしという。いずくんぞ知らん、その報徳宗の元祖二宮氏は、田をむやみに多く開くよりは、少々の田を念入れて耕せ、と説きしにあらずや。たとい田畑開け国庫に収入増したりとて、国民元気を喪い、我利これめ、はなはだしきは千百年来の由緒あり、いずれも皇室に縁故ある諸神を祀れる神社を破壊、公売するより、見習うて不届き至極の破壊主義を思いつくようでは、国家に取りて何たる不祥事ぞ。

近ごろ英国高名の勢力家で、しばしば日本学会でわが公使、大使に対し聖上の御為に乾盃を上ぐる役を勧めたる名士よりの来状にいわく、むかし外夷種がローマ帝国を支配するに及び、政略上よりキリスト教に改宗してローマ在来の宗教が偶像を祭るは罪深しとてこれを厳禁したのは、人民に親切でも何でもなく、実は古教の堂塔に蔵せる無数の財宝を奪うて官庫に充てんがためなりし。よって古教亡びてまもなくローマ帝国の民元気沮喪し四分八裂して亡滅しぬ。露国もまた彼得帝以来不断西欧の文化を輸入し、宗教興隆と称して百姓ども仕来りの古儀旧式を撲滅せんとしたが、百姓にも五分の魂なかなか承知せず、今に古儀旧法を墨守する者はなはだ多く、何でもなき宗儀作法の乖背から、民心帝室を離れ、皇帝を魔王と呼ぶに及び、これが近世しばしば起こる百姓乱や虚無党や自殺倶楽部の有力なる遠因となれり。盛邦、近年神道を興すとて瑣末な柏手の打ち様や歩き振りを神職養成と称して教えこみ、実は所得税を多く取らんために神職を増加し、その俸給を増さしめ、売れ行きの悪い公債証書を売りつけんために無理早速に神社基本金を積ましむる算段と思わる。財政の紊れたるは救う日もあるべし。国民の気質が崩れては収拾し得べからず。われ貴国のために深くこれを惜しむ、とあり。岡目八目で言いたいままの放語と思えど、久しく本邦に在留せし英人が、木戸、後藤諸氏草創の難に思い比べて、禁ぜんとして禁じ得ざる激語と見えたり。とにかく、かかる評判が外国著名の人より発せらるるは、近来日本公債が外国市場で非常に下落せるに参照してはなはだ面白からず。

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