Chapter 1 of 5

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終戦と共に東京の空が急に平穏にかへつたときは誰もがホツとしたであらう。が、それから当分の間、あの遠くでならす朝夕のサイレンの声が空襲警報のやうに聞えて、いやだつた。鳴らすやつもさうした錯覚をねらつて、からかひ半分にやつてゐるやうにさへ思へたものだ――進駐軍が蜿蜒幾十台ものトラックで米大使館の周辺に乗りつけるやトラックから一斉に飛び降りた兵隊らが、いきなり道路脇にじやあじやあと放尿をやらかすその光景にも何かしら一種のもの悲しさを覚えさせられたものである。それからミズーリ艦上の降伏調印――当時の悲しい思ひ出は、今、口ではいへない。が、それからの二三年間の深刻な困苦の連続をかへり見るとよくも耐へて来られた……と誰しも思ふだらう。雑草も喰ひ、カボチャの大きくなるのが待ちきれずにボールほどのやつをもぎとつて喰つたこともある。胃の弱い私でさへ喰ふ物が乏しいとなると、喰ひ意地が殺気だつてまるで底なしの食慾だつた。今思ひ出してもふき出したくなるが、或る日のたそがれどき、人通りの絶えた溜池通りを歩いてゐると、サツマイモが一つころがつてゐる。相当にでつかいやつ。そのまた二三メートルさきの方にも落ちてゐる。多分、自転車のうしろの荷台からこぼれ落ちたものであらう。おかげで夕飯のたしになつたが、それからといふもの、日の暮れがたに町を歩いてゐると馬糞がサツマに見えて、ついサンダルのさきで軽く小あたりに蹴つて見たくなつたものだ。

或る日、米国大使館から芝明舟町の方へとだら/\坂を下りて行く途中、丁度もとの大倉商業の前あたりの電柱の陰に、新聞紙にキチンとくるんだ折箱らしいものがおいてあつたので、恥を忍んで開いて見ると、何ときれいな折箱の中に銀めしのお握りが寿司詰に入つてゐるのだ。さすがに私は一瞬間考へた。人にほどこすために置いたものか、それとも……と私には判断がつかぬまゝに、もとの通りに新聞紙にくるんで、うしろ髪ひかれる思ひで行きすぎたが、戻りに見るともうそれはなかつた。

今でこそ赤坂の花柳街も殆ど元通りに待合など建ちそろつたが、終戦直後は見渡す限りあの一円は焼野原で、ところ/″\にポツンと焼け残りの土蔵が盤面に将棋の駒を竪に置いたやうに半壊の姿を曝してゐ、赤錆びたトタン張りの小舎が点在して色のさめた洗濯物やボロ蒲団など乾してあるのが哀れに目立つ戦災風景だつた。日が暮れても街燈は完全につかず、夕闇の中をジープがイタチのやうにすばしこく掠めて過ぎる外は人影もまれだつた。たまにお葬式の万燈のやうに電車がのろのろ通る姿のわびしさ――。

或る日、表町の外食券食堂へ行く途中(私達家族三人は主食配給が遅配がちなのと、隣組の輪番制当番がうるさかつたので外食にきりかへたのだ)一人の年増婦人からかう訊ねられた。

「あの少々うかゞひますけど……、このへんにハンコ屋さんがあるさうですが御存じでは……」

「ハンコ屋ですか、もう少しさきの溜池停留所のへんに一軒ありますよ。この次の停留所の三叉路のところに文光堂とかいふ看板が出てをりますが……」

「ありがたうございました」

この婦人は全くこのへんの様子を知らないらしかつた。私はそのまま二三間ゆきすぎてから彼女をふりかへつた。

「もし/\、あなた、ハンコをお頼みになるんですか」

「はあ、あの、ミトメを刻つてもらひたいと思ひまして」

「あゝさうですか」

「このへんのハンコ屋さん、すぐには刻つてくれませんでせうか」

「さあ、手があいてればすぐにでも刻つてくれるでせうけれど、一日や二日は待たされるかも知れません。お急ぎなんですか」

「はあ、あたくし、引揚げの者でございまして……」

「あ、なるほど……」

「実はミトメがありさへすれば今日中に区役所から更生資金を渡して頂けるんでございますの。引揚げのどさくさで、ついハンコをなくしたものですから……」

「それはおこまりですね。できあひのがあれば、すぐお間にあふわけでせうが、まあ行つてごらんなさいませ」

表町の外食券食堂で昨日あたり一度見たやうな婦人だと思つたが、さう思つたはずみに、私はつい口を辷らせてしまつたのである。実をいふと、私は素人ながら、ちよつとしたミトメ印ぐらゐなら刻れる自信があつたからで。

「あの、ミトメ印ぐらゐなら私が今すぐにでも刻つてあげてもよろしいんですが……上手ではありませんがお間に合ふ程度ならできます」

「まあ、有りがたうございます。あなたさま、あのハンコ屋さんでいらつしやいますの」

「いえ/\僕はハンコ屋ぢやありませんが、ちよつとぐらゐのことはやれるんです」

「まあ、お器用でいらつしやる……」

「かうしませうか。おひるごろまでお待ち下さるとして、あの食堂でお渡ししませう」

「結構でございますわ」

「遅くもひるすぎの一時頃までには必ず……」

私はさういつてしまつてから聊か後悔に似た気持になつた。田中とか、山田とか、土井、内田などといふやうな、さうした簡単なミトメ印ならわけもなく刻れもするが、斎藤とか、後藤とか遠藤などといふやうな字画のごた/\した苗字は細字になるほど難物だと思ひ、ちよつと心は臆したが、もう引つこみがつかなかつた。

「失礼ですがお姓は何とおつしやるんですか」

「私、あの上田と申しますんですけど」

「ぢや上田と刻ればよろしいんですね」

私は安心した。そんなミトメ印なら三十分もかゝらず刻れると思つたからである。

引揚者なら定めし、われ/\罹災者以上にこまつてゐる人かも知れない。さしづめ、とりつく島は更生資金より外にはあるまい。見たところ四十近い年頃で、色のさめたみなりからおしても大体は察しられた。

私は彼女と別れて食堂で朝飯をすませてから壕舎に戻るとすぐに印章刻りにとりかゝつた。印材といつては持ちあはせがなかつたので、こはれた硯のはしを鋸で挽つきつて、それを小さな小判形(印章屋では二分小判と称する)に石ですりまろめて、恰好をとゝのへたが、刻るのは造作なかつた。もと/\かうした私の余技は少年時代のイタヅラ遊びがその下地なのである。

できてしまふと少しでも早く彼女に手渡して喜ばせたかつたので、約束の時刻よりも早目に私は食堂へ行つたところ、彼女の方でも気がせいてか、私よりもさきに来て待ちうけてゐた。

「お待たせしました。これでよろしいと思ひますが」私はミトメを写した紙片と現物を彼女に見せた。

「まあ、お上手ですこと。ありがたうございました。こんなにお早く刻つて頂いてたすかりました」

彼女は喜びと感謝にみちた面持で帯の間から紙入をとり出した。

「あの、おいくらさし上げたらよろしいでせうか」

「いえ/\、それはあなたに進呈しませう。僕はハンコ屋ぢやないんです。イタヅラにハンコを刻つて見たい方で……」

「あれ、さうおつしやらずに……どうぞ……ではこれは少しでございますけれど、あの、お煙草でも……」

彼女は拾円札を三枚私に押しつけるやうにさし出し、別に外食券を二枚ほどそへて、どうしても受けてくれといふのである。

「いや、それには及びません」

と私は一応は辞退したが、強引にそれをしりぞけ得る現在の境遇でもなかつたので、遂に受けることにした。

その婦人のミトメ印を刻つてやつたことから、私はふつと思ひついて自分で忘れてゐた余技に気がつき「おれは現金稼ぎにハンコ屋になつて見ようか知ら……」とさう思つたのである。もと/\少年の頃、近所の印章屋に毎日入りびたつてハンコほりの真似をしたのが手ほどきみたいなことになつたわけで、日支事変中、新聞関係で中支南支を飛びあるいたが、到るところの小都会で支那人の篆刻師が町角などで露店をはつてコツ/\とハンコを刻つてるのをよく見受けた。終戦直後の東京でも家を焼かれた印章屋が焼跡の路傍で、道ゆく人の註文を受けてコツ/\俯向きながら安印章を刻つてるのを見て、靴みがきと同様、これも敗戦国共通の風景だと知つた。が、まさか、自分もハンコ屋にならうなどとはつひぞ考へはしなかつた私である。

然し、多くもない預金は封鎖され、限られた月々の生活費をひき出すにも金融通帳なるものに一々町会長の証明書を添へて出さねばならぬ時世。どんなにきりつめたとて限られた生活費では足りつこはないので、預金の有無はさておいて、手つとり早く現金稼ぎをするより手はないのだつた。これでも文士のはしくれだ、とすましてはゐられない時が迫つてゐた。世才があればこんな混乱期にこそ世の中の随所に空洞を見つけて縦横に金儲けの手を打つこともできるわけだが、私のやうなものはハンコ屋にでもなるのが最上の思ひつきだつたのだ。

そこで先づ私は、平素自分に好意を持つてゐてくれさうな有力な先輩知己に宣伝の手紙を飛ばせ、どんな印章でも速かに応じます、住所バン、蔵書バン、何でも御註文に預りたいといふ手紙を出したところ五六個ほど註文申込があつたが、註文もなしに平素の親しみをたよつて蔵書バンを刻つてとゞけた分は、御進物と見られて結局印材が損になつた。本来かうした余技的作品は社交の具として御進物にすべきであらうが――と私は考へたので、これでは先輩知己の好意にすがつてなまなか註文を待つよりは、いつそのこと路傍のハンコ屋になつて、見ず知らずの通行人の註文をとる方がましではなからうか、それには場所をどこにしようと考へた末、もとの海軍省の西側の柵沿ひの狭い通りを選ぶことにした。一方はモータープールの金網の塀が続いてゐて、その二間幅ほどの通路を進駐軍将兵がひつきりなしに往来してゐる所なのである。二三の靴磨屋が間隔を置いて猿のやうに腰をおろしてゐた。その他にマフラや絹地の刺繍物を売る女、フォチュンテラーと英文字で書いた腕章をつけて、色の褪せた背広を着、中風の気味らしくよろ/\する脚をステッキで支へながら通行の米兵によびかけてゐる易者、似顔かきの老画家、これらの先輩にお仲間入りの挨拶をして、どうやら私は自分の場所をそこに獲得した。ところで易者も似顔かきの老画家も頗る会話が達者らしいのに先づ私は敬意を表したのである。「運命は君にとつて姿なき同伴者である。時には君の脳裡に運命は巣くふ。或るときは君の心臓に宿る。更に或るときは君の行くてに待ちうけてゐる。また或るときはおくれ馳せに後方から執拗に君を追ひかけても来る。だからそれらを常に予知することは運命を克服し打開し乗り越えることである。即ち君自身を守護することである……」

易者さんは英文と日本文とでそのやうに書いた紙を柵にはりつけて米兵の注目をひいてゐた。科学主義のアメリカの兵隊でも運命判断にはやはり興味を持つものと見えて、易者さんは相当繁昌してゐた。米兵らが占ひによつて知りたいことは、大抵「いつ頃に帰国できるだらう……」とか、「国許にゐる恋人はどんな風にくらしてゐるだらう……」といつたやうなたわいもないことであつた。とき/″\、ロングライフとか、ベリーハッピーとか、さうした易者の言葉の断片が私にも聞えた。

私は英字で『スタンプショップ』と書き、日本字で『印章速応』と書いた厚紙の看板を柵にぶらさげ、川べりで釣りをたれて魚のくひつくのを待つこゝろで、静かに照り輝く小春日和の下に時をすごしたが、第一日は全く何の手ごたへもなかつた。

ところが二日目に、一人の米兵が立ちどまつて近寄りながら私に問ひかけた。

「キャン、ユー、メーク、スタンプ?」

「ィヤー……」私は易者さんや似顔かきの真似をしてイエスと答へるところをィヤーと答へたのである。よほど会話に堪能ででもあるかのやうに……が、それからさきが私にはわからなかつたので、早速似顔かきの老画伯に救ひを請うた。

「こんな数字のスタンプをこしらへてくれるか……どのくらゐの時間でできるか、料金はいくらだ、と訊ねてゐます」と画伯が通訳の労をとつてくれたので、私は皮きりとして最初の註文に応じたわけだ。

私が註文をうけた数字のスタンプは M-3194 といふナンバーであつたが、かうした数字のスタンプを彼等は被服類その他におすために入用らしい。私は一個五十円で刻つてやつた。その日は唯一個の註文で終つたが、その一個が宣伝の効果をもたらしたわけか、翌日はドカドカと五六個の註文がやつて来た。更にその翌日からは殺到的に来た。誇張のやうであるが、私は大車輪でほつて/\ほりまくつた。ハンコを刻る仕事はかうなるとらくではない。腕に全身の力をこめて、その力を殺して細心にコントロールしなければならぬので存外疲れるものだ。胸部疾患には悪いといはれるのもそれなのであらう。が、毎日続く爽やかな小春日和の下でポケットがお札でふくれるのは快適だつた。さうした快適な日にはプールの屋上からレコードが拡声器で送られてそこらぢゆうに聞え渡る。極めて抒情的なアメリカの歌謡曲である。私にはその歌詞が分らなかつたけれど、易者さんは教へてくれた。「働く者の喜びは夕暮と共に来る――」と、いふのださうである。もう一つの曲は「ドント、ファゲット、プリーズ」といふのださうで、日本語でいへば「忘れないでね……」なのである。表題は『港町の乙女』と易者さんは説明した。彼はなか/\よく何でも知つてゐる――。

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