パンパンにされた日本
私は今度は經濟革命が來ると思つている。どうしても避けられない。このままで經濟戰爭に敗けたならば、アメリカの保護を乞うても、保護してはくれぬ。一度パンパンになつた人間は、もう使い途がない。潰しが利かぬのである。女はまだよいが、パンパン野郎は何にも使えない。手足まといになるものを、誰が買つてくれるものか。
人口が多いということが、それが心を一つにしていれば力が強い。まだ使い途がある。しかし内部でお互いが反撥し合つているのだから、全然無價値である。それを統制して一つにしようといつても、もとのように權力ある者の命令一下まとまる、というようなわけにはゆかない。權力ある者の命令に從つてやつたところが、敗戰によつて恥をかいた、という大きな經驗をしている以上、もう一度命令に從わせることはなかなかむつかしい。
これは巣鴨へ入つてみると、よく判ることである。巣鴨にいる人たちは、みな、われわれは何の爲にこんな目に遭うのか、と考えている。われわれは何も惡いことをした覺えはない、街にいる人達と何處が違うか。惡いことをした者が免れて街にいるではないか、という考えを持つている。
こうした考えがたくさん積つて來ると、何かの機會にはそれが爆發する危險がある。巣鴨などはその一つであろう。
私に言わせれば日本はまだ困り樣が足らぬと思う。困つたと思う時に特需などがあつたり、どこかから剩り物が來たりして、どうやらこうやら、つないで來ることができた。テンヤモンヤとやつて來て、別に餓死する人もない。
テンヤモンヤとやつていられる間はよろしい。もう少し深刻になつて來て、どうしても食べてゆけない、となつたら、一體どうなるであろうか。
むかし米が上つて一升五十錢になつた時に、米騒動というものが起つた。これは誰言うとなしに起つたものである。何も知らぬ漁師のおかみさんたちが起したのである。學校を出たインテリがやつたものではない。おかみさんたちの付けた火が、パーッと擴がつたのである。情勢が熟していれば、すぐに火が付く。
コールド・ウォアやホット・ウオアが盛んに動いていて、兩方からヤイノ、ヤイノと言われている時はよい。無人島に十人の男と一人の女だけが暮すことになれば、醜婦でも非常な美人に見えるように、日本も今まではまだよかつた。
これから平和風の吹いて來た時が、非常に危險な時である。必ず壁にぶつかる。その時が革命に火の付く時である。
徳川幕府が三百年間續いて、役人が腐敗し、賄賂を公然と取るようになる、旗本の中には自分の家柄を、金で賣つたりする者が出る、大小は佩しているけれども、それは伊達であつて、武士の魂は抜けて遊冶郎になり下つてしまつた。そこへ外來の一大衝動を受けたから有志が起つたのである。初めは尊皇討幕であつたが、御維新によつて今度は開國進取、産業立國、殖産興業、文明開化というような旗印しを立てて進んだのである。
おそらく毛澤東は明治の御維新などをよく體得して、それを利用したにちがいないと思う。
だが、私は日本人に失望してはいない。永い間養われて出來上つた血液は、そう一朝一夕に變るものではない、というのが私の信念である。今は病氣に罹つたか、酒を飮んで醉つたようなもので、日本人の本質は相當のよさを持つていると信じている。
戰爭に敗けて、アメリカが來て、パンパンにされた。あの威力によつて自然にこうなつたのであるが、このまま泥舟に乘つたように沈沒するかといえば、そうではないと思う。まだ發奮する時期が來ないだけのことで、決してダメなのではない。