Chapter 1 of 4

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ドモ又の死(これはマーク・トウェインの小話から暗示を得て書いたものだ)

人物

花田          ┐

沢本 (諢名、生蕃)  │

戸部 (諢名、ドモ又) ├若き画家

瀬古 (諢名、若様)  │

青島          ┘

とも子   モデルの娘

画室

現代 気候のよい時節

沢本と瀬古とがとも子をモデルにして画架に向かっている。戸部は物憂そうに床の上に臥ころんでいる。

沢本  (瀬古に)おい瀬古、ドモ又がうなっているぞ、死ぬんじゃあるまいな。瀬古  僕も全くうなりたくなるねえ、死にたくなるねえ。……ともちゃん、おまえもおなかがすいたろう。とも子 もう物をいってもいいの、若様。瀬古  いいよ。おなかがすいたろう。とも子 そんなでもないことよ。

戸部うなる。

どうしたの、戸部さん、あなた死ぬとこなの。まだ早いわ。

瀬古  ともちゃんはここに来る前に何か食べて来たね。とも子 ええ食べてよ、おはぎを。沢本  黙れ黙れ。ああ俺はもうだめだ。(腹をかかえる)つばも出なくなっちまいやがった。瀬古  ふうん、おはぎを……強勢だなあ、いくつ食べたい。とも子 まあいやな瀬古さん。瀬古  そうしておはぎはあんこのかい、きなこのかい、それとも胡麻……白状おし、どれをいくつ……沢本  瀬古やめないか、俺はほんとうに怒るぞ。飢じい時にそんな話をする奴が……ああ俺はもうだめだ。三日食わないんだ、三日。瀬古  沢本は生蕃だけに芸術家として想像力に乏しいよ。僕が今ここにおはぎを出すから見てろ――じゃない聞いてろ。ともちゃんが家を出ようとすると、お母さんが「ともや、ここにこんなものが取ってあるから食べておいでな」といって、鼠入らずの中から、ラーヴェンダー色のあんこと、ネープルス・エローのきなこと、あのヴェラスケスが用いたというプァーリッシ・グレーの胡麻……

戸部うなり声を立てる。

沢本  だから貴様は若様だなんて軽蔑されるんだ。そんなだらしのない空想が俺たちの芸術に取ってなんの足しになると思ってるんだ。俺たちは真実の世界に立脚して、根強い作品を創り出さなければならないんだ。だから……俺は残念ながら腹がからっぽで、頭まで少し変になったようだ。とも子 生蕃さんはふだんあんまり大食いをするから、こんな時に困るんだわ。……それにしてもどうしてここにいる人たちの画はこんなに売れないんでしょうねえ。沢本  わかり切っているじゃないか。俺たちがりっぱなものを描くからだ……世の中の奴には俺たちの仕事がわからないんだ……ああ俺はもうだめだ。瀬古  ともちゃん、そのおはぎの舌ざわりはいったいどんなだったい……僕には今日はおはぎがシスティン・マドンナの胸のように想像されるよ。ともちゃん、おまえのその帯の間に、マドンナの胸の肉を少しばかり買う金がありゃしないか。とも子 なかったわ。私ずいぶん長い間なんにももらわないんですもの。瀬古  許しておくれ、ともちゃん、僕たちはおまえんちの貧乏もよく知ってるんだが……沢本  悪い悪い。そんなに長くなんにも君にやらなかったかい。俺たちは全く悪いや。待てよ、と。ない。ないはずだ。今ごろやる物があるくらいなら遠の昔にやっているんだ。戸部  お母さん怒らないか。とも子 偶にいやな顔はしてよ。戸部  じゃ君は、もうここには寄りつかなくなるね。(うなる)とも子 そんなこと……よけいなお世話よ。私のしたいようにするんだから。沢本  瀬古の若様がひかえている間は大丈夫だが……とも子 人聞きの悪い……よしてください。

戸部うなる。

瀬古  ともちゃん、頼むから毎日来ておくれ。頼むよ。僕たちは一人残らずおまえを崇拝しているんだ。おまえが帰ると、この画室の中は荒野同様だ。僕たちは寄ってたかっておまえを讃美して夜を更かすんだよ。もっともこのごろは、あまり夜更かしをすると、なおのこと腹がすくんで、少し控え気味にはしているがね。とも子 なんて讃美するの。ともの奴はおかめっ面のあばずれだって。瀬古  だが収入がなくっちゃおまえんちも暮らせないね。とも子 知れたこってすわ、馬鹿馬鹿しい。沢本  じゃやはりドモ又がいったように、君はどこかに岸をかえるんだな。とも子 さあねえ。そうするよりしかたがないわね。私はいったい画伯とか先生とかのくっ付いた画かきが大きらいなんだけれども、……いやよ、ほんとうにあいつらは……なんていうと、お高くとまる癖にひとの体にさわってみたがったりして……けれどもお金にはなるわね。あなたがたみたいに食べるものもなくなっちゃ私は半日だってやり切れないわ。大の男が五人も寄ってる癖に全くあなたがたは甲斐性なしだわ。戸部  畜生……出て行け、今出て行け。とも子 だからよけいなお世話だってさっきも言ったじゃないの。いやな戸部さん。

(悔しそうに涙をためる)

戸部うなる。

言われなくたって、出たけりゃ勝手に出ますわ、あなたのお内儀さんじゃあるまいし。

戸部  俺たちの仕事が認められないからって、裏切りをするような奴は……出て行け。瀬古  腹がすくと人は怒りっぽくなる。戸部の気むずかしやの腹がすいたんだから、いわばペガサスに悪魔が飛び乗ったようなもんだよ。おまえ、気を悪くしちゃいけないよ。とも子 だって戸部さんみたいなわからず屋ってないんだもの。画なんてちっとも売れない画かきばかりの、こんな穢い小屋に、私もう半年の余も通っていてよ。よほどありがたく思っていいわけだわ。それを人の気も知らないで……戸部  貴様は(瀬古を指さして)こいつの顔が見たいばかりで……とも子 焼餅やき。戸部  馬鹿。(うなる)沢本  ああ俺はもうだめだ。死ぬくらいなら俺は画をかきながら死ぬ。画筆を握ったままぶっ倒れるんだ。おい、ともちゃん、悪態をついてるひまにモデル台に乗ってくれ。……それにしても花田や青島の奴、どうしたんだ。瀬古  全くおそいね。計略を敵に見すかされてむざむざと討ち死にしたかな。いったい計略計略って花田の奴はなにをする気なんだろう。沢本  おい、ともちゃん……乗るんだ。君は俺たちのモデルじゃないか。若様も描けよ。瀬古  うん描こう。いったい計画計画って……おい生蕃、ガランスをくれ。沢本  その色こそは余が汝に求めんとしつつあったものなのだ。貴様のところにもないんか。とも子 ドモ又さんもお描きなさいな。人ってものはうなってばかりいたってお金にはならないわ、自動車じゃあるまいし。沢本  ドモ又ガランスを出せ。戸部  (自分の画箱のほうに這いずって行って中を捜しながら)ない。瀬古  ペガサスの腰ぬけはないぜ。おまえも起き上がって描けよ。花田の画箱はどうだ。(隣の部屋から画箱を持ち出して捜しながら歌う)

「一本ガランスをつくせよ

空もガランスに塗れ

木もガランスに描け

草もガランスに描け

天皇もガランスにて描き奉れ

神をもガランスにて描き奉れ

ためらうな、恥じるな

まっすぐにゆけ

汝の貧乏を

一本のガランスにて塗りかくせ」

村山槐多も貧乏して死んだんだ。あああ、あいつの画箱にもガランスはなかったろうな。描き奉ってしまったんだから。

「天にまします我らの神よ」途中はぬかします。「我らに日用の糧を今日も」じゃない「今日こそは与えたまえ」。ついでに我らにガランスを与えたまえ。あとは腹がへっているからぬかします。「アーメン」。ええと我らにガランスを与えたまえ。ガランスを与えたまえ。我らに日用の糧を与えたまえ。(銀紙に包んだものを探り出す)我らに(銀紙を開きながら喜色を帯ぶ)日用……糧を……我らに日用の糧を……(急におどり上がって手に持った紙包みをふりまわす)……ブラボーブラボーブラビッシモ……おお太陽は昇った。

一同思わず瀬古の周囲に走りよる。

沢本  食えそうなものが出てきたんか。戸部  ガランスか。瀬古  沢本、おまえはさもしい男だなあ、なんぼ生蕃と諢名されているからって、美術家ともあろうものが「食えそうなもの」とはなんだね。沢本  食えそうなものが出てきたんかといっただけで、なんでさもしい。ああ俺はもうだめだ。食えそうなものなんて言ったらだめになった……畜生、俺は画を描く。ガランスがなけりゃ血で描くんだ。

画架のほうに行きかける。

瀬古  いい覚悟だ。そこでともちゃん、これをなんだと思う。これはもったいなくもチョコレットの食い残りなんだ。

沢本と戸部と勢い込んで瀬古に逼る。

戸部  俺によこせ。瀬古  これはガランスじゃないよ。戸部  ガランスかって聞いたのは、ガランスだと困ると思ってそう聞いたんだ。俺はガランスくらいほしくはない。それは俺のだ。俺によこせ。沢本  ガランスがなけりゃ、俺だって食えそうなものを辞退するわけじゃないぞ。ドモ又いいかげんをいうな。これは俺んだ。瀬古  そうがつがつするなよ。待て待て。今僕が公平な分配をしてやるから。(パレットナイフでチョコレットに筋をつける)これで公平だろう。沢本  四つに分けてどうするんだ。瀬古  (沢本と戸部にチョコレットを食いかかせながら)最後の一片はもちろん僕たちの守護女神ともちゃんに献げるのさ。僕はなんという幻滅の悲哀を味わわねばならないんだ。このチョコレットの代わりにガランスが出てきてみろ、君たちはこれほど眼の色を変えて熱狂しはしなかろう。ミューズの女神も一片のチョコレットの前には、醜い老いぼれ婆にすぎないんだ。(こんどは自分が食いかく)ミューズを老いぼれ婆にしくさったチョコレットめ、芸術家が今復讐するから覚悟しろ。(ぼりぼりとうまそうに食う。とも子のほうに向け最後の一片をさし出しながら)ともちゃん、さあ。とも子 まあいやだ、誰がひとの食べかいたものなんか食べるもんですか。瀬古  (驚いたようすをしながら)え、食べない。これを。食べないとはおまえ偉いねえ。おまえの趣味がそれほどノーブルに洗練されているとは思わなかった。全くおまえは見上げたもんだねえ。おまえは全くいい意味で貴族的だねえ。レデイのようだね。それじゃ僕が……

沢本と戸部とが襲いかかる前に瀬古逸早くそれを口に入れる。

瀬古  来た来た花田たちが来たようだ。早く口を拭え。

花田と青島登場。

花田  (指をぽきんぽきん鳴らす癖がある)おまえたちは始終俺のことを俗物だ俗物だといっていやがったな。若様どうだ。瀬古  僕は汚されたミューズの女神のために今命がけの復讐をしているところだ。待ってくれ。(口をもがもがさせながら物を言う)花田  貴様、俺のチョコレットを食ってるな。この画室にはそのほかに食うものはないはずだ。俺はそれを昨日画箱の中にちゃんとしまっておいたんだ。沢本  隠し食いをしておきながら……貴様はチョコレットで画が描けるとでも思ってるんか。神聖なる画箱にチョコレットを……だから貴様は俗物だよ。花田  なんとでもいえ。しかし俺がいなかったら、おまえたちは飢え死にをするよりしかたないところだったんだ。沢本  まあいいから、貴様の計画というものの報告を早くしろ。花田  そうだ。ぐずぐずしちゃいられない。おい青島、堂脇は九頭竜の奴といっしょに来るといってたか。青島  そんなことをいってたようだ。なにしろ堂脇のお嬢さんていうのには、俺は全く憧憬してしまった。その姿にみとれていたもんで、おやじの言葉なんか、半分がた聞き漏らしちゃった。沢本  馬鹿。青島  あの娘なら芸術がほんとうにわかるに違いない。芸術家の妻になるために生まれてきたような処女だ。あの大俗物の堂脇があんな天女を生むんだから皮肉だよ。そうしてかの女は、芸術に対する心からの憧憬を踏みにじられて、ついには大金持ちの馬鹿息子のところにでも片づけられてしまうんだ……あんな人をモデルにつかって一度でも画が描いて見たいなあ。瀬古  そんなか。青島  そんなだとも。とも子 今日はもう私、用がないようだから帰りますわ。戸部  俺に用があるよ。くだらないことばかりいってやがる。俺が描くから……とも子 またうなりを立てて、床の上にへたばるんじゃなくって。戸部  いいから……こいつら、うっちゃっておけ。

戸部ひとりだけ、とも子をモデルにして描きはじめる。その間に次の会話が行なわれる。

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