学校の制服
私が美術学校の制服をはじめてみたのは、美術学校へ第一期に入った連中が、宮城の前で錦の旗を立てて行列したときです。ほんとうの錦です。織紋がついて、縫いとりで東京美術学校と書いてある。長い竿で、宮さん宮さんのあの旗です。あれをたてていったもんだから、神主の学校だとみんないっていた。私もはじめそう思っていたんです。皇典研究所、いまの国学院大学、あれだと思っていた。服はよくみなかったんですけれども、変なものだと思っていた。
私なんか入ったとき、制服をこしらえるからみんな食堂に集って寸法をとれ、というもんですから、どんな制服ができるだろうとみんな楽しんでいった。ところが、外神田の大時計の隣にある大きな葬儀屋の番頭がきて寸法を取っていった。出来てきて着てみてみんながびっくりし、あまり異様なのでおこっちゃった。それを学校の生徒係などがいろいろとなだめ説明するんです。これは例の聖徳太子像、あれによって黒川博士が考案した結構なものだという。なかにはおこって学校を退学する、というものもあった。
あの服を着ていると、目立っておかしくって、そば屋ひとつ入れませんよ。私なんぞ本郷三丁目から通っていたんですが、本郷本富士町の警察の前に大きな牛飯食堂がありました。ちょうど四時ごろ学校の帰りに腹がへっているので入ろうと思うのだけれども、あれを着ているからとびこむこともできない。どうかして食ってやろうじゃないかと、友人と二人で制服をぬぎ、懐へかくして、それで食べたことがありました。みんな大道易者だとか、いろんなことをいった。私なんかが卒業してからあとで、紐にふさのついているようなものを、右から左へかけたのです。七宝焼で丸に美の字の徽章を袵元へ付けました。稲結びの紐は、生徒が縹色で、先生は黒でした。それはちょうど岡倉先生が学校をやめる少し前だったでしょう。
制服の色も、生徒は縹色で、先生は黒でした。岡倉先生なんか、夏は紗の黒の透し紋のある制服を着て、海豹の天平靴をはいて、それで先生は時計に細い金鎖をつけて、首からかけていました。
●図書カード